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『黒いたんぽぽ』への反応……? と想ったのですが、どうでしょうか。
感想は言いにくいお話だと思いますが、ぱちぱちをいただいたのはアレあてかなあと思いました。ありがとうございます。
ああいう寓話系の短い話は好き、なのですが、なんかの電波を受信しないと書けません。
短編だと、『砂糖菓子でできたおきさき』がもう何年も前の作品なのですが、あれを書いた勢いで最初のHPを立ち上げた記憶があります。
……今読むと、「なんて不気味なことを考えていたんだ当時の自分!」と思います(笑)
ええと最近不調なので、たぶん、連載の更新はしばらくストップすると思います。
場合によっては、長期休止の見込まれる連載をサイトから下げるかどうするか、と考えています。現在サイトは18000HIT、運営一年半そこそこにしてはご愛顧をいただいていると思います。
解析結果をみたところ、うちのサイトは常連の方に恵まれているらしく、100-200回のペースで見に来てくださっているお客様が一番多い。中には800回近くという方もいらっしゃって、本当にありがたいことです。
そして、何回も来てくださってるということは、たぶん連載目当ての方もそれなりにいる…… と思うのですが、あまり見苦しいものをさらしておくというのもどうにも良くないような気がするので、近いうちにサイトの整理を決めようと思います。
完結しているものはそのままにしておく予定です。
「連載中止のものは別室を作ったほうがいい」「サーチエンジンから削除したほうがいい」その他、ご意見がある方は、ブログにレス等いただけると嬉しいです。
はたして自分が病気か、それともただ怠けてるだけなのかが分からなくなるのが、慢性病にありがちな思考回路らしいですね。
病気を言い訳に怠けているのか、本当に安静が必要なのか……
悩み出すと止まらないので、とりあえずアルコールで薬を流し込んでごまかします。真似しちゃダメよ。
拍手返信です
細魚様>
今回のお話は、考えてみると登場人物が多いですねえ。
カスパールを応援してくれてありがとうございます~。『赤ずきん』からは時間軸にして3~4年経過、彼も今や20過ぎ。ファンタジー世界においては立派に大人…… さて、無事任務を果たせるのか。
彼のご主人は悩みどころです。実は暗黒童話シリーズのキャラクター紹介ページを作りたいのですが、彼について書くと全ての話がネタバレ状態というとんでもないことに。どうすりゃいいのやら。おおー。
ファンタジー書きさんとしての悩みには共感いたします。あまり絵を優先するわけにはいかず、しかし、地味すぎるってのもなんだかなぁ。
今回はとりあえず、カスパールの服装が『チュニック』なのか『ダブレット』なのか、あるいは『チェインメイルにサーコート』なのかで一時間くらい悩みました(苦笑) お互い、頑張りましょう。
葉月様>
お久しぶりです! こちらでお目にかかるとは思いませんでした~。いらっしゃいませ~。
気付けば二次創作サイトをやってたのはもう一年以上も前なのですよね。なんということだ。
当時、いろいろと模索していたことが、今のサイトに生かされているようないないような感じです。オリジナルはやっぱり難しい、というのが現状ですが、当時を思い出せばちょっと元気が沸いてきます。
まあ、暇があれば、例の倉庫のほうも可愛がってやってくださいませ。
……さて、次は何を書こうかなあ。
「白雪姫」も完結してから読み返したほうが絶対にいいだろうし、長編は鬼門だという気がします。とはいえ短編は喰い足りない。
サイト経営は難しいです。やれやれ。
あんまり詳しく調べてるわけじゃないので、間違いが混じってるかもです。すいません。
ヨーロッパだと最も一般的かつ象徴的な花は、間違いなく百合と薔薇でしょう。百合は聖母マリア、薔薇はイエス・キリストの象徴とされており、キリスト教文化だと双方非常に重要な花であります。事実、『国花』について調べてみると、ヨーロッパは薔薇を象徴としている国がやたらめったら多かったりします。
旧約聖書だと、『雅歌』と呼ばれる章に「シャロンの薔薇、野の百合」という言葉が使われており、なんとなく聖書に出てくる人たちにはこの二つが似合うイメージが在ります。
ただし、実はこの花、二種類とも園芸品種という意味だと、純正のユーラシア大陸産とは言いがたいところがあったりします。
百合に関しては、ヨーロッパ固有種は『マドンナ・リリー』と呼ばれる品種だけだったのですが、実はこれはあまり大きな花を咲かせません。花のサイズ、華やかさでいうと、やっぱり『カサブランカ』が百合の花の王様だといえましょう。
……しかし実はカサブランカは、オリエンタル系と呼ばれる品種。日本原産のタモトユリという花を配合することによって作られた品種なのです。
日本は、なぜか元来百合の固有種が多い国です。ぱっと思いつくだけでも、テッポウユリ、オニユリ、スカシユリ…… しかし、日本だとなぜかそこまで愛されていない百合の花。その証拠に和歌などでも百合をうたったものはあまり多くありません。ナゼなのか? 知りません。でも、食用としては昔から一般的だったようです。哀れ、百合。日本人は花より団子ということなのでしょうか。
薔薇に関しても実は同じで、オリエンタル系を配合しない薔薇は『オールド・ローズ』と呼ばれ、現在、薔薇と呼ばれて一番にイメージするような花弁が重なっていて花びらがとがっている…… という形をしていません。
オールド・ローズはヨーロッパ原産や中近東原産の花を交配されて作られたものなのですが、これは春にしか咲かないという特徴がありました。そこに中国原産のコウシンバラを配合してはじめて、四季咲きのモダン・ローズの歴史が始まります。
同時にその時代には、日本からも交配用の品種としてハマナスなどが輸出されていたそうです。ハマナス…… どっちかというと野生植物の印象が強いアレです。北海道とかに行くと浜辺一面に咲いていますが、白や薄ピンクの一重咲きが日本人の好みに合わなかったのか、あまり園芸品種として扱われてはいなかった気がしますね。ただし、ハマナスは匂いがよいため香油のために栽培されることもあるそうです。
日本語で薔薇をいうと、『長春花』などといいます。四季咲きでありどの季節でも咲いているからこその呼び名でしょう。ただし、やっぱり日本だとあまり薔薇が愛されていたような気はしません。薔薇を書いた有名な短歌、着物、絵なんかはあまり無いような気がする…… ってのは、やっぱりそういうことなんだろうなぁ。
17世紀~20世紀、プラントハンターと呼ばれる人々が活躍した時代がありました。彼らの仕事は船に乗って海外へと行き、珍しい植物の種や苗を観賞用・薬用などのために持ち帰ることです。
今となってはあまりピンとこない概念ですが、こういう風に調べてみると、たしかにそれはロマンティックな仕事だっただろうなぁと思います。
まだ鎖国を解かれたばかりの日本へと訪れて、たくさんの花をつけた大輪のヤマユリの株を見つけた、あるいは浜辺で芳しい花を咲かせるハマナスを見つけたプラントハンターは、どういう風に思ったのでしょうか。なんか小説になりそうな話です。
ちなみに、聖書に出てくる『百合』というのは、現在でいうところのチューリップの仲間ではないか? と言っている学者さんもいるそうです。オリエントには百合は自生していないためです。
逆に言うと、日本だとあんなにも愛されて品種改良の対象になっているサクラの仲間は、ヨーロッパだと食用として扱われていることが多いようです。サクランボ、スモモ、アーモンドなどはどれも似た仲間であり、白~ピンクの一重の花をいっせいに咲かせるのですが、ヨーロッパの人がその下でお弁当を広げてお酒を飲むという話も聞かないので、たぶん、あんまり花を見る植物だという認識はされていないのかもしれません。リンゴの花というのはある意味美しいニュアンスがあるようですが……
日本だと、春になるたびにJ-POPで『サクラ』をあつかった歌が出てくるんですから、サクラへの偏愛はそうとうなもんだよなぁと思います。ちなみに韓国だとムクゲ、中国だとウメやボタンが主に愛されているそうですが、ムクゲ…… あんまり日本だと一般的じゃないですよねムクゲ。
ちなみに自分の中で一番ヒットだった国花は、カンボジアの『イネ』だったりします。
カンボジアの人たちは、緑のイネがうつくしい水田を見るたびに、懐かしいカントリーな風景だなあと思っていたりするのかと思うと、なんだか可愛いなぁと思うのでした。
ちなみに、かのアメリカ合衆国には国花が無いそうで…… 資料によってはセイヨウオダマキと書いてあるモノもあるのですが、うーん? 自分はハナミズキが国花だと信じてたんですが、資料によってまちまちです。日本だと慣習としてサクラが国花ですが、天皇家の花はキクなのと似たようなことなのかもしれません。
いちおう連載中の作品には表示を付けてみました。
でも、シリーズをまとめてひとつのコンテンツに放り込んでるヤツは、やっぱりちょっと扱いが違う気もするのですー。もうちょっと何か考えておきます。
だんだんリヒテルビンの存在感が大きくなってきたような……
政治関係は書けば書くほどややこしくなるので、正直、自分の手にあまるような気がします。面白く読ますには実力が必要だしなぁー。
暗黒童話はいちおう中世ファンタジーと銘打ちつつ、書いてて、世界観はあきらかに『中世』よりも後のような気がします。
というよりも、大体のファンタジーは絶対王権が樹立してるよりも後の話なので、近世が舞台になってる気がします。ルネッサンスよりも後ですね。それより前のヨーロッパは暗黒もいいところなので、真面目な話、ファンタジーの舞台にするのは難しい(苦笑)
んー、ローマとか、中国とかを舞台にすれば、もうちょっと文化レベルがあがる気がするので、文化はヨーロッパ風、中身は中国風とかにしたらいいのかなという気もします。折衷案として。じゃあ律令とかあるのかしら。そのうち科挙とか出てくるのかしら。
中世ファンタジーでとにかく頭が痛いもう一個のことは、食用作物の少なさです。
大航海時代以降にヨーロッパに渡ってきた作物ってのは予想以上にむちゃくちゃ多く、しかも、ヨーロッパってのは寒いせいで作物が育ちにくい! のです。
イギリスとかドイツを舞台にしてしまうと最悪で、ヨーロッパ原産の葡萄(寒冷に弱い)は育たないし、砂糖は輸入品のみだし、イモが無いので人口がむちゃくちゃ少なくなります。ようするに人口を支えられるだけのカロリーを農作で維持できないのです。
えー…… 当サイトのファンタジーだと、とりあえず、作物の輸入時期については、大ホラを吹きまくっています。
砂糖が無いから甘味料が無い? じゃあ砂糖楓(メイプルシロップの原料。寒冷種で北アメリカ原産)が生えてることにしろ! ジャガイモはなんかしらんが栽培されてる! 南リヒテルビン以南(旧フランドルとか)だと葡萄が生産されてて国内でワインを流通させている! それより北だと蜂蜜酒かスモモ酒かメイプル酒(そんなんあんのか)が一般的!
そういう意味でありがたいのはハーブです。あれはローマ時代からたいていは使用されてたのでファンタジーに出してもOKなのがありがたい。薔薇とか百合はダメ。あれは東洋から輸入して交配してるから。
……えーっと、あと、綿と絹は南から主に輸入してるってことで。染料は知らん。潰すと紫色になる虫がいるか、あるいはたぶん緑は砒素とかで染めてるんでしょう。(着ると死にます)
でも火薬は無い。あるとしてもまだ鉄砲を作る技術はない。そういうことにしておけ!
『デルトラクエスト』っていうファンタジーがあり、それのアニメ版を見たんですが、火薬投擲弾があるのにびっくりしました。要するに手りゅう弾のご先祖様みたいな? 投げると衝撃で爆発するミニ爆弾です。
真面目に私はアレがファンタジーに出てるのを見たことが無かったので、けっこうびっくりしました。しかも魔法使いがいない。(魔物はいる) そうか、あれが英語圏のファンタジーのクオリティか……
自分、かつてスイスに行ったことがあり、そのときにシヨン城っていうお城を見てきたのですが、あれはとにかく勉強になりました。
最低でも11世紀にはすでに建造されていたという本物の『中世のお城』で、とにかく質実剛健、そうかあ中世ヨーロッパのお城ってこうだったんだぁ! という気分でした。
窓の硝子は壜底のようなガラスを鉛でつないでるし、壁とかは保温のためにタペストリーがかけられてるし、壁に代々の領主の紋章が書いてあるし、地下牢はあるし、銃眼はあるし…… シヨン城はレマン湖に張り出してるので、トイレとかは穴。ただの穴。そのまま下に落とすだけ。なんてシンプルな。
当時の武器もかなり展示されており、本物のモーニングスターとか、ハルバードとかもあるし、鎖帷子とかもちゃんと置いてある。そしてバスタードソードもある。……ただの十字型の鉄の棒でした。(感想) あれを振り回すってどういう体力なんでしょう。そしてアレで人をぶったたいたら手がしびれて剣を取り落としそうです。やっぱり剣って実用性のない武器です。やっぱ槍か斧ですよ。美しくないけど。
父と二人で行ったので、興奮してる私は「中世のお城マニア」という不名誉なからかいを受けましたが、とんでもない。ファンタジーの基本ですよ。
いわゆるお城ってのは、ああじゃなくっちゃと思いました。シンデレラ城みたいなのはアレお城と違う。宮殿です。篭城戦に対応できてこそのお城。壁を昇ってくる兵隊に煮えたぎった油をぶっかけてこそのお城。
まぁ、とにかく、ファンタジーってのは書いてて時代考証的に頭が痛い…… という話でした。
『ぼくらの』というのはすごく欝な設定のアニメらしいですね。
実物を見たことはないのですが、主題歌、『アンインストール』を入手。繰り返し聞いております。
”アンインストール この星の無数の塵のひとつだと いまのぼくには理解できない”
恐れを知らない戦士のように振舞うしかない アンインストール”
数ヶ月前のSFマガジンに、なんとなく、心にすごくひっかかる評論があったので、それについて。
今の世の中には(それは現実かどうかはおいておいて)、ものすごくサバイバル感ってのがある、っていう話です。そして、いわゆる『セカイ系』はすでに時代遅れになっていて、今、もっとも最前線にある感覚ってのは『サバイバル系』だと。
例としてあげられていたのは、『デスノート』と、『コードギアス』、『バトルロワイアル』でした。
前者2作は、有能で傲慢な主人公が、革命家として世界の変革を求める話。でも、作中だと彼らの人格には不完全で稚拙な部分がある、ということが指摘されているとその文は続けます。つまり、「殺される前に殺す」という論理は不完全であり、決して正しい解答ではない。でも、最後に若年層から圧倒的な支持を得た『バトルロワイヤル』を入れると、話がとたんに変質します。
もう10年も前、90年代の末に、『平坦な戦場でぼくらが生き残るということ』、という言葉がありました。
なんていうのか、つまり、どこまでもフラットに続いていく『世界の終わり』。映画が終わった後に流れるつまらないホワイトノイズのような世界。そこで、自分自身を見失うことなく、心を失うことなくサバイバルをしていくためにはどうすればいいのか…… そんな話。
でも、今の『リアル』は、そんな問いかけを許すほど、生ぬるくなくなってきている。
『平坦な戦場』を90年代のリアルだとしたら、00年代のリアルは、『今から殺しあいをしてもらいます』でしょうか。「ぼくってなんなんだろう」などと問いかけている暇があるか? そうやって立ち止まっているやつなんてさっさと撃ち殺せ! あいつを消さないとぼくが、あるいはぼくの大事な誰かが消される。そうやってAKを握り締めてサバイバルをしなければいけない。
こういう世界だと、『弱い』というのは、悪以外の何者でもありません。
闘う力を持たない、闘う意思を持たないものは、敏感にそれを感じ取ります。丸腰で戦場に放り出された彼らは、とにかく、必死で逃げ惑う以外に方法を持ちません。周りの人間がすべて敵だったなら、徒手空拳の自分が、どうやって生き残れるか? 必死で逃げ、隠れ、息を殺して嵐が過ぎるのを待つしかない。いつ過ぎるか分からない嵐を? いつ見つかるかも分からないのに?
……でも、だからって、外に出て行ってそれを問いかけるというのは愚かなことです。だって、相手は銃を持っている。見つかった瞬間に、自分は、撃ち殺されてしまう。
戦いをやめさせたいですか? どうやって? ガンジーみたいに武器を持たずに行進しますか? たぶんクレイモア地雷で爆破されるのがオチでしょうね。戦いをやめさせたいなら、大事な人を守りたいなら、もっと強くならないといけない。もっと強く、もっと、もっと。自分に逆らうもの、『悪』であるものたちをすべて従えて、己の圧倒的な力の前に屈服させないといけない。それが始めて、世界を平和にするたったひとつの道。
……あなたは、そこまでの力を持ち、他の『正義』を掲げた人々と、戦い続ける力がありますか?
無いのなら、あなたは死ぬでしょう。死ねば、結局ほかの『弱い』人々と同じです。鉛玉を脳天にぶちまけられ、脳漿をまきちらして死ぬならまだましでしょう。穴だらけになってもまだ死ねず、這いずり回って必死で彷徨った末に、苦痛と絶望の中で終わるかもしれない。
『ブラックラグーン』とかも、なんとなく、これと似た匂いを感じますけどね……
殺さないと殺される。だから殺す。相手がこちらを殺そうとする前に殺す。理由は何も無いのです。「相手が私を殺そうとするから」 それだけが、戦う理由です。
”あの時最高のリアルが向こうから会いに来たのは
僕らの存在はこんなにも単純だと笑いにきたんだ”
最高のリアル、それは『生』と『死』。
人間が体験しうる極限のリアリティ。そして人間にとって、最も強力になりうる欲望というのは、『死にたくない』でしょう。セックスするのも、ものを食べるのも、呼吸をするのも、眼が見えるのも音が聞こえるのも、すべてを還元すれば『体』を生かすため。それ以外に理由は無い。
生をも凌駕する誇りを得たものは、あるいは生を維持するのが不可能なほどの苦痛を得たものは、もしかしたら、『ただ生きるよりもさらによく生きるため』に、命を引き換えにする方法を見出すかもしれません。
でも、人間は呼吸する。心臓を動かす。血液を循環させている。生きるために。
―――すべての幻想を否定した末に出てきた真実の『リアル』ってのは、ずいぶんと単純です。
自分は無力でちっぽけで、誰かが殺そうと思えば簡単に殺されてしまう。
たった一本のロープで、包丁で、一台の車で、ホームから背中を突飛ばす手で、あるいはデパートでも購入できるようなシンプルな毒物で、死んでしまう。
「側にいるだれかが自分を殺そうとしない」という最低限の安心感が、社会を成り立たせる最低限の契約です。
これさえ奪われたとき、あとには何が残るのか…… 今後が楽しみであります。