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最近ちょっと小説の進みが不調気味です。あちこち手を出して書いてる連載が進まねぇー。仕方ないので設定とかやってるんですけど、いいのか、これで。
12/16 S-Wolf様>
白雪姫、見てくださったようでありがとうございます。ええ、予定通りの展開ですね……
直接的な描写は今回は必要ないのであえて省きましたが、「何がされてた」かはほぼ予想通りかと。シュネイゼの口からはとてもとても説明できないような内容だとだけ…… うん、必要の無い残酷描写は避けるほうです。といってもいまさら誰も信頼しないと思いますが。(笑
「体をゆする」行為のことは「ロッキング」というのですね。知りませんでした。なんとなく知的障害者っぽく、とは思ってるんですけれども、肝心の彼ら彼女らへの知識が無いので説得力の無い描写になってないかちょっと心配だったのですよね。リアルと言っていただけると嬉しいです。喜ぶべきなのかは分かりませんが。(苦笑
えーと、虐待行為の中での性行為の有無の詳細については、ヤオイ論その他には関係あるのか、自分でもけっこう無意識に書いてる部分なので、あまり恣意的にそういう感じにしようかと思ってるかというとそういうことはないです。ごめんなさい。
ただ、ヤオイの中でよくある『愛があるゆえの強姦』云々に関しては、自分的にはいろいろと取るべきスタンスがあるかな、という気はしてます。自分も二次創作のときはそれに類するものを書いてましたが、男女だと書けない、というか純然たる暴力ってことになっちゃうことに関しては不思議には思ってます。むしろソレが現実でのリアルなのでしょうに、ヤオイだとなぜか『愛あるゆえの強姦』。これって何故でしょう。自分内でもヤオイと非ヤオイでスイッチが切れ変わるっていうことに興味深さを感じます。
そういや昨日、友人某嬢と「フェミニズムについて」というテーマでいろいろ話してました。
「女性」という枠があるとき、ソレに対する対応は「枠を逆手にとって利用する」(女らしい女の子の道)、「枠に背を向けて逃避する」(腐女子やゴスロリ少女など、『普通じゃない』女の子の道)、「枠と戦う」(フェミの道)の三つがあるんじゃないかなー、という話をしていたのでしたが、「枠」として「女性性」が意識されているってことに、「男性性」と「女性性」の違いがあるような気がふとしました。
『ビューティコロシアム』というなんだかとても不自然な番組については、ご存知の方も多いと思います。
『醜い=不幸な女性が、美しくなる=幸せになる』という図式を不自然なまでに強調しているこの番組。『醜い=不幸』な女性の晒し者っぷりはほとんどサイド・ショー的な見世物趣味に満ちてていいのかなぁと思うのですけれども、これって、ある意味だと男性の成功者が語る物語の女性版再生産に過ぎないんだよなあとふと思いました。
『弱い=不幸な男性が、強くなる=幸せになる』という物語は、なんつーか、世の中死ぬほど氾濫しております。少年漫画なんて大半はそういう枠にはまってるし、強さ/弱さと権力を読み替えると大人向けの作品ですらそういう物語だらけな気がする。
でも、ひとつそこで感じるのは、女性版権力物語の『ビューティ・コロシアム』の奇妙さを指摘する声は探せばけっこう見つかるのに、男性版権力物語を批判する声はあまり見かけないという不均衡です。
『ビューティ・コロシアム』的物語に対するアンチテーゼとして非常に決定的だったよなあと自分が思ったのは、岡崎京子作『ヘルタースケルター』という漫画です。これはとある醜い少女が全身美容整形を経てスターダムへとのし上がっていく、という物語なのですが、物語は最終的には破壊的な結末を迎えます。実は73年にすでにティプトリーというSF作家が『接続された女』という物語を書いており、これは『ヘルタースケルター』と良く似た構造の作品でもありました。『醜い=不幸→美しくなる=幸せになる』図式の否定。その図式が所詮は「女性という枠」の中で演じられるゲームに過ぎないという指摘は、フェミニズム・フィクションからの提唱として、すでに30年以上も前からなされてたってことです。
では、男性におけるそういった物語は、どういった形で否定されてきたのか?
個人的にすぐ思いつくのが鉄腕アトムの『史上最大のロボット』(現在『PLUTO』としてリメイクされてますね)、藤子・F・不二雄の『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』なのですが…… あとはアメコミの『ウォッチメン』『バットマン/ダークナイト・リターンズ』が「アメコミ的正義の否定」を行って改革をもたらしたという話をきいて興味はもってるんですが、アメコミ両作品は未読です。しかもこれらの作品は「超人の苦悩」をとりあつかったものであって、直接的に「力を得ること=幸福」という過程そのものを否定してるわけじゃない。(ただし『史上最大のロボット』はあの時代にして『習慣少年ジャンプ的男子の成功物語』を見事に否定しててすごい。手塚治虫はやはり天才です)
サブカルチャーから読み込むメンズ・リブ、ってのは、あまり語られてない分野だよなぁと思います。興味が無いから知らないだけかもしれないけれども、フェミニズムSFって言葉はあってもメンズリブSFって言葉は無い以上、まったくの見当違いでもないと思う……
だれか論者がそういうこと語ってないでしょうか。あったら読んでみたいです。お勧めがあったらぜひ教えてください。