オリジナルサイト日記
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今更語るような事項でもないのですが、語る機会があったので軽くまとめ。
801と一口に言っても今は裾野が広がりすぎているので、一概に語れないというのが、まず、大前提。キッチュでチープなBLもあれば、私小説的な二次創作のヤオイもあり、一種ジェンダーSFの世界へとつっこんだ思弁的な同性愛ファンタジー、とにかく幻想文学の領域に留まっている少年愛、とすべてがごった煮になってるのがまず現在の801界の現状です。ひとくくりにしろというのが無理です。
まあ、強いて言えば《ミステリーとは何か》みたいなものでさ……
ミステリファンの某方によると、「面白いものはミステリで、面白くないものはSFにしとく」という噴飯モノ(笑) というかまったく同じことを当時のSFファンも言ってたような話があるのですが、真面目な話、801の魂を持った異性愛モノもあるし、どう考えても801的な要素を欠いた恋愛モノも、この世界にはあるのです。
でも、なんで女性が強いて男同士に萌えるのか? そして、女性向けにかかれた創作物ではなく、一般に少年向けとされる作品が801二次創作の対象となるのか。
ざっくりとした話だと、まず、801の最も前提となる部分は、「801に登場する男性キャラクターは、男ではない」という部分です。
まあ、ここは書き手によって非常に左右されるところで… いわゆる商業BLの世界だと、「非常にリアルなホモ」が好まれる傾向にあります。ここの世界の人たちは、ふっと気付くとオコゲになっていたりする(笑) けれど、そういう世界でも、気付くと性的志向がゲイの男性だけが存在し、しかもそれが日常的に受け入れられてまったく違和感が無いという設定が成立していたりします。
その世界にも、現実における、完全な意味でのジェンダー・セックス・セクシュアリティすべてが男性、というキャラクターは存在しません。だからそういう世界に女性が登場すると、良くも悪くも非常に存在感が出てきてしまう。女性にとって、ジェンダー・セックス・セクシュアリティすべてが女性である、というキャラクターを書くのはたやすいことだからです。そして、《たやすい》がゆえに、そういったキャラクターは恋愛物語の主役になりそこねます。
801における本質というのは、ようするに、既存のジェンダーをリセットすること… にあると私は思っています。
男性=非・女性 であって、世間で言うところの《男》と、801に出てくる《男》は、まったくのベツモノです。逆をいうと、801における主要登場人物は『非・女性』であればなんでもよく、そこになれてしまった読者・作者は、複雑な手続きを経て、キャラクターからジェンダーというルールを取っ払うことを覚えてしまいます。
つまりいわゆる、『女体化』というものですね。
「女の子はかわいい。女の子って楽しい。おしゃれも出来るし、やっぱりかわいいし、それにセックスしてて違和感が無い。妊娠も結婚も楽しめる」
「でも、私が好きになったこの子は、男の子なんだよなぁ… でもいいや。私は《この子》が好きなんだから、多少身体を変えても、《この子》っていう個性と魅力は失われないよね」
こういう腐女子以外には理解不能な不可思議思考回路(笑) も、うっとおしいジェンダーの取っ払いの過程、と考えると多少は理解しやすくなると思われます。
少年漫画における男性キャラクター→801創作における二次創作的なキャラクター(ジェンダー・セクシュアリティがとっぱらわれる)→還元的に女体化された二次創作キャラクター(ふたたび味付け程度にジェンダー・セックス・セクシュアリティが与えられる)
という過程が成立する。
恋愛モノにおける「男女のお約束」というものは、面白さではありますが、同時に、実は非常にうっとおしいものでもあります。
ある程度仲がよくなると異性としてのお付き合いを意識する、カップルとして認識されると周囲からの目線が高速的になる、女性・男性にはそれぞれ演じるべきとされるロールが存在する… 最低でも、ヘテロな恋愛モノには、こういうルールが存在します。
これを男女で書いて否定することもできなくはないのですが、往々にしてカジュアルになりそこないます。「男女のロールを振り捨ててお付き合いをしている二人」を書くことは、そこが焦点になってしまい、他の物語性を失ってしまうのです。
もっとこう、さりげなくお互いのことが大切だという淡い気持ちが恋愛感情へと移行していく様を、お互いへの過剰な独占欲が生み出す哀しい結末を、永遠に二人は一緒に暮らしましたという童話的なハッピーエンドを、《現実》という野暮なルールをほっぽりだして楽しむ方法はないものか?
……そこに、大昔頭がいいのか、あるいはおかしいのかした誰かさんが、「だったら思い切って、双方を女性/男性じゃなくしちゃえばいいじゃないの」と言い出したのです(笑)
しかし、何も女性性を否定しないといけないというのが、腐女子諸淑女たちの深刻な性的違和感に繋がっているわけではありません。
いまや、《女らしさ》《男らしさ》というルールを否定するというのは一種のジャンル小説における文脈のようなものになっていて、《ミステリにおいて謎が出てくる必然性》くらいの意味しかない、と思ったほうがいいでしょう。
多くのカジュアルな腐女子諸嬢は、普通に少女漫画も読むし、ドラマに出てくる恋愛だって楽しみます。さらにいうなら、いわゆる女性エロ漫画家のなかには、同時に801も好き、ショタも好き、という人が多数います。ようするに彼女らの性的好奇心(紙の上での!)を充たすには、既存のジェンダーの枠だけだと足りない、そういう世界にまで、801ってのは拡散しちゃってるのです。
ただし、傾向としては、腐女子諸嬢たちは、一般的に、過剰な女性性というものにあまりいい印象を持っていません。その意識は深刻なトラウマに根ざすものから、「あんまり化粧とか好きじゃない」という単純なレベルまで多彩です。ときに、腐女子諸嬢におけるファッションが、ドラァグ・クイーン化(女性性の過剰なパロディという意味での仮装)になってしまうのもそのせいでしょう。そんな腐女子諸嬢にとって、女性性ってのはアタッチメントで取り外しの出来るものであり、自分の本質においてさほど重要なものではありません。
「となりの801ちゃん」という漫画が非常に優秀だった(苦笑) のはその点で、基本的には、女性性というのはあくまで日常生活をおくるための「オーバーボディ」「きぐるみ」にすぎない、のです。
…とまあ、なんか堅苦しい文章で語ってきたですけれども。
ここ最近のドラマだのなんだのを見ていると、ジェンダーというものの撹乱ってもんは、来るとこまで来たよなー、という気がしないでもないです。
「花盛りの君たちへ」「山田太郎物語」という、共にジェンダー性をあえて混乱させてる作品が一緒に放映されている… 双方の作品に出てくる女優の男装、俳優の女装は正直そうとう不自然だと思うのですが、「そういうもんだ」と思える下地が、一般視聴者のみなさんにまで出来上がってしまっているのです。漫画読者という、より小さな枠だけではなく。
戦隊モノだと、たいていは司令官は女性もしくは人外(二足歩行する猫とか、ハムスターとか)で、いかにもマッチョで男性的なタイプというのはかなり昔にいなくなってしまいました。最近だとデカレンジャーの司令官ドギー長官が非常に父権的で優秀、良い意味での男性性をすごく持ち合わせたキャラクターでしたが、彼は犬でした(苦笑) そういうキャラクターを演じて説得力のある俳優さんは、もはや犬しかいないってことなんでしょうか。
とはいえ、まだまだ少年漫画の世界にはジェンダーの拘束というものは強く、非常に男性的なキャラクターは探せばいくらでもみつかります。でも、そういうキャラクターだからこそ、あえて《逆転》することに面白さを感じる。というよりも、原作時点でジェンダー的な不安定さを抱えたキャラクターをさらに転換させると、なにがなんだか分からなくなるという危険性のほうがおおきいでしょう。ある程度症状が進んでしまった腐女子諸嬢などは、男性さえいなければ、いっそ、女の子だけの世界も悪く無い! と百合とかにちゃっかりと理解を示してしまっているのにもそれは象徴的だと思われます。
とまれ、もともとジェンダーってのは不安定で社会的、そして、そこにやっかいさと面白さが共存しているものです。
世の中には何かを勘違いしている人がいて、「男女平等はそれぞれの性別の魅力をなくす」と思っている人もいるみたいですが、それはとんでもない間違いだと私は思っています。だって、性別の存在しない801の世界にも、ジェンダー性ってものは確実に存在し、その面白さは十二分に表現されてるんですから!
要するに、問題は、「セックス(身体的性別)が男/女なら、ジェンダー(社会的性別)も、セクシュアリティ(性的思考)も、すべて男/女であるべきだ」という固着的な思考にあるのでしょう。これだと組み合わせは二通りしかありません。でも、すべてを自由に選択しうるようになれば、人間は、最低でも8通りの性別を持ちうることになるのです。ここにさらに、現実には『両性愛(バイセクシュアル)』『無性愛(Aセクシャル・性欲を持たないこと)』が加わり、さらにバリエーションは広がります。そうなったとき、仮に、『ジェンダー』で『女性』を選択した人が、女性独特の面白さ… ファッション・しぐさ・社会的な立場、などを享受しようとしなくなるかというと、そんなわけがないでしょう。だって、わざわざ『女性』を選んだってことは、その人はそれを存分に楽しみたいと思ってるってことなんですから。
まあ、世の中が実際にそうなることは、なかなかないと思います。現実にはジェンダー・セックス・セクシュアリティの間には相関関係があって、簡単にパズルのようにあちこちを切り貼りすることは出来ないのですから。
でも、ファンタジーの世界だと、そんなことが出来ちゃっている。そうして世の中には、その楽しみを覚えてしまっている諸嬢が思ったよりもたくさんいる…
それだけのことなんじゃないかなぁ、と私は思うのでした。
以上、一腐女子の私見でした。
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