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現在、私は三つ日記を持ってるのですが、たぶん一番マイナーなのがここー。
(mixiは友だちが見てるし、オタ日記はえらいことになってるし)

なので、今日、久しぶりに小説をかたってみます。というよりも、ひさしぶりにいろいろ考えたのかしら。
私は最近、カウンセリングで、小説の話ばっかりしています。
ここ数年病みついて、まともに人間らしい生活がおくれていないのですが、ここ数ヶ月はいままでとは違う意味でちょっとピンチです。体重ががりがり減っていって、一月で3kgくらい減ったかな… ご飯が食べられないから当たり前なのですけれども。もうちょっと進んだら、たぶん、薬を飲まないとだめになるはず。
「小説の書きすぎじゃない?」と人から言われる(苦笑) 
たぶん、その通りだと思いますけれども。

で、今日カウンセリングで言われたのが、「由仁子さんって、自分だと感じないことや考えないことでも、小説だと上手にかけるのねえ」ということ。
ずいぶん以前から、言われてたことなんですけどね!!
特に今は、二次創作であたらしいジャンルに入って、さらに自分の力が充実していくのを感じています。傲慢かもしれないけれど、でも、《上手く表現できる》《書きたいことが自在に書ける》っていうことの幸せさは、ほんとうに、比較の仕様が無い。小説というものには心血を注ぐ価値があると思う瞬間です。

プロットにおけるトリック、指先小手先の文章表現、キャラクターの感情の細やかな表現、物語を全体で見たときの調和と不調和。

私はたぶん、普通の人間を100点で評価したら、43点くらいの人間です。
でも、そこに《小説を書く》ということを足したら、合計で80点をきっと越えられる。もしかしたら、100点にだってなれるかもしれない。だって、私は、《自分が43点の人間である》という事実のおかげで、《世の中には残りの57点の世界がある》ということを知りうるのですから。

これってものすごいことです。
足りないという事実で、他のことを、知ることができる。

《できない》は、ただの《できない》じゃなくて、《できないことを知っている》ということになる。
《できる》ことは、ただ、《できること》としてしか書けない… でも、客観的に見たとき、《できない》は書くことが出来る。ものすごくリアリティをもって。だって、私の目から見た《できない》は、きっと、ほかの人から見た《できない》と、すごく似ているはずだから。

ややこしいんですけれどもね。

コンプレックス、嫉妬、卑屈さ、すれ違い、嫌気と倦怠、無駄になる善意、傷つけるだけの愛。
そういうものの種は、全部自分の中にある。私はそれにちょっとづつ嘘を混ぜて、きれいにすればいい。あるいは大げさに醜さを強調して寓話にしてやればいい。そうすれば、全部が物語になれるのです。魔法みたいなもんです。絵を書くようなものかしら。
たった三色の光でも、理論上は、万色を表現できる。必要なのはただ技術と熱心さ。倦まずたゆまず続けること。あきらめない愚直さと、自分自身へ対する正直さ。
私は普通の人間より明らかに足りないことの多い人ですけれども、その《足りないこと》があるから、物語を書ける。

オリジナルを書いていると、私は、小手先の技術と、テーマへのこだわりと、プロットを面白く粉飾するっていうことに、振り回されていました。
でも二次創作には、キャラクターデザインも、プロットすらも必要じゃない。そういう世界で自分をあたらしく見直すと、成長できるんだなあと思います。
かといって小説には、やっぱり、プロットというものの魅力と、文体の洗練が絶対に必要だとも思う。あとは物語を骨太に作りあげていく地道な努力。これは二次創作だと必要ないから、ついついサボりがちになる部分。

両方を経ると、自分自身の実力が確実に増していくっていうことが感じられて、ものすごく楽しいです。
私はささやかな書き手で、できないこともすごく多いけれど、でも、自分がたった今、《書きたい!》と思うことを表現できるだけの能力は保持できている… という気がしています。
これもただの傲慢な思い上がりに過ぎないのかもしれないけれども、ただその瞬間瞬間に、自分の書いているものに対する自信と誇りを持つってことが重要だってのも、ある程度は感じていることです。

今、二次創作で、私はすごく暗くて哀しいものを、書きたいと思っています。
なんていうか、絶対に分かり合えないというすごくありふれた悲劇を書きたいと思う。
相手のことが大切で、理解したくて、傷つけて、疲れ果てて、全ての努力が無駄になる。でも、その過程をふりかえったとき、「何もかもが無駄だった」という事実の中に、ほのかに、たったひとつの本当のものが見える。
本当の愛と誠実さが、むちゃくちゃで意味の無い混乱と挫折の中に、ほの見えてくる。
そういうことが書いてみたいと、今、思っています。そして、もしかしたらそれが出来るかもしれない、っていうことが感じられて、すごくわくわくする。

マゾヒスティックな感情かもしれないけれども、ときどき、自分のどうしようもない惨めさの中に、私は、物語を書くっていう喜びを見つけています。
食べたくてもご飯が食べられず、悪夢で目覚めて惨めな思いをして、結局自分を地獄に叩き落すことができるのは自分なんだなあ、と思う。臆病さで助けを求められないから孤独になる。助けを求めて手に入れられなくて哀しくなる。病人っていう人種特有の、ものすごく臆病な、自己保身のための人の顔色をうかがってばかりいるという卑しさ。
でも、私がこれを感じてるってことは、私がこれを書けるってことじゃないか! と思うと、なんだか全てがどうでもよくなってしまう…

このまま自分は駄目になっていくのかもしれないし、ならないのかもしれないし。
でも、どっちに進んでも、そこには新しい物語が、きっと待っているはずだと思います。
まだ私は若造なのに、今、こんなにたくさんのことが書けるってことが、うれしくってしょうがない。
このあと、もっと年を取ったら、もっとたくさん哀しいことや嬉しいことがあったら、もっと他に物語が書けるはず。
ただ、物語を書いているときの嬉しさ、楽しさってのは、きっと、他に無いと思います。
この瞬間、この喜びと誇らしさのためなら、何を引き換えにしてもいい… というのはさすがに大げさですけれども(笑) でも、書くことというもののくれるものの大きさってのは、それくらいすごいものだと思います。

私は、日本人として生まれて、今の時代にいて、こういう生き方が出来て、本当によかったなぁ。
日本語に習熟できて、小説を書いて、そのために必要な資料も、時間も、十分にある。ありがたいことに、決して多くはなくても、読んでくれる人だっている。

小説を書くことは、ものすごーく、幸せなことだと思います。
きっとこれは小説だけじゃなくて、絵でも、音楽でも、もしかしたらスポーツでも、《何かを表現する》ってことに自分を燃やし尽くすことができる瞬間がある人は、どんな人生を送っても、どんな不遇と不幸を託っても、ある意味においては、最高の幸福を得ているんじゃないかしら。

それくらい私は、小説を書いていて幸せ。
そういう話です!


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