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 その島は夜、対岸から見るとおおきなデコレーションケーキに見えるのだと、チカゲは知っていた。それもちいさな子どもの誕生を祝うパーティケーキ、たくさんの蛍光色のバタークリーム、砂糖細工やマジパン細工の菓子、ぱちぱちと爆ぜる花火を飾ったケーキ、食べられない、華やかで祝祭的なケーキだ。
 事実そして、ソレはその通りなのだと今のチカゲは知っている。
 不夜城のように島を彩る赤や緑や白の炎は、多くのゴミを埋め立て、今もぐずぐずと地盤沈下していこうとしている地面の底からガスをだし、燃やしている炎の色なのだ。島と本土をつなぐ《雄橋》と《雌橋》には今日も春をひさぐ子どもたちがカーニバルの華やかさで笑いさんざめく。化繊、メッキ、プラスチック、ゴム、羽毛。脂粉と汗と精液と、子ども独特の甘ったるい体臭の、交じり合った匂い。
 この島はケーキだ。腐ったケーキ。
 チカゲは誰かの反吐がこびりついた橋のたもとによりかかりながら、島の明かりを見上げ、うっとりとそう考える。
 腐ることは、発酵することであり、熟成することであり、還元されることであり、また、練成され、変成されることでもある。
 チカゲの妄想は言語に依存している。チカゲの細い指、パラフィンでガラス棒を覆ったような指がおもちゃのキーボードをたたくぎこちなさで動くと、腰に付けられたカクテル・ボードが、ネイサン社製のアシッド系ドラッグ”へヴンアイズ”をチカゲの体内へと送り込む。チカゲのお気に入りのフレーバーはだいたいはアシッドを中心にして、その日の気分により、7種類のドラッグを調合する。多くても少なくてもいけない、七種類、虹の色彩の種類である数でなければいけないのだ、とチカゲは信じている。
 チカゲの調合のなかでも特徴的なものである、天然のイヌホオズキからとられたスコポラミンが、漆黒に近いチカゲの目の中で瞳孔を拡張し、その目のつぶらな黒さを、さらに強調されたものとする。
「チカゲ」
 橋の上から、ふいに、声がした。チカゲは緩慢にふりかえった。ゴミの積もった斜面をすべりおりてくるのは、ひょろながく背の伸びた12歳の少年。あるいは少女だろうか。ゼブラ柄のスキニーパンツの腰に何色ものアクリルの鎖を飾り、パンチで耳殻を打ち抜いた耳には、ハート型のプラグがはめ込まれている。
「カカオ?」
「チカゲ、お客さん」
「……なんで?」
 カカオ、と呼ばれた少年は苦笑して、チカゲの傍まであるいてくると、真っ白な頬をかるく叩いた。湿っぽい音がした。
「さっき、客を呼んでるって言ってただろ」
「言ったかな?」
「言った。たった、5分前だ」
「だったら、憶えているわけないよ。今日は三分だもの」
 答えながらたちあがると、真っ白な足がやわらかい汚泥に埋もれた。身体をひきとめようとする泥の抵抗をむしろ楽しみながら、チカゲはよろりと立ち上がる。真っ白な肌、脱色とも染色とも縁の無い生の黒髪、すりガラスのような質感の合計で18の爪は、外ではおとなしい少女で通るのだろうはずが、この島では逆に異様だ。腰のカクテル・ボードは、うさぎのキャラクターがプリントされたビニールバックで肩からつるされている。
 だが、チカゲの姿は、シンプルでも、良識的でもない。
 おおきく開いた目、虹彩ぎりぎりにまで拡張した瞳孔と、そのまわりをびっしりと覆った黒く短いまつげ。
 その表面、うるんだ角膜の上にまで、油膜のような万色が繁茂する。
 チカゲは軽く髪をはらった。胞子が、雲のように飛び散り、虹色の煙となる。細い襟足から肩にかけて、生白い色のキノコが、うるんだ灰色の子実体が、黄色や赤の粘菌が、無目的で無意味な極彩を描く。
「今日は、三分だ。調整している子実体が、それ以上は持たないんだよ」
「へぇ、やばそうだな」
 短く口笛を吹くカカオは、しかし、ひどく面白そうな顔をしている。細い足を泥からなんとか引っこ抜いたチカゲは、ゴミの積もった斜面を、すべての手足を使ってよじ登り始める。
 爪は、手足を合わせて、18枚だ。
 残りの二枚、両手の薬指からは、しっとりとした頭をもちあげて、真っ白な茸が顔を出そうとしている。
 チカゲは、この”ネヴァーランド”でもっとも”ナチュラル”なアシッド・ブレンダーだった。
 ”ナチュラル”なことにおいては、彼女の右に出るものは居ない―――
 なぜならチカゲの作り出すアシッドは、すべて、彼女の身体を苗床として精錬されているのだから。
 あるいは、彼女の妄想を、というべきなのだろうか。
「さあカカオ、客はどこだ。注文の成分は、もう、精錬が終わっている」
 チカゲは、ガラス玉のような眼をまたたきもせずに、言う。
 その透き通った漆黒のひとみの表面をも、何種類もの菌糸や粘菌が、いっそ人工的な極彩色で、いろどっている。

**********

続かないよ!
牧野修氏の”MOUSE”を読んでいて、そのあまりにアシッドな世界観に圧倒されて。
妄想が現実を侵犯するっていうアイディアは他のやつでも同じだけど、やっぱり初期作品の”MOUSE”は別格。18歳未満の子どもだけが住む無法地帯ネヴァーランド、ドラッグを体の中に直接送り込むためのカクテル・ボードを見につけた子どもたちが暮らすアウトランドを舞台にしたアシッド・パンク・ノベル。
でも、最終話ラストの、深海魚のネオンめいた光のような透明感にはうっとりする。ていうかジョン・メリックすてきすぎる。
体中に茸をはやした女の子については、こういう絵をかいてる人がどっかにいたような気がする。

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