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昨日はエヴァンゲリオンでSDナイトガンダム物語をやったらどうなるだろうという話でもりあがってましたよ。
ユニットが全部SDサイズで人間キャラクターと一緒にしゃべったり動いたり。(ガンダムが機兵に乗るという理不尽は認めません) 話は基本ファンタジー。主人公は当然表題作のユニット。この場合はエヴァ三号機。
結果、ちょっとクトゥルフ風味のダークファンタジーであろうと話がまとまりました。
こんな感じ。
とある海に程近い古い街、領主の息子イカリ・シンジは冷淡な父親と母親の不在に傷ついた孤独な少年だった。幼馴染のアスカ、教会学校の教師ミサトなど、わずかな人々には心を開きつつも、心を閉ざしがちな孤独な日々を送っている。そんな彼がある日、いつものようにうらぶれた旧市街をさまよっていると、MS族の奇妙な男が裏道にうずくまっているのを発見する。深く傷ついた彼は名を持たず、ただ、『自分は三番目だ』との記憶だけが残っていると語る。彼、サードは自分自身の記憶を失っていた……
で、まあ、MS族(この言葉、違和感……)のエヴァンゲリオン三号機ことサードと、彼に出会った少年シンジが、エヴァシリーズの謎と街に秘められた陰謀を解くために冒険をする、という物語。
レイがそのまんま初号機の人間形態の姿というか初号機がレイだったり、アスカが『セカンド』に吸収されて敵になったりと様々ですが、なんとなく陰謀渦巻く不可解な感じ、セカイ系っぽい雰囲気は原作から借りてきます。
でも福音書(エヴァンゲリオン)というよりもクトゥルフ神話だぜ。どっちかっていうとそっちのほうが好きなんだぜ。
なんか一つの街から出ずに話が進行するあたり、TRPGで言うと3話くらいのショート・キャンペーンっぽい感じだろうか。
でも単純にビジュアル的に、ボロボロのマントを纏ってマゴロク・E・ソードをぶんまわす等身大のエヴァ三号機っていう雰囲気がカッコいいと思ったからのコレ。なんか近未来SFっぽいビジュアルですね。
まあいまどきエヴァってのも古いし、ナイトガンダムはもっと古いんですが、なんとなくいいなぁと思ったからこんな感じ。
ビックリマンも復興してるんだし、種もあるんだから、またやってくれないかなあ…… ナイトガンダム物語。
なんか図書館で借りてきた本と読了スピードが違う…… とはいえ『テヘランでロリータを読む』は未だに読み終わっていないので、単にお金出してるからとかいう問題じゃないかも。
『大奥』は相変わらずのフェミニズムSFっぷりです。
男性しか罹患しない非常に致死率の高い伝染病が蔓延し、人口に占める男性の割合が異常に低くなり、男女の立場が逆転する…… というなんだか懐かしい設定(昔よく似た設定のSFがあった)ですが、今回はちょうどその病気が社会に定着し始める時期を扱っているため、さらにフェミニズム色が濃いです。純愛なんて売り込み方をされてるからって騙されてはいけませんよ(笑)
フェミニズムっていう言い方は古い&バックラッシュを食らいやすいので、『ジェンダー』と言った方が正しいのかもしれないけど、やっぱり女性の側から取り扱ったジェンダー論はフェミニズムになりますね。
内容については個人的に読んで確認して欲しい子がいるので触れませんが(帰国を待つように(笑))、(BL+プロ作家)×非BL作品=フェミニズム という公式になにやらTONO『カルバニア物語』を思い出してしまいました。
そもそも作品がドラマ化もされ、ストーリーテリング力には定評のあるよしながふみですが、この人は本来スラムダンクのやおい同人誌で活躍していた同人誌作家です。で、引き合いに出したTONOさんはキャプテン翼の同人誌作家。世代だと一世代ずれてますが、同じく同人誌出身のやおい作家だという意味だと共通してます。
『カルバニア物語』はカルバニアという架空の王国を継いでしまった10代の女王タニア、同じく公爵家の後取り娘である男勝りのエキューの二人の少女を中心に回ってるややコメディ風味の王宮ファンタジー、なんですが、これが読んでみるとあら不思議フェミニズムの本なのです。フィクションに包んで恋愛なんかもあつかっちゃうため、あたりもやわらかで、声高に主張するところのない雰囲気が『大奥』と似てるかも。
『大奥』二巻では男性、女性双方からのパワーハラスメントの暴力性についてが歴史上の人物名を借りて描かれ(このいじり方が実に上手に『歴史改竄SF』してて面白いです)、『カルバニア物語』だとそれに加えてジェンダーの束縛からの脱却の可能性についてがソフトに書かれています。
現代的なセクハラの本質は『パワーハラスメント』、権力を持った男性、現状容認派の女性からの社会的な圧力である。さらに、『大奥』の場合はそこに男性側からの嫉妬の問題が加わっているということが生々しく描かれています。
この辺の『嫉妬』とか『圧力』あたりの感じと、なんていうか登場する(善玉)男性キャラクターのフィクションっぽいセンシティブさが、『やおい』してるよなーって感じがすごくします……
私はいちおう『やおい』をやってる(た?)腐女子ですが、本質的にはそっち方向の人間ではありません。どっちかっていうと男性向けのほうが好きだからより重症かも。自分自身の『女性性』への憂鬱度、という意味で、です。
社会的な女性性への期待がどうしても憂鬱、でもそれと積極的に戦ってく気力もあんまり無い、っていう潜在的フェミニストって、意外と腐女子には多い気がします。
知り合いの至言で「男性にだったら思う存分暴力をふるっても後ろめたくないからやおいが好き」というのがありますが、そうなんですよねぇ。自らの感じてる社会的な圧力をフィクションとして描いてすっきりしたい、けど女性キャラクターに対する暴力は容認できない、という二律背反が腐女子をセンシティブ、かつ暴力的なやおいに走らせてるよなという気が最近します。
「恋愛しろ」「恋愛はすばらしい」「男性/女性はこうあるべきだ」という物語から脱却して思想を構築することはできないけれど、無意識にそれにたいする固着と嫌悪の両方を感じている。それで世の中と妥協していこうとすると、ほどほどに『女性』を演じながら裏でこっそりとやおいを書く腐女子が出来上がります。
ちなみに『やおい』と書いて『BL』と書かないのは本質的に双方でファンタジーの度合いが違うと思っているからで、大半の場合は『やおい』のほうがより生臭い、切れば血の出るような痛々しいリアリティを持っている…… ような気がします。というのも『やおい』を書いてるのは大半が素人だから、かつ、世間の需要に迎合する必要がないせいで細分化しがちだからなんでしょうが。
『やおい』『BL』共に、自分自身への内的外的な違和感と、それを受容してくれる他者への出会いが繰り返し描かれます。『BL』の場合はそれをゲイ社会というカタチで還元して普通の社会性へ着陸しますが、『やおい』は延々と思春期的に痛みを伴った違和感の段階にとどまり続けることが多い…… と思う。
(『BL』はあんまり読まないので、詳しい人には別の意見もあるかもしれません。それにやおい界もBL界も広いので、双方互換的な作品もたくさんあります。)
自分の内面を理解してくれる誰かの登場、というファンタジーが、なんていうか、フィクションでしかありえないレベルにセンシティブな攻キャラひいては男性キャラクターの登場に繋がります。『大奥』二巻がなんとなくやおいっぽいと思ったのはそのせいで、『傷ついた内面を持つキャラクター』と『それを受容し癒すキャラクター』が登場し、しかもそのどちらがどちらとも言い切れないって感じがやおい的だと思ったのですね。で、『大奥』の場合は受/女性であるところのキャラクターの『傷』の原因が彼女の女性性への外からの攻撃にあるということが明言されちゃってます。これはなんていうか、『やおい性』のある作家だから書いちゃったって感じがすごくする。自らのフェミニズム性を自覚した腐女子が、さらに『性差のあまり必要無い世界』で実力を磨ぎ、とうとうその伝家の宝刀を抜いちゃったな、って感じの作品です。
やおいを経てオリジナルに行き、やおいの関係ない作品を書いてるオリジナル作家って、なんていうか、やっぱりどことなく『女性性』の取り扱い方が普通の作家とは違うな、という気がすることが多いです。
漫画家の今市子は客観的な恋愛の出てくる『家族モノ』は書いても主観であるキャラクターは男性としか恋愛しないし、『デルフィニア戦記』の茅田砂胡は一種の超人主義に走って登場するキャラクターが潜在的にすべて男性というすごい世界にたどり着いてしまいました。
ってゆーか、『やおい』ってのはどうしても自らの女性性への違和感というモノから逃げるためのアジールとしての存在であるわけで、大人になってもそこにとどまり続けている人、しかも一般向けのプロでやれる実力で『あえてやおい』の人は、最終的には自らの女性性について悩み続ける、つまり潜在的なフェミニストでありつづけるもんなのかもしれません。
よしながふみはどっかのインタビューで自らのフェミニズム性について語ってたらしいから、結局、自覚的にフェミニズムを書く、しかもそれをSFとして、恋愛モノの殻を被らせて書く、というすごい道、でもある意味とても元腐女子らしい道を選んだのかなーって気がします。
でもここまで書いてきて、これってすっげー『古いやおい論』『古い少女漫画論』を踏襲してるだけって気がしてきた…… とはいえ、自分は結局萩尾望都とか大島弓子が好きな人なので、屈託の無い『今どきのBL』にはイマイチ。
やっぱり『やおい』はセンシティブで痛いものであってほしい、という感じですかね。で、このセンシティブさ、痛さ(客観的に『痛い』って意味じゃないよ)、ってのはなんとなく男性向けにもある感じだよなーって気がしてきたんですが、だけど、男オタクがメンズリブやジェンダーに走ることは少ないってのが不思議。『電波男』本田透氏もなぜかジェンダーに行かずにオタク論に行ってしまったし。やっぱりジェンダー論はまだ男の人を救済してあげられないんですかね。どうなんですか、男性のオタク諸氏?
リンクを向こうから張ってもらえないかなあ、相互リンクしてもらえないかなあ…… と思ってるサイトがあるんですが、どう言い出したらいいのか分からずに悩んでます。
先方はどうもウチのサイトを見てくれている(んじゃないかと予想)されるし、こっちもオープン当初に比べりゃコンテンツも充実してきたし…… でも、こっちはすでにリンクを張ってしまっているので、いまさら「相互リンク……」というのもなんだか変だよなーと思って悩んでいるのでした。
こういう場合ってどうすりゃいいんですかね?
なやむ(笑)
最近絶好調乱暴中なんですが、ウメ様、何があったの……? 触ろうとすると噛み付きます。背中の毛を立てます。そして家中を荒らしまわってます。
うちの部屋の扉(和室で引き戸)のドアなんて、ウメ様に上から下まで齧られてギザギザです。母の大事にしてたシャドウボックスも額縁がやられてえらいことになってしまいました。
どうしてなのかなー。齧り取った木のカケラを背中に差し込んでるところとかはけっこう可愛いんですけど。もしかして絶好調発情中なんでしょうか。
私が首をカイカイしてあげたら、うれしそーに眼を細めていたころのウメ様が懐かしいです。しくしくしく。反抗期になった息子に「うるせえよ消えろクソババア!!」って言われた母親ってこういう気持ちなんでしょうか。
ところで最近寒くてウメ様の体調が微妙に心配です。
一応プレートヒーターを籠に仕込んで、籠をタオル巻きにしておいてるんですが、この程度の防寒で十分なのかなぁ……?
羽のモモヒキ履いてるくせに裸足なんですもんね、ウメ様。靴下でも履かせてあげたい気分です。
書きかけの日記を間違えて消したので、もう一回チャレンジしてみますorz
病院の日にちを間違えたので、無意味に自由が丘まで出てしまったため、そのまま無意味に渋谷まで行ってしまいました。
仕方ないのでそのままツタヤとブックファーストへいってCDを借り本を買う。そして今帰ってきたところです。
本日借りたCDは
マリリンマンソン『メカニカル・アニマルズ』
戸川純『ツイン・ベリーベストコレクション』
Cocco『ザンサイアン』
ARI PROJECT『選ばれし者たちへ』『エトワール』
黒色すみれ『ぜんまい少女箱人形』
なんか少女系とパンク・メタル系が混じってるので、上から順番に並べてみました。Coccoはちょうど中間ですね。少女系だけど音がパンク。
ARI PROJECTは深夜偶然みたアニメのEDテーマがかっこよかったのと、『人造美女は可能か?』っていうエッセイに寄稿した宝野アリカの原稿がなかなか良かったので借りてみたんですが、どんなもんだろうか。黒色すみれはライブが良かったので借りてみました。山本タカト氏のジャケットがかなりカッコよい。山本タカト氏は最近メジャーだよな~。
あと本屋で買ってきたのは坂口安吾『桜の森の満開の下』。目的は表題作じゃなくて収録作『夜長姫と耳男』。好きな人形師さんが夜長姫というタイトルの人形を作ってたのがきっかけで買ってみましたがどんなもんだろう。
立ち読みしたのは『「準」ひきこ森―人はなぜ孤立してしまうのか? 』と三浦しおん『シュミじゃないんだ』。前者はタイトルどおりの引きこもりマニュアルで、後者はBL本に関するエッセイです。
後者から先に言うと、直木賞作家にも関わらずBL漫画フェチ…… という作者の生活が垣間見えてものすごい本かつ面白い本でした。「本棚が肌色なのをナントカして欲しい」と家族に苦情を言われ、「職業は現在古書店従業員」ってことは作家業だけで食ってけてないってことか三浦しおん?(直木賞作家なのに) というなんだか世知辛い日常と、行間からあふれる『ボーイズラブが好きだ! これはシュミじゃねえんだ人生なんだ!!』という絶叫がなんとも笑えます。
最近、『暴れん坊本屋さん』というエッセイ漫画が割りと売れてるようですが、これもBL雑誌で連載されてる作品なんだよなぁ。私はBL好きではありませんが、プロになっちゃうほどBLを客観視してるBL好き女性さん特有のユーモアはなんか好み。自虐的で『おんなおんな』してない女性、図書委員とかやってる女の子の仲間内でのムードが垣間見える作品。
ちなみに腐女子とBL好きの間には微妙に温度差があって、私は腐女子ではあってもBLは好きじゃないですが…… この辺はなんかアニヲタとアイドルヲタの差みたいなもんで、外部の人にはわかりがたい所だと思うので割愛。
『「準」ひきこ森―人はなぜ孤立してしまうのか? 』に関しては…… うん、作者が言うとおり、これはどう考えても2CHで叩かれる本だわ。
要するにコミュニケーション能力の不足した人間がひいては引きこもりになり苦労するということを、自ら『元準ひきこ森』だとカムアウトする作者が主張する本なんですが、全体的に煽り口調なのがなんともいえない。ただ、『引きこもり的な人間はいつの時代も存在して、その時代時代に存在する娯楽などに没頭して孤独に生きていたんだろう』と分析する当たり、この作者はけっこう冷静だと思いました。
ニート・引きこもりなどについて語った本で出色な『ニートって言うな』とあわせて読むととっても面白い本かもしれません。『ニートって…』の中で、『純ニート的な人間というのはいつの時代も一定割合で存在していて、その人口に対する割合は現在も変わっていない』という分析があるんですが、ようするに『「準」ひきこ森』はそういう『純ニート的人間』にあてられた本なのですね。コミュニケーション能力が無くて孤独の檻に閉じこもり趣味に没頭する…… そういう生き方を肯定するか否定するかで、奇しくも上タイトル『シュミじゃないんだ』と好対照です。
ただまぁ、私の知ってる限りのオタクって、多少奇矯ではあっても仲間内ではきちんとコミュニケーションを取り、仕事もやってるし、場合によっては恋愛も結婚もしてる人がほとんどなので、このタイトルには当てはまらないことが多いかも。それに、コミュニケーション能力をつけて「普通人」になれば人生ばら色みたいなこと言ってますが、そんなん嘘っぱちだというのはmixiで適当な人の日記を10人分も読めば分かることです。オタクや腐女子は「パンピー」を理想視しがちな傾向がありますが、私は別にどっちも同じ程度の人生を送ってるんじゃないかと思うな。少数派としての苦労があるかないかの差ですが、そんな程度の「少数派としての苦労」なんて、誰だって大なり小なり体験してるもんだと思うからです。
さて、これからCDの読みこみーです。
読む本も溜まってるし、こんな楽な日常を送ってていいのかと思うニート(もどき)の独白でした。