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学校に来ると、すでに、校庭には誰も居なくなっていた。
「……」
狭い、コンクリートで固められた校庭に、ちらちらと桜が散っている。
一瞬、フラッシュバックする。……その校庭に、まるで、熟れた苺でもつぶしたように、人間の五体が散乱している様を。
軽い吐き気とめまい。ノビは校舎へと足を向けることも出来ずに、立ち尽くす。
―――ドラ衛門は、それが『未来』に起こりうることだといった。
このまま学校へと足を踏み入れて、普通に授業を受けた場合、『あれ』とまったく同じことが起こるのだと。
あの非常識極まりない『自称ネコ型ロボット』をどの程度信頼していいのかは分からなかった。だが、ノビは、さっき見た『未来』とまったく同じ行動をとる気には、どうしてもなれなかった。
爆発、死、そして、親しい友であるはずの少女の不可解な変化。
……あれが、事実だとしたら?
頭の中に思い浮かんだものは、肺を突き刺した濃いガソリン臭と、濃密な蒸気の記憶だった。
ドラ衛門は、あれを、『スプリンクラーでガソリンを散布した結果』だと、言った。
「スプリンクラー……」
ノビは傍らを見る。プールがある。なにかかすかな記憶があった。学校に配置されているスプリンクラーは、プールと水源を同じにしているという話を聞いたことがある。
ノビはしばらくためらった。だが、やがて決心する。軽く急ぎ足に、プールへと急いだ。
季節外れのプールは、汚らしい緑色に濁っていた。フェンスで隔てられていて中には入れない。ノビはやむなくランドセルを近くへ置くと、フェンスをよじ登る。普段からあまり施錠が厳密な施設ではない。中に入るのは簡単だった。
はげかけた青いペンキ。錆びたシャワー。そして、濁ったプール。
……その水面に、何かが、浮いていた。
良く見ると、何匹ものフナだった。
それだけではない。虫のようなものが無数に浮いている。良く見て気付いた。ヤゴだった。ノビは思い出す。季節外れの時期、このプールにはボウフラの発生を防ぐためにフナが放たれる。トンボが卵を産み、ヤゴも繁殖する。けれど、それがすべて死んでいる。
「なん…… で……」
ノビはよろめくようにプールに近づき、傍らに膝を突いた。まだフナの死体は腐食していなかった。浮いたのはごく最近だと分かる。生臭い臭いは感じるが、寒さのせいか、耐え難いほどではない。緑色に濁った水面に魚の屍骸。そして、無数の虫の屍骸。わずかには花びらも浮いていて、風が吹くとかすかにゆらいだ。ノビは思わず口元を押さえる。
けれど、同時に気付いた。
水面にゆらめく、わずかな、虹色の光沢に。
「!?」
ギラギラと光る、油膜の虹色。
ノビはためらった。けれども、衝動が背後からノビを突き動かす。のろのろと指を伸ばし、油膜をすくった。鼻を近づける。……異臭が、鼻をついた。
間違いなかった。
ガソリンだった。
プールの水にはガソリンが混入している。これが、フナやヤゴの大量死の原因なのだ。
だが、どうやって? ノビはプールサイドに座り込んだまま、呆然と考える。
プールにはガソリンが浮いている。虫や魚が浮いているということは、プールにまであふれるほどのガソリンを注入したということだ。おそらくどこかの配管から漏れたものが、混入したのだろう。それだけ大量のガソリン。それは相当な手間のかかる作業だということは、何も知らないノビにも推測できた。時間も、人員も必要だ。誰にも気付かれずにそんな大掛かりな作業を行う、行える、その理由はなんだ?
『災厄』という言葉が、ふいに、脳裏に浮かんだ。
あのとき、しず香は…… しず香の中に巣食った『何者』かは、言った。
これがお前のもたらす『災厄』というものだ、と。
「ぼく、を?」
自分を、殺すためだけのために、これだけ大掛かりな仕掛けを?
体がかすかに震えだす。体が冷え切っていた。ノビは、思わず自分の身体に腕を回した。油膜の浮いた水面に、メガネをかけた少年の顔が映っていた。
「なんで…… ぼくが、何を、したっていうんだよ……」
そのときだった。
ふいに、チャイムが、鳴った。
はっとして、弾かれたように顔を上げる。
授業が始まろうとしているのだ。……ふいに、フラッシュバックする。あざやかな黄金の炎を窓から吹き上げ、数万のガラスの欠片をきらめかせながら、学校が爆破される場面が。
『夢』では、すでに、爆破が始まっている時間だ!
「ど…… どうし、よう」
何が起こるのか。どうすればいいのか。まったく分からない。そもそも誰が敵なのだ? 誰が何の目的でこんなことを始めた? それすら分からない。まして、ノビはただの子どもなのだ。対応のしようがない。警察に連絡する? 先生たちに話す? ……学校のスプリンクラーにガソリンが混入されている。学校を爆破する目的だ。そして、その犯人は自分を抹殺するために、未来からやってきた幽霊。
そんな荒唐無稽な話を、誰が信じてくれるって言うんだ!
ノビは立ち上がる。思わず駆け寄ってフェンスを掴んだ。だが、無常にチャイムは響いている。思わずノビはぎゅっと目を閉じた。これから起こる悲劇。けれども、防ぐすべが無い。仮に未来を『予見』していても、それに対策を講じることが出来なくてはどうしようもないのだ。
「どうしよう…… どうしよう。助けて、パパ、ママ、おばあちゃん、神様…… 誰でもいい、助けて……!!」
ノビは、フェンスを掴んだまま、思わず、絶叫した。
「助けて、ドラ衛門!!」
その、瞬間だった。
突然、地面が、『爆発』した。
「―――!?」
配管が、破裂したのだ。
すさまじい勢いで、水が噴射する。ガソリン交じりの水だ。強い揮発臭が鼻をついた。何が起こったのか分からない。そして、呆然とするノビの前で、何者かが、噴射する水の中から、ゆっくりと立ち上がった。
190cmを超える長躯。無骨なジャケット。そして、プラスティック・ブルーの目。こちらを振り返る。超合金モノの鉄面皮と、無機質な茶色い目。
ノビは、呆然と、呟いた。
「ドラ、衛門?」
男は、ゆっくりと、地面にあいた大穴から、這い出してきた。
軽く手を振ると、手についていたコンクリートの破片を振り払う。プラスティック・ブルーの髪がぐっしょりと濡れていた。腰が抜けて、立ち上がることも出来ないノビを見下ろす。無表情に言った。
「呼んだか、ノビ」
たしかに呼んだが。
―――地面をぶち破って登場しろとは、言っていない。
「な、な、な……」
「スプリンクラーの機能を無力化するため、加圧水槽を破壊した」
ドラ衛門は無感情に言い放つ。何か、とんでもないことを。
「ど、どういうこと?」
「この時代のスプリンクラーは、水を加圧した状態に保ち、弁の部分が破壊されたときに、その圧力で水が散布されるような設計になっている。制御弁を閉じなければ、自動的に水が止まることはない」
だが、俺には制御弁の場所が分からなかった、とドラ衛門は淡々と言う。
「したがって水圧を下げるために加圧水槽に穴を開けた。これで水圧が下がり、弁が破壊されてもガソリンの散布される量は極性となる。発火はしても爆発は起こらないだろう」
ドラ衛門は、顔に張り付く前髪を無造作によけた。同じく頭からびしょぬれになったまま、しりもちをついたノビは、呆然と問いかける。
「……ど、ドラ衛門、ぼくが居ない間に、そんなこと、してたの?」
「ああ」
「な、なんで?」
ノビの問いかけに、ドラ衛門は軽く目を細めた。不可解だ、とでも言うように。
ノビは思わず口ごもる。返事をしがたい。
「さ、さっきぼく、あんなひどいこと、言って……」
守ってくれようとしていたのに、一緒に居るほうがキケンだとか、なんとか。
けれどドラ衛門はそんなことを言ったノビのために、動き続けていた。そして、助けを求めたその瞬間に…… 非常に非常識な方法でだが…… 駆けつけてすら、くれたのだ。
顔をまっすぐに見上げられないノビに、けれどドラ衛門は、こともなげに答えた。
「俺はお前を守るために未来から来た。お前がなんと言おうと、お前を守るのが俺の存在理由だ。So it goes.(そういうものだ)」
返事が出来ないノビを見て、ドラ衛門は一瞬黙った。
……やがて、言う。
「目的遂行のため、やむなく、『付いてくるな』という命令は無視した。すまなかった」
頭を、下げる。
自分の目の前に、ガソリン交じりの水でびしょびしょになった頭を下げているドラ衛門を見て、ノビは、もう、何もいえなかった。
このヒトは――― ヒトじゃなくて自称『ネコ型ロボット』だけど―――
どれほど非常識であるにしても、間違いなく、ノビを助けようとしてくれているのだ。
その確信が、痛いほどに、胸に沁みた。
「ど、ドラ衛門、頭下げないでよ!」
ノビは慌てて彼に駆け寄る。まだ破裂した配管からは、噴水のように水が噴出し続けている。冷たい。自分なんて胸の高さにしかならないような長躯の男に、ノビは、おろおろとまとわりつく。
「分かったから! もうドラ衛門のこと迷惑って言わない! ぼくのこと守ってくれようとしてるって分かったから!」
「そうか」
「うん。……その、ありがとう、ドラ衛門」
ノビが言うのに、ドラ衛門の表情が変わった。
瞬間、無表情が、崩れた。
―――不思議そうな、顔。
気付いたノビは、たじろいだ。
「……どうしたの?」
「それは…… いや」
言いかけたところで、ドラ衛門は、言葉を切った。目を上げる。プールの配管が爆発したのを見て、驚いたらしい教職員たちが、ばたばたとこちらへとやってくるところだったのだ。
「ひとまず退避するぞ。つかまれ」
「う、うん」
ドラ衛門はノビを抱き上げる。片腕だけで。あまりの怪力にノビは目を見張ったが、とにかくは横においておいて、首の辺りにしがみつく。濡れた髪が冷たい。ドラ衛門は近くのフェンスを掴むと、軽々と跳躍した。片腕でノビを抱いたまま、高さ2mのフェンスをこともなく飛び越える。
ノビは思わず絶句する。気付いたドラ衛門が、こともなげに言う。
「どうした?」
「なんでもないッ」
慌てて首を横に振りながら、このヒト、本当に人間じゃないんだ、とノビは半ば呆然と思った。自分はたしかに小学生だが、片手で抱えられるほど軽くは無い。そして、小学5年生を片手で抱えたまま、2mの障壁を、何の問題も無く飛び越えられる……
でも、ロボットだなんて思えない、とノビは思った。しがみついた首筋には、確かに血の通ったぬくもりを感じる。ドラ衛門はノビを抱えたまま走り出す。一目を避けるように校舎の裏へ。その顔を近くに見ながらノビは思う。
信じられない。
―――人間じゃない、なんて。
ユーリウス(以下ユ)「と、言うわけで、今回は君の持っている銀剣についての解説だそうだよ、カスパール」
カスパール(以下カ)「あの、いきなり言われても意味が分からないんですが、ユーリウス様……」
ユ「いや、こちらとしても事情があるんだよ。僕たちの出演している『暗黒童話』シリーズなんだけれども、もう何ヶ月も更新がストップしているだろう?」
カ「たしかにそうですが……」
ユ「看板連載として、あるまじき事態だとは思わないかい」
カ「看板連載だったんですか!?」
ユ「だって、ほかに連載が無いだろう、このサイト」
カ「青いネコ型ロボットが活躍する話とか…… は? 割と頻繁に更新しているようですが」
ユ「『アレ』が看板連載のサイトが、オリジナル小説サイトっていえると思うの」
カ「……」
ユ「だから、てこ入れのために少し話をしようということだよ。で、そのために一番都合がいい話題が君の持っているその『銀剣』についての話題だというわけ。と、言うことで、Q&A方式で分かりやすく解説をしてみようじゃないか」
カ「……まあ、ご命令ならば。俺に分かる程度のことだったら、できるかぎり分かりやすく説明いたします」
ユ「うん、偉い偉い。じゃあ、さっそく行ってみようか」
Q:『銀剣』って何?
カ「……これは質問ですらないのでは? 『銀剣』というのは、文字通り銀で作られた剣のことです。特に刀身が、純度の高い銀で作られたものの事を言います」
ユ「うーん、それは『銀剣使い』ならではの説明の仕方だね。普通の人にはそれではわかりにくいよ」
カ「? 何故ですか?」
ユ「たとえば僕には、君の持ってる『銀剣』は、絶対に使えない。何故だと思う?」
カ「え…… っと、重いから、ですよね。『銀』は『鋼』よりも比重が高い。ユーリウス様の腕力では、剣のほうに振り回されてしまう可能性が高いでしょう」
ユ「それに『銀』は本来非常にもろい素材だ。『銀剣』は曲がりやすいし、折れやすい。せいぜい短剣程度の長さのものならともかく、君が使っている銀のバスタード・ソード並みのものになってしまったら、常人にはそもそも『武器』としての用を成さないだろう」
カ「でも、そのわりに『銀剣』は意外とよく生産されてるんですよね」
ユ「まあ、見た目が美しいからね。それに、このあたりの国々だと、『銀』は一般に神聖な金属だとして信仰を集めているから、細工の美しい銀製の剣は、儀礼用の剣としては非常に一般的なものだ」
カ「そういえば、貴族の館や教会なんかにいくと、たいていは一本は銀剣が飾られていますね」
ユ「うん。ちなみに多くの国だと、ああいう銀の剣を鍛造できるというのが、金銀細工ギルドでの公認マイスターの資格だとされている。ちなみに『この世界』での『銀剣』というのは、いわゆる『純銀』ではなく、粘りを増すためにある種の金属をあわせた合金を用いることが一般的だけれど、『ブレード・シルバー』のレシピは国ごと、工房ごとに完全な機密とされていることが多い。場合によってはプラチナを合金していることもあるというから、中世程度の文化レベルだと思うとすごいよねえ」
カ「……あの、ユーリウス様、何をおっしゃっているのですか?」
ユ「別に?(にっこり)」
Q『銀剣使い』って何?
ユ「さて、やっと本題だ。これは要するにカスパールみたいな人間のことを言う。『銀剣』を用いることができる素質を持った人間を、一般に『銀剣使い』と呼称する」
カ「別に俺は一般の人よりも腕力があって、だから、『銀剣』を振り回せているわけじゃないんです。それは必要な程度に鍛えてはいますが」
ユ「『銀剣使い』じゃない人間だったら、どんなに優れた剣士だって、『銀剣』をあつかえやしないよ。重すぎるし、そのくせもろくて折れやすい。普通の鋼の剣のがずっとマシというものだ」
カ「でも、『銀剣使い』は、一般に非常に優れた剣士であることが多いんですよね。極端な話、10代の少女の『銀剣使い』で、普通の鋼の剣を持った熟達した剣士に勝利してしまうという話もありえない話じゃありません」
ユ「うん、ここが説明の必要なポイントだね。……つまり、『銀剣使い』というのは、一言で言うと一種の『魔法使い』なんだ」
カ「魔法……ですか?」
ユ「『魔力』を持ってるという意味での魔法使いだね。たとえばカスパール、ここに、錆びたナマクラの文化包丁が一本ある」
カ「準備がいいですね……」
ユ「では、これで、この冷凍マグロを切れるかい?」
カ「じゅ、準備がいいですね…… じゃあ、やってみます。よっ、と!」
がこん!(マグロ、一刀両断)
カ「切れましたよ」
ユ「うん、これが『銀剣使い』の本領発揮って感じだね」
カ「……マグロを切ることがですか……?」
ユ「それだったら君は魚屋になるべきだと思うよ。そうじゃなくって、『銀剣使い』ってのは、『持った刃物を強化することができる』という能力を持ってるんだ、ってこと。あんまり一般的には知られてないんだけど」
カ「ああ、そういう意味ですか。なんでマグロなのかと思いました」
ユ「極端な話、『銀剣使い』はテーブル用のナイフであっても、通常の鋼のナイフ以上の貫通力、切断力を出すことが出来る。それでいて、剣が折れる・欠ける、といったことをほとんど起こさない。カスパールもあまり体験したことが無いだろう、そういうことって?」
カ「ええ、剣を持っていて、『切れない』という体験はほとんどありません。他の戦士の方なんかの話を聞いていると、戦争をしていて3・4人も切ると、剣の刃が鈍ってしまって、鉄の棒でなぐりあっているのも同じという状態になってしまうという話は聞きますけれども」
ユ「相手が盾や鎧で防御していても同じだものね」
カ「……たいていは、盾ごと、あるいは鎧ごと両断できてしまいますね」
ユ「ここが『銀剣使い』の怖いところなんだ。まあ、分かりやすく言うと、彼らの身体には一種の『電気』が通ってるようなものだね。手にした剣などの武器にも『電気』が通り、切りつけた相手を感電させることができるというわけ。ただ、この『電気』には素材との相性というものがあって、たとえば木製の武器なんかは、ほとんど威力が上がらないね」
カ「でも、やっぱり一番相性がいいのは『銀剣』ですね」
ユ「うん。『銀』は一般に『魔力』と非常に相性がいい。その上魔よけの効果がある…… というのか、通常の武器だと効果の出せないような魔物に対してもダメージを与える力を持つ。伝説に残る英雄なんかの話だと、銀の剣でドラゴンの首を一刀両断にしたなんて話もあるけど、さすがにこれは眉唾かなあ」
カ「ただ俺でも、普段使ってる刃渡り1mの銀剣があれば、馬の胴体を一刀両断にする程度のことはできますよ」
ユ「鋼の剣でやろうと思えば、いわゆる『斬馬刀』じゃないとできない芸当かな。さすがは『銀剣使い』の面目躍如という感じだね。ちなみにこの特性から、たいていの『銀剣』は刀身と柄が一体になってるタイプが多い。なのに衝撃で手がしびれて取り落としたりしないのは、やっぱり、『銀剣使い』だからなんだろうね」
カ「ちなみに銀の防具というものもあります」
ユ「これも一般の人間には重くてもろい役立たずなんだけど、『銀剣使い』が着れば無敵の鎧になる。……ただまぁ、打撃には弱いし、やっぱり重いから、せいぜいがブレスト・アーマーと兜ってのがせいぜいだろうね」
Q『銀剣の騎士』とは?
ユ「これは『銀剣使い』の別名…… っていうか、特性かなあ。国によって位置づけは違うけれども、たいていの『銀剣使い』はフリーの傭兵にでもならないかぎりコレになる」
カ「フリーの『銀剣使い』なんているんですか?」
ユ「うーん、伝承詩なんかにはときどき出てくるけど、実際には居ないんじゃないかな…… よっぽどの事情があるならまた別だろうけど。『銀剣使い』ってのは、さっき言ったような特性から、たいていの場合どっかの国に囲い込みにされるからね。なにしろ稀少な人材だから」
カ「一国に、せいぜいが……」
ユ「小国の場合、最悪一人もいない。よっぽどの大国であっても、多くても10人を超えることは滅多にない。生まれる確立は、せいぜい、数千人に一人なんじゃないかな。さらに、本人も回りも気付かずに、生涯埋もれたままの『銀剣使い』も多いだろうし。だからどこの国であっても、『銀剣使い』を見つけたら、特別待遇でエリート教育を施して、一流の騎士に仕立て上げるね」
カ「俺も地方の農村の出身ですしね。もしも『銀剣使い』じゃなかったら、地方領主の私兵になるのがせいぜいです」
ユ「うん。だから、普通は『騎士』は男性しかなれないけれど、『銀剣使い』に限っては例外と定めている国がほとんどだ。非力な女性であっても『銀剣使い』なら十分に強くなれるからね。同時に、『銀剣』を扱えるということは天恵とみなされるから、教会からも祝福されて、『聖騎士』の称号を与えられたりもする。国家においては騎士(ナイト)の称号、教会においては司祭レベルの位階と、二重の地位を持っていることが多い」
カ「とはいえ、前線に出て戦ってこその『銀剣』ですから、あんまり出世してしまうと困るんですけど……」
ユ「でも、『銀剣の騎士』を戴いている軍は、そもそも兵士の士気がぜんぜん違うからね。大軍の先頭に立ち、銀の剣をかざして聖戦を謳う『銀剣の騎士』なんて姿を見れば、敵軍は怯むし、味方の軍の士気はいやましに増すというものだ。一種のシンボルとしての意味もあるというところかな。
ちなみに『銀剣の騎士』の中には、一国の王子であり、『銀剣の騎士』であり、さらに将軍職、聖卿の位まで持ってるなんていうとんでもない人もいる。生まれながらの英雄といったところだね。
……でもまあ、例外もある、かな?」
カ「……」
ユ「『銀剣の騎士』には聖性があると考えられているからこそ、当然、それなりのモラルが求められるというわけ。周囲の期待も当然大きいし、『英雄』であることが期待されてる。当然国に最後まで忠誠を誓うべきだと思われてるし、魔物に協力するなんてもってのほか……ってところ。もしもそういう事例があったら、『名誉の戦死』扱いで闇に葬り去られるのがせいぜいだろうね」
カ「……俺ですね。俺は公式にはもう死んだことになってますし」
ユ「ひどい醜聞だからね」
カ「……」
ユ「とはいえ、実際のところ、こういう世間からの扱いってのは『銀剣使い』としての本来の能力にはまったく関係ない。むしろ君は、中途半端に祭り上げられて腕を磨きそこなっている『銀剣の騎士』などより、ずっと有能だと思う。……君にとっては何の救いにもならないかもしれないけれど」
カ「いえ、ありがとうございます……」
Q『銀の武器』は資格を持たない人間には扱えないんですか?
カ「これはオマケですね」
ユ「うん。だいたい、銀の武器を使うメリットっていうのは、普通の人間にはほとんど無い」
カ「重い・もろい・高いと三拍子そろってますからね」
ユ「ただ、相手が『魔物』だった場合は話が多少別になる。『銀』は聖性を持った金属だから、普通の武器では傷つけられない魔物にも傷を負わせられる場合があるんだ」
カ「そういう場合は、銀の武器を用いる……」
ユ「白兵武器で一般的なのは銀のメッキを施した武器。でも威力はあんまり無い。本当は遠距離から弓や石弓の射撃するほうが効率的なんじゃないかな。対魔物用に限ってそういった装備を固めておくというのは、どこの国でも常識だ」
カ「でも、やっぱり高いんですよね」
ユ「正直、すごく財政を逼迫するね。最近は魔物が多いから銀の相場も高騰してるし。しかも対人間用の武器としては、非効率的なことこの上ない。だからこういう装備をそろえているのは、正規軍よりも、魔物と遭遇することが多い地方領主の私兵が多いね」
カ「……とりあえず一通り『銀剣』について解説しましたけれど、これでいいんですか?」
ユ「うん。メモ書きにはなったんじゃないかな」
カ「でも、上で何回も出てきましたけれども、女性の『銀剣の騎士』って本当にいるんですか?」
ユ「さあ。まだ設定されて無いらしいけれど、ネタとしてはオイシイよね。ジャンヌ・ダルクみたいな聖戦士というイメージだから。無敵の聖少女…… というのはなかなかカッコいいかもしれないね、カスパール?(にっこり)」
カ「(ユーリウス様の言ってることは、たまに分からないなあ……)」
続くかどうかは未定。
外で並んで歩いて見ると――― ドラ衛門には、やはり、異常なまでの存在感があった。
軍用ブーツを履き、明らかに防刃防弾を目的としているのだろう分厚いジャケットを羽織っているという服装だけでも威圧的なのが、さらに、身長が軽く見積もっても190cm以上はある。体格から見れば、体重も100kgに近いのではないか。それでいて、なぜだか知らないが、首には鈴のようなものをつけている。異様としかいいようがない。
その上、彼の髪は真っ青。襟足辺りでくくられた髪は、どこからどう見ても、人間の髪の毛には在らざる、異様なまでに鮮やかなプラスチック・ブルーだ。
まずもって、デカい。
そして、怖い。
その体格の上に、無表情無感情な顔がくっついているのだから、その威圧感といえば、いや増しに増すというものだ。顔立ちそのものだけならば、いちおうは『美形』の範疇に入らないでもない顔立ちではあるが、この場合、その事実はまったくもって救いになっていない。
そして、その隣を歩かされるノビは…… なんとも言えず、立つ瀬の無い気持ちを味わった。
すれ違った人間が、まず例外なく100%、何が起こったのか、とでもいいたげな驚愕の目線で振り返る。露骨に視線をあわさぬようにそそくさと去っていくものがいる一方で、中には横をすれ違っても、しばらくじろじろとこっちを見ている人までいる。ノビは恥ずかしさの余り、消えてしまいたいような気持ちを味わった。
だが、そんなところで、いきなりドラ衛門が、話しかけてくる。
「おい、ノビ」
「はっ、はいッ!?」
「学校を爆破した方法は、おそらくは、原始的なものだろう。お前は『ガソリン』の臭いをかいだといったな? さらに、大量の蒸気を感じたと」
「う、うん……」
「ならばおそらく、水とガソリンの混じったものが散布されたんだろう。ガソリンは気化しなければ爆発しない。では、水とガソリンの混合物を、校内全体に、効率よく散布し、さらに気化させる方法としては何が考えられる?」
「え」
頭の中が、緊張のあまりで真っ白になっているところに、さらになんて負担を強いるのだ、この男は。
「わ、分からないよ、ドラ衛門……」
恐る恐る手を上げるノビに、けれど、ドラ衛門はあっさりと答えた。
「答えは、『防火用のスプリンクラー』だ」
「スプリンクラー?」
「ああ、そこにガソリンを大量に混入し、校内にばら撒いたのだろう。この時代の消火装置は、液体を細かい粒にして撒き散らす。その結果、ガソリンは気化しやすい状態に置かれる。そこに着火させれば、一気に爆発が起こることだろう」
スプリンクラー、とノビは思った。
たしかに、うちの学校には防火用のスプリンクラーが備え付けられていた。
「じゃ、じゃあ…… スプリンクラーの中のガソリンをストップさせれば、爆破は防げるの!?」
「可能性は高いな」
ノビは、まぶたの裏に、凄惨な大火傷を負った、上級生たちの姿を思い出す。
体が半ば単科してしまったもの、肌がずるりと剥けて苦しんでいるもの、体中にガラスが突き刺さり痛みに転げまわるもの…… そして、喉を切り裂かれて、血溜まりのなかで絶命している、優。
彼らを救うのは、間違いなく、第一目的だ。ノビは興奮した。
「じゃ、じゃあ、あの爆破は防げるんだねっ!?」
「だが、一番の問題はそこじゃない」
けれど、ドラ衛門は、ノビの喜びに、すぐに蓋をしてしまう。
「問題は、その源しず香という少女の中にいる『エージェント』だ」
「え、えーじぇん……?」
混乱しているノビを見たドラ衛門は、しばらく黙る。適切な説明を考えていたらしい。
「……彼らは、未来から送り込まれてきた。お前の存在を『消す』ために」
「う…… うん」
「だが、22世紀の技術では、生身の人間を21世紀に送ることは、実質不可能だ」
ノビは驚いた。
「そ、そうなの!?」
「ああ。2189年現在、タイムマシンはまだ信頼が出来るほどの精度を持っていない。問題点は主に精度の高さだ。過去に送る最中でデータが劣化し、目的の時間で正確にデータが再現化される確立は、現段階だと78%前後」
「え、だって、ドラ衛門はちゃんとここにいるじゃないか!?」
「俺も十分にノイズに侵されている」
ドラ衛門は淡々と答えた。
「だが、俺は過去遡行のために設計されているため、ノイズ劣化対応のための高レベルの自己修復機能を持たされている。仮にエラーが起こって俺のボディが45%の再現度を持たなかったとしても、ナノマシンのレベルで組み込まれた再生機構が作動し、俺の身体を再生することができる。記憶バックアップも体内に複数体存在しているため、破壊されても通常通り稼動できる可能性が非常に高い」
ノビは、ごくん、とつばを飲み込んだ。
「……実際は、再現度はどれくらいだったの?」
「76・52%。想定の範囲内だ」
「で、治ったの?」
「いや。現在も修復が続行中だ。特に内分泌器官のエラーが大きいため、神経の伝達物質を完全に分泌しきれていない。さらに機械パーツの修復が必要だが、これはさっきの機械から素材の分子を調達したから、数時間である程度は解決されるだろう。So it goes.(そういうものだ)」
ノビはひどいめまいを覚えた。
何か平然と言ってるけどこの人…… 何かむちゃくちゃなことを言ってない……?
家に来たとき、壁際に座り込んでいるのを見て奇異に思ったが、あれはもしや、『体の修復』とやらが完成していないため、動けない状態だったということだったんじゃないだろうか?
だが、そもそも付き合って考えていてもしょうがない。ノビはしかたなく話を戻す。
「じゃあ、その『エージェント』って人たちは、どうやってこの時代に……?」
「彼らは、『電子データ化された思考パターン』のみを、この時代へと送り込んでいる」
一瞬、意味が分からなかった。
「……なに、それ?」
「エージェントは、脳内の分泌物や微細な生体電流のネットワークパターンを一定の21世紀人の脳内に送り込み、その内部に擬似的に自分の学習してきた知識、感情、思考パターンなどを再現する」
「……???」
「その結果、送り込まれた人間は脳内でエージェントの思考パターンを再現し、それにしたがって行動するようになる。これならばデータ量をかなり小さく出来るため、劣化も自然と少なくなる。いわば、もっとも合理的に過去への遡行を行うことが出来る。無論、違法とされている行為だが」
ノビは、自分なりに、必死で考えた。そして、なんとか出てきた結論を、声にして搾り出す。
「つまり、なんていうか…… 未来から来た幽霊が、しず香ちゃんに取り憑いているってこと?」
「……」
ドラ衛門は、一瞬、黙った。……ノビにはすぐに理由が分かった。慌てて釘を刺す。
「『取り憑く』の意味は、説明させないでね。やっとぼくなりに納得できてきたところなんだから」
ドラ衛門は素直にうなずいた。
「了解した」
「つまり、しず香ちゃんに取り憑いている、そのエージェントってヤツを除霊すればいいんだよね? どうやればいいの?」
「コレを使う」
ドラ衛門は、まるで銃帯のようなベルトから、金属製の短いペンのようなものを取り出してきた。
「なにそれ?」
「特殊な賦活剤、及び、特殊変異プリオンをミックスしたものだ。これを投与すれば、数分程度で脳内にあらたなネットワークが形成され、エージェントのデータは必然的に機能を失う」
ノビは、しげしげと、そのペンを見つめた。
針はついていない…… どうやって体内にそれを打ち込むのだろうか。まさか銃で打ち込むとか、という風に不吉な予感を覚え、ちらりと目で見上げると、ドラ衛門はそれを読んだように、「これは直接頚部から投与することが望ましい」と言った。
「頚部…… 首っ!?」
「他の部分では、投与した物質が脳に到達するまでに時間がかかってしまう」
プシュッ、と小さな音がして、針が露出する。鋭い。ノビは思わずごくりとつばを飲む。なんていうか、推測するに。
「それ、なんかボールペンっぽいね」
「そうか?」
「名前はなんていうの」
「知らん」
「……」
ノビが黙るのを見て、ドラ衛門はわずかに首をかしげた。眉を寄せる。思い出そうとしているらしい。そして、口から出てきた台詞は。
「圧縮式携帯型病変プリオンインジェ……」
「覚えられないッ!!」
いちいち用語がややこしい。このヒトには『物事をわかりやすくする』という思考は無いのだろうか。
「だいたい、そういうの使うシチュエーションで、いちいちそういう長い名前を呼べるの!?」
「確かに、一理あるな」
「もっと分かりやすい名前! たとえば、『除霊ペンシル』とか……!」
「じゃあ、それでいい」
ドラ衛門は、あっさりと了解したので、ノビは逆に出鼻を挫かれた。
「この『除霊ペンシル』を首に押し付ければいい。そうすれば、動脈に入り込んだ賦活剤と特殊変異プリオンが速やかに脳に運ばれ、『除霊』が完遂する。……何か疑問は?」
「あの、念のため聞いておくけど、ドラ衛門ってそういう『変な道具』をどれくらい持ってるの?」
「現時点で使用できるものは、この『除霊ペン』、さらに対人遠距離攻撃用の携帯武器だけだ」
……現時点?
「他にも様々装備はあるが、現時点だと俺のコンディションに問題があるから、使用不可能だ。この『除霊ペン』は複数準備してあるが」
「他にはどんなのがあるの。専門用語での説明は不可! じゃなくって、『なにができるようになるモノ』なのかを言ってね!」
「……」
ドラ衛門は歩きながら、やはり、少し考えていたようだった。やがて、腕を片方持ち上げる。ガシャッ、と音がして、腕時計だとばかり思っていたものが、見る間に、篭手のようなものに変形した。腕を覆う金属性の篭手と、銃を一緒にしたようなもの。手首の上から砲身らしきものが伸び、手首の先あたりに銃口らしい穴があった。ノビは度肝を抜かれる。
「!?」
「圧縮空気を噴出するための装置だ。非実弾の銃だといえば分かりやすいか」
ぜんぜん分かりやすくない。
「え…… ええっと、エアガン?」
「20世紀から21世紀初頭に普及していた所謂『エアガン』は実弾を装填、発射する機能をもっているはずだ。これは完全に非実弾装備だから、違う」
「えっと、何、空気を発射するの? つまり…… 『空気砲』?」
「そう呼んでも構わないだろう」
「……で、具体的にそれって何」
とても嫌な予感がしながら、聞いてみる。ドラ衛門は軽くうなずくと、篭手に覆われた腕を、近くに路上駐車されていた車に向けた。
バシュッ!!
その瞬間、甲高い音と共に、車のフロントガラスが、木っ端微塵に砕け散った。
ノビは、絶句した。
「!!」
ドラ衛門はその『空気砲』を、ノビのほうへと見せるように、軽くかざす。車のことなど歯牙にもかけていない。平然と言う。
「出力50% 威力は現時点で、ほぼ、12Gのラバー弾を装填した散弾銃に等しい」
ドラ衛門は淡々と言うが、ノビは全身の血がざあっと下がっていくのを感じる。
「実際にはこれ以上の威力を出すことも可能だが、基本的には殺傷能力は無い無力化武器だ。頭部などを狙えば相手が死亡することもあるが、俺はリミッターが……」
「そ、それどころじゃない! ににに、逃げるよッ!!」
ドラ衛門の台詞を途中でぶったぎって、ノビは慌てて走り出した。ドラ衛門は引っ張りもしないのに黙ってついてきた。律儀にもノビのスピードにあわせて。頭上だとカラスがギャアギャアと鳴いている。ノビは軽く300mは全力疾走すると、いい加減息が切れた。角もいくつも回り、なんとか車からは離れたかと思って立ち止まる。膝に手を当ててぜえぜえと息をしていると、こちらは微塵も息を乱している様子の無いドラ衛門が、無表情に聞いてくる。
「どうした、ノビ」
「どうしたじゃないだろッ!!」
思わず、絶叫する。
ドラ衛門がフロントガラスを木っ端微塵に粉砕した車。ぱっと見でも、かなりの『高級車』だったのは間違いない。そして、このあたりの地域で、『高級車』なんてものに乗っている人種は……
「ああああああ」
ノビは思わず頭を抱えてうずくまった。もしも誰かに見られていたら、明日にも、派手な柄のスーツの粋な兄いさんたちが家に来るかもしれない。そしたら破滅だ。……ドラ衛門は微塵も表情を変えない。
「安心しろ」
「なにが!?」
「非実弾気体銃は弾が残らない」
「そういう問題じゃない―――ッ!!!」
犯人が分かるの、分からないの、という問題ではない。そもそも車のフロントガラスを一撃で破壊するような物騒なものを、常時ぶらさげて歩いているというのか、この男は!?
「では、この事実ではダメだろうか」
「何!?」
「撃つよりも、俺が直接殴ったほうが、威力は大きい」
「……」
ノビが沈黙したのを見て、ドラ衛門も、さすがに若干は『まずいこと』を言ったらしい、と思ったらしい。拳を固める。
「証拠を……」
「見せないでいい!!」
腹の底から声を絞り出すと、いましも傍らのブロック塀を殴ろうとしていたドラ衛門が、ぴたりと手を止めた。
全力疾走と大声のせいで、ひどい息切れだ。ノビは目の前をチラチラと火の粉のようなものが舞うのを感じる。無論酸欠のせいである。原因は誰か?
言うまでも無い。傍らの、『自称ネコ型ロボット』である。
ノビは、心の底から思う。……なんなんだ、この非常識の塊は!?
無表情でノビを見下ろしている身長推定190cmオーバーの、ミリタリー風の青髪の大男。腕に装備している正体不明の兵器は車のフロントガラスを木っ端微塵に粉砕し、本人が口にしているところによると、たぶん、彼はパンチ一撃でブロック塀を完全破壊するものだと思われる。
あきらかに、人間ではない。
ノビはしばらく黙ってドラ衛門を見上げていた。ドラ衛門も黙ってノビを見下ろしていた。ノビは緊張感に耐えられなくなる。いい加減我慢も限界だ。大きく息を吸って、吐いて、気分を落ち着ける。
「……あのね」
「うむ」
「ぼく思うんだけど、ドラ衛門は学校に来ないほうがいいと思う」
「なぜだ?」
ぴしっ、と頭のどこかが音を立てた。
「まだわかんないの……」
地を這うような低いノビの声に、しかし、無表情の自称ネコ型ロボット。堪忍袋の緒が切れた。
「ドラ衛門がいるほうが、いないよりも、100倍くらいキケンなんだよッ!!」
ドラ衛門、さすがにこの一言は理解したらしい。かるく眉を寄せる。
「俺は迷惑なのか?」
「そうだよッ! っていうか、いままで自分がやってきたことを考えて、どこが『迷惑じゃない』って言えるわけ!?」
彼と会話を始めてから、まだ、たったの20分たらず。
現時点での被害は、母の携帯電話と、そこら辺に止めてあった高級車一台。未遂で終わったもの、ブロック塀ひとつ。
20分でこれである。さらに10分立ったら、あるいは1時間たったら、どれだけ甚大な被害が起こるものか、想像するだけで頭がクラクラしてくる。この男、そもそも『常識』というものが、頭から完全に抜け落ちている。
「ぼくはぼく一人で学校に行くから、ドラ衛門はついて来ないでよ!」
「だが『エージェント』が……」
「ドラ衛門と一緒にいたら、オバケが出るよりも先に死んじゃうよ! オバケよりドラ衛門のほうが絶ッ対にあぶない!!」
「……」
怒鳴った後、返事が無い。
さすがに言い過ぎたか、と思って見上げるが、だが、超合金並みの鉄面皮は、相変わらずの無表情のままだ。まるでおとなしくて大きな犬をいじめているような罪悪感が、胸を掠める。けれど。
「もう、ついてこないでよねっ! 絶対だよっ!」
それを振り切るように、ノビは怒鳴ると、きびすを返した。
そのまま、全力で走りだす。とはいえ、さっき全力疾走したばかりなので、ひ弱なノビには大してスピードは出せない。さっき、軽々と後をついてこられたドラ衛門だったら、おそらく、簡単に追いつけるだろう。けれど一瞬肩越しに振り返ってみても、彼はさきほどノビの置いてきた場所に、ぽつねんと立ち尽くしているだけだった。目立つプラスティック・ブルーの髪と、無表情。
なんとなく、無碍にした、という罪悪感が、チクリと胸を刺した。
……でも、『あれ』と関わりあってるっていうほうが、あきらかに危ない!!
時計を見ると、すでに、登校の時刻を過ぎつつある。ノビは慌てて道を曲がった。ドラ衛門は見えなくなる。罪悪感めいたものを胸の奥にしまいこんで――― ノビは、カタカタとカバンを鳴らしながら、全力で、走り出した。
**********
完全にシュワちゃんです、ドラ…… おっかしいなぁ、外見のイメージは『空条承太郎』だったのに。(こちらも多少問題あり)
そして、ノビは、自宅の床に座っている自分に気付いた。
かすかに埃が舞い、窓から差し込む光にきらめいている。それがきれいだ、と思った。あきらかに意識が覚醒していなかった。それからノビは目の前にいる男を見た。まず視界に入ってきたのは、鮮やかな、プラスティック・ブルーの髪だった。やや長い。それを、首の後ろで無造作にくくっている。
男がゆっくりと顔を上げる。顔が見えた。まだ若いように見えた。精悍な、整った――― だが、たしかに端正だとは分かるけれども、どうしようもなく無個性な顔立ち。肌の色こそわずかに褐色かかった色だが、顔立ちだけではどの人種に属するのかも判別不可能だった。けれど、そんな顔立ちの中で、瞳だけが異彩を放っていた。やや釣り目気味、白目がちの…… どう表現したら良いのか分からない。ただ、あきらかに『非人間的』としかいいようのない目。
「えーっと、お客さん?」
母の、のんびりした声が聞こえて、ハッと、我に返った。
「……―――!!」
「静かに」
悲鳴を上げようとした瞬間、その声が、一本の指で、ぴたりとふさがれた。
いつの間にか、男の手が挙がっている。喉に一本、指が触れていた。白い手袋の手。それだけだ。……それだけなのに、一呼吸がふさがれ、それによって、悲鳴が封じられた。
悲鳴を上げそこなったノビは、ただただ、呆然として、男を見た。
「あ、あなた…… 誰、なの」
「俺はType-Felidae:F-HND-001」
男は無表情に言い放った。
「分かりやすく言えば…… お前を守るため22世紀の未来から来た、ネコ型ロボットだ」
ノビの顎が、かくん、と落ちた。
……どう反応しろ、というのだろうか。とりあえず、ツッコミどころが多すぎる。
目の前に座り込んでいる男を見る。人間だ。ネコではない。ロボットでもない。強いていえばデカくてゴツく、さらに、髪の色は馬鹿げたプラスチック・ブルーではあるが、どこからどう見ても、『人間』以外の何者でもない。
「え、あの…… っていうか、あなた、『人間』ですよね?」
「いや、ネコ型ロボットだ」
ノビは思わず絶叫する。
「あなたのどこがネコでロボなんですか!?」
だが、男は、あくまで淡々と返してくる。
「俺は生体タイプのロボットだ。体の91・2%までは有機物で構築されている。だが、ホモ・サピエンスないしはヒト亜科以下の生命体のDNAをバイオロイドに使用することは違法だから、俺の有機体部分は『Felidae(ネコ)』のモノに手を加えることによって構成されている」
だから俺は『ネコ型ロボット』ということになる、と男は言う。ノビは、頭がくらくらするのを感じた。
「そ、それ、ネコ型って言うの?」
「So it goes.(そういうものだ)」
こともなげに、男は、言い放った。
……この感覚、何かに似ている、と思ったら、出来杉と会話するときの感覚なのだった。
ようするにこのヒト、電波のヒトなんだろうか。ノビは大きく息を吸い込み、それから、吐き出した。
「あの、腕を見せてください」
「何故だ?」
「いいから」
男は素直に腕を差し出す。ノビは男の着ているジャケットの袖をまくってみた。静脈に注射針の跡はない。左利きである可能性も考慮してもう片方の腕も見たが、やはり、無かった。―――少なくとも、ヤク中ではあるまい。しかし、『天然電波』である可能性は否めない。それにしても逞しい腕だった。特別に『マッチョ』というわけではないが、太い骨にしなやかな筋肉が僅かの無駄もなくついている。ノビはそろりと男を見上げる。男は相変わらず無表情だ。
「どーしたの、ノビちゃん?」
そのとき、ふいに、後ろから声をかけられた。
「ま、ママ……」
「あー、その人、誰?」
「ママが連れ込んだんでしょッ!?」
さすがに声が裏返る。いくらなんでも、無責任すぎる発言だ。
「誰だよこれッ! っていうか、知らない男の人を家に上げないでよ!」
「ううん、たぶん悪いヒトじゃないよー」
母はふにゃりと笑った。ノビはそのまま言い返そうとして…… だが、ハッとした。
『既視感』。
これと同じようなコミュニケーションを、一度、交わしては居なかったか?
だが、ノビは、もう、次の言葉を言ってしまっていた。
「この人、誰?」
母は面倒くさそうにガリガリと頭を掻きながら、視線を彷徨わせる。その視線の先には、コタツの上に置かれた菓子盆があった。そこにはドラ焼きがいくつか置かれている。それを見た瞬間、ノビは悟った。
次の母の発言を、自分は、『知って』いる。
「ええと…… ドラちゃん」
母は、そう言い放った。
ノビが『一度体験した』この朝と、まったく同じように。
ノビは早々に母を寝室に追いやった。そして、改めて、青い髪の男と向き直る。
じっ、と見つめるノビに対しても、男は、無感情な目を向けているだけだった。やもあればキツめと取られかねない三白眼。だが、男は壁際に座り込んだきり、動こうとしない。ノビは彼から出来るだけ距離を取ったまま、おそるおそる、話しかける。
「ええっと…… 貴方は……」
「俺はお前を守るために、22世紀の未来から来たネコ型ロボットだ」
「それはもう聞きましたッ!」
それが現実かどうかなんて、もはや、どうでもいい。とにかく問題はこの男、そして、さっき『体験』した、異常極まりない体験のことだ。ノビが頭を掻き毟りかけたとき、ふいに男が言った。
「お前は、今、『現実崩落体験』という能力によって、未来を『視た』」
「―――え」
「正確には『未来』ではない。だが、能力が発動し始めた時点からの時間経過の中で、最も可能性の高い未来を、実際に『体験』したはずだ」
男の目が、ひた、とノビの目を見据えた。薄い茶色の目。
ノビは、笑おうとした。だが、唇からもれたのは、引きつったような奇妙な声でしかなかった。
「え…… そんな…… だって、あれ……」
学校が、爆破された。
大火傷を負った生徒たち、ガラスの破片によって無残に切り裂かれた生徒たちの体が転がる校内を、友の安否を確かめようと、必死で走った。
そして、しず香に出会い―――
「しず香、ちゃんが」
ノビは、呆然と呟く。
「へ、変な、ことを、してて」
「どんなことを?」
「手が……」
しず香は、『しず香の皮をかぶった何者か』は、異常なことをやってのけた。
自分よりも遥かに距離の離れたところにあるものに対して、『触れて』見せたのだ。自らの腕の代わりに、幻覚のようなものを生み出して。そしてノビは、その腕に頚椎を砕かれて…… 死亡、した。
そう悟った瞬間、ぐっ、と胃の腑がせりあがってくるような感覚を覚えた。
「う、ぐ」
ノビは思わず手で口を押さえる。口の中に胃酸の苦い味が広がった。体ががくがくと震えだす。涙がこぼれる。
死んだ。
自分は一度、確かに、『死んだ』のだ。
そんなノビを、男は、冷静に見下ろしていた。
「……それが、『世界崩落体験』だ」
「なんだよ、それッ!?」
「お前は『未来』を『擬似体験』することができる。だが、それはお前が『死ぬ』未来のみだ。So it goes.(そういうものだ)」
青い髪の男は、淡々と言った。
「お前にとっての『世界崩落体験』は、現実か、それとも仮想体験かの区別がつかないほどの高精度のものらしいな…… 推測されたデータ以上だ」
男が何を言っているのかが、ぼんやりと理解されてくる。
要するに、自分は『超能力』に目覚め、今日、起こる出来事をあらかじめ体験した。そして、その結論は、『ノビの死』だった。……背筋の毛が、そそけ立つような気がした。
だが、到底納得の出来るようなものではない。『未来』だと? そんな超能力のようなものを、どうして自分が持っているというのだ!!
「知らないよ、そんなのっ!」
ノビは思わず立ち上がった。片手でランドセルを引っつかむ。このまま学校へ行ってしまえばいいのだ。こんな異常な男になどかかずらってはいられない。そうやって無理やり自分をごまかそうとする。けれど。
「待て」
ぐっ、と腕をつかまれた。
「!?」
男の手は、痛みを与えはしなかった。だが、まるで手錠のように腕を締め付け、決して振り解くことが出来ない。ノビはまじまじと男を見下ろす。男はゆっくりと立ち上がった。壁に手を突き、よろめきながら。
「―――俺の使命は、お前を守ることだ」
「だからッ、そんなことッ……!!」
だが、抵抗するノビに構わずに、男の目は、ひた、とノビを見据えた。
「このまま、お前が『世界崩落体験』の中でとったのと同じ行動を取れば、お前は間違いなく『死亡』する」
「―――……」
「それを阻止するのが俺の使命だ。さあ、話してくれ。お前は何を体験した? 一体、これからお前の行く場所で、何が起こるのだ?」
ノビの目の裏で、フラッシュバックのように、無数の映像がひらめいた。
散乱するガラス。黒煙と蒸気。死にきれずに呻いている無数の生徒たち。そして――― 異様な力を見せ付け、決してしず香では『ありえない』表情を浮かべていた、しず香。
足から力が抜ける。ノビは、ぺたんと座り込んだ。
男は黙ってノビを見下ろしている。ノビは、途切れ途切れに、呟いた。
「学校で…… 何か爆発が起こって……」
ノビは、搾り出すように、声を押し出す。何を言っているのかも定かではないのに。あれは『夢』じゃなかったのか? あのあまりに異様なリアリティが無ければ、そう言って片付けたいほどの体験だったのに。
「ぼくが…… みんなが無事か確かめようとして下に下りたら、しず香ちゃんがいて…… それで、しず香ちゃんが……」
途切れ途切れの、混乱したノビの言葉を、男は、けれど、冷静に聞いていた。そして、最後まで聞き終わると、「分かった」と短く答えた。
「おおよその事情は把握できた」
「え」
「犯人はTP特殊機動部隊のエージェントだろう。その『しず香』という少女の脳に巣食って、テロに見せかけてお前を抹殺しようとした。稚拙な手口だ。おそらくはただの『同調者』レベルの相手だろう。……現状の俺の状態だと、少々厳しくもあるが……」
勝てぬ相手ではない、と男は言い切った。
そして、呆然としてしているノビに向かって、「欲しいものがある」と言った。
「な、なに」
「金とプラチナを少量。チタンも欲しい。部品が足りない。現時点だと、俺は、通常状態の13%の出力しか出せない」
男は、立ち上がろうとし、よろめいた。ノビは慌てて彼の身体を支える。分厚いジャケット越しにも感じる体温。
まさか、このヒトが、ロボットだなんていわれても…… やっぱりただの電波さんって可能性も……
だが、ノビのその一縷の希望も、次の瞬間には、木っ端微塵に打ち砕かれた。
「この程度でも、足しにはなるか」
男は、そう呟くと、コタツの上においてあった母の携帯電話を手に取る。そして、止める間もなく。
バキリ、と二つにへし折った。
「―――-ッ!?」
男は、プラスチックの携帯電話を、指先の力だけでこともなく破壊する。そして、その部品を、口へと運んだ。噛み砕く。
ばり、ばり、ばりん。
唖然としているノビを見た男は、無造作に言った。
「安心しろ。消化器官から、体内に不足している物質を取り組み、再構成を行うだけだ」
「……」
どこをどう、安心しろというのか。
「え、えと」
男は完全に携帯電話を噛み砕き、ごくりと飲み込む。そして最後にぺろりと指を舐める。そのしぐさだけが妙に人間的で、目眩がした。
だが、ノビは、どうにも悟らざるを得なかった。
自分が死なずに済むためには、どうやら、この『自称未来からやってきたネコ型ロボット』という、世にも胡散臭い男の手が必要らしい、ということを。
「貴方は…… じゃなくって……」
「なんだ」
ぶっきらぼうな口調が怖い。ノビは、そろりと彼を見上げる。相変わらずの無表情。だが、とりあえず悪意は無い。……無いと思う。
「ええと、とりあえず、貴方の名前は?」
「Type-Felidae:F-HND-001」
「それ、名前じゃないよ」
「そうか?」
無表情で、間の抜けた返事。ノビは深い深いため息をついた。こうなったら、もう、付き合うしかない。
「ええと、じゃあ貴方は石川五ェ衛門…… じゃなくって、ドラ焼き…… でもなくって、ああ、もう!!」
ノビは両手で頭を掻き毟り、びしっ、と男を指差した。
「じゃあ、貴方の名前は『ドラ衛門』!」
「……ドラ衛門?」
「うん」
理由は、何か石川五ェ衛門っぽいから。でも、そのままだとあんまりだから、母の提案を半分取り入れて、『ドラ衛門』。
「これでいいよねっ、ドラ衛門!?」
「了解した」
男改めドラ衛門は、あっさりと馬鹿げたネーミングを受け入れる。
「なら、いくぞ、ノビ。学校に遅刻する」
「……え?」
「俺も行かざるをえないだろう。お前一人の力では、事件を解決できん。So it goes.(そういうものだ)」
―――ノビは、再び、顔面蒼白になった。
*********
やっと青タヌキ登場。
命名はノビちゃん。なんつうか、ネコ型ロボットというよりもターミネーター。
最盛期の半分以下に子どもの数が減ってしまった『玉の井第一小学校』の校内は、なんとなく、がらんとした印象がある。
締め切られた教室が半分以上。特に、上のほうのフロアは、現在ではほとんど使用されていない。普通の小学校だとクラス変えだのなんだので一騒動あるところが、『一学年一クラス』のこの学校では起伏の起こりようがなかった。張り出された紙にしたがって二階の教室に入ると、何時もどおりの面子がそろっている。
しず香は同じクラスの女の子たちへの挨拶、優は悪ガキどもとの騒ぎあい。そんな様を横目で見ながら、ノビは窓際の席の方に行く。そこにはおとなしく座っている色の白い少年が一人。
「おはよう、出来杉くん」
「ノビくん」
おっとりと微笑む、少女のように白い顔。―――どこを見ているのか、なんとなく、焦点の合わない目。
「今日は悪い電波が聞こえるんだ」
「悪い?」
「うん。チリチリ、チリチリ。……すごく、よくない」
よくない、と言いながらも、彼の唇はおっとりと微笑んでいる。顔かたちだけを見れば、たしかに彼は美しい少年だった。顔だけを見れば。
どこも見ていないような薄茶色の目が、窓の外を見ている。窓の外には桜の枝。ひらひら、ひらひら、と薄紅の花びらが散る。
「何か悪いことがおこるの?」
ノビが問いかけると、出来杉は振り返った。けれど、やっぱり彼の目は何も見ていない。何も見ないまま、ふわり、微笑む。
「……今日が、おしまいの日だよ」
「え?」
それだけを言うと、がたん、と彼は立ち上がった。ノビの目の前でゆらゆらと歩いていく。うなじは赤い血液が流れているとは信じられないほど白かった。苦笑交じりに見送るノビの背中に、優が声をかけてくる。
「どうよ、今日の出来杉の電波占いは」
「えーっと、大凶?」
「げええ、サイアク。っつーか、ただの電波なんだから、大凶とか出すなよなー、ウチュージン」
「意地悪だよ、ジャイアン」
優は毒づくが、その扱いにしたって、たぶん、クラスの中だとかなりマトモなほうだとノビは思う。出来杉英才。通称、"ウチュージン"。そのあだ名は、もっぱら、彼のまったくつかみ所のない言動による。ありていに言えば、彼は、『コミュニケーションが不可能』な類の人間だった。
頭が悪いのかと言われてみれば、それはまったくの間違いで、授業などまったく聞いていないくせに、たいていの勉強は誰よりも良く出来る。それどころか、算数だの科学だのの領域だと、そもそもの知識量の並大抵じゃない水準に、教師のほうが逃げ出している節がある。並みの大人でも適わないほどの知力を持っているとすら噂されている彼だったが…… あいにく、人間的としてのスキルのほうは、さっぱりだった。
話しかけて返事が帰ってくるのがまだいいほうで、それは『トモダチ』として認められている証。このクラスでも、まったくコミュニケーションの取れない相手のほうが多い。たぶん一番仲がいいのはぼくなんだろうなあ、とノビは複雑な気持ちで彼の出て行った先のドアを見た。真っ白な肌、か細い手足、色の薄すぎる目。そして、まるで少女人形のような、無機質に美しい顔。総体として、握り締めたらぱりぱりと砕けてしまいそうな、薄いガラスのフラジャイルな質感。去年の担任も彼にはすっかり頭を抱えていたようだったが、それでもノビは出来杉が嫌いではなかった。悪いことはしない人だもんね、と思う。
でも、サイアクってなんだろう?
「お前、出来杉の電波占い、信じてんのか?」
「え? ああ…… うん」
「まあ、たまに当たっからなー」
そう答える優は複雑な表情だ。ノビは、ふと、ちょっと意地悪く笑ってみる。
「……あのときの一万円、どうなった?」
言われた優は、口いっぱいに正露丸でも詰め込まれたような顔になる。
「お前、サイアク! ノビの癖に生意気だぞっ!?」
「あはは」
優は、以前、出来杉占いの『小吉』のその日、一万円を拾ったことがあるのだ。もっとも、それもすぐに母親に見つかって没収されてしまったから手元にはない。おそらくそれが『小吉』の『小』の由来なんだろう。だから優は半分出来杉の『占い』を信じている。……自分はどうだろう? ふと、ノビはそう思う。
そのとき、ふと、つんつん、と服のすそを引っ張られた。
「ねー、授業、始まっちゃうよ」
振り返ると、しず香だった。指差す先は教室のドアだ。
「あー」
「どうすんの、出来杉くん」
にやにやと笑いながらこっちを見ている。何を期待しているのかは明らかだ。しず香は自分が授業に遅刻するようなことは絶対にしない。……はあ、とノビはため息をついた。
「しかたないなー」
「うふふー、ノビくんって優しくていい子。愛してるわよ」
「ありがと、しず香ちゃん」
まるで母のスナックで働いているホステスのようなことを言われても、ちっとも嬉しくない。しかたなくノビは立ち上がった。窓ガラスが子どもたちの体温で少し曇っている。
「屋上じゃない? あそこ、『電波』がよく届くらしいから」
「今度は『大吉』の電波受信させてこい! 一億万円くらい拾えるくらいの!」
「はは……」
拳を突き出してくる優に、ノビは苦笑するしかない。まあ、とにかく始業式の一日目くらい、授業を受けさせてやったほうがいいだろう。
廊下に出ると、寒気が身に沁みた。春らしくも無い陽気だ。肌が粟立つ。ノビはぶるっと身を震わせた。
「ううっ、寒……」
なんでこんな寒いのに外なんか行くのかなあ出来杉くん…… そんな風に思いながら、階段を上った。
基本的には、屋上は、行ってはいけないことになっているはずの場所だ。いつも鍵だってかかっている。
けれど、出来杉を探すと、いつだって屋上にいる。鍵はきちんとかけてある。そのはずなのに、だ。
案の定、屋上へと続く踊り場へ行くと、南京錠が床に落ちていた。
『……どうやって開けてるんだろう?』
現場を見ない限り謎だ。『電波占い』に続く、出来杉、第二の謎。とにかくも重たい金属のドアを開けると、びゅう、と寒風が吹き込んでくる。
「うう……」
寒いのは苦手だ。なのに、なんでこんなところに来なきゃいけないんだろう。
キミのせいだよ。
「出来杉くん?」
緑色のフェンスのそばに立ち、出来杉は、透き通るような笑みを浮かべていた。
自分で自分を抱くようにしながら、側まで歩いていく。傍らで見上げる出来杉はノビよりもいくぶん背が高い。髪は細くて、日に透かすとほとんど青に近い。膚は真冬のすりガラスの色だ。
「ねえ、授業が始まるから教室に戻らない?」
「……昔、原初の霧のなかで、宿命(フェイト)と運命(チャンス)が賽を振った。けれど、勝ったのはどちらであるか、誰も知らない」
「え?」
「どちらが勝ったのかは、誰も知らない」
あっけにとられて見上げるノビの前で、出来杉は、なんともいえない不思議な表情を浮かべていた。笑っているようにも、泣いているようにも見える。それすらも透徹した目。透き通って意思のない目。
「時間というものは果たして存在しているんだろうか?」
「え、ええっと……」
「過去・現在・未来という流れは果たして現実なのか? 人間という生き物のなかでテロメアの消耗していく順番に『瞬間』を『記憶』という形でファイリングしたもの、それが時間に過ぎないんじゃないか?」
相変わらず絶好調で電波を受信してるなあ、とノビは呆然とするしかない。
とうとうと喋り続ける声はガラスの鈴のように透き通って綺麗だが、言っている内容はとにかく支離滅裂としかいいようがない。しばらくして気を取り直すと、ノビは、ガリガリと後頭部を掻いた。
―――出来杉が『電波』を受信し始めたら、基本的には、もう、ほうっておくしかない。
いくら止めても無駄だ。スピーカーのプラグを抜いても、音楽そのものがストップするわけではないように、かりに口を塞いだって、『電波』は受信され続ける。そういうからには付き合うしかあるまい。ノビは五年生最初のホームルームをあきらめた。
「出来杉くんは時間は実在すると思うの?」
「不在のライターの証明。過去から現在へと移行し続けるライターは果たして存在するのか?」
「ううん…… ぼくにはよく分からないけど…… でも、確かに今日の前は『昨日』だったよね? だったら、時間は存在するんじゃないの?」
その台詞の、どこがフックになったのか。
出来杉が、とうとつに、振り返った。
まじまじとノビを見下ろす。その目。透き通った目が――― 滅多にないことに――― ノビに、たしかに焦点を合わせていた。
ガラス玉のような色の目。ノビは、背筋がわずかにぞくりとするのを感じる。
「物語の登場人物は、物語の外には出られない」
風が吹いた。冷たい風。出来杉の、薄い色の前髪を吹き散らす。細く白い手がそれを押さえた。
「では、物語の登場人物には意思はないのか? 彼らがいかに力強く、また、意思に満ちているように見えても、彼らは運命の奴隷に過ぎないのか? だとしたら、ぼくたちもまた、運命の奴隷に過ぎないんじゃないのか?」
「……」
怖いような目だ、と、ノビは思った。出来杉はつぶやいた。
「ほんとうは、今日は雪が降るはずだったんだ」
ふいに、寒気を覚える。ノビは自分の身体を抱きしめた。
「ね、ねえ、出来杉くん…… 何がいいたいの……?」
出来杉は、しばし、ノビを見下ろしていた。―――ふと、二人の間を、ふい、と桜の花びらが舞った。
出来杉は目をそらす。その視線の先には、桜の老木があった。
「『So it goes.』」
薄い色の唇が呟く。どこかで、聞いたことがあるような台詞。
「え……?」
どういう意味なの。そう、聞き返そうとした。けれど。
その瞬間だった。
轟、と地面が揺れた。