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 そして、ノビは、自宅の床に座っている自分に気付いた。
 かすかに埃が舞い、窓から差し込む光にきらめいている。それがきれいだ、と思った。あきらかに意識が覚醒していなかった。それからノビは目の前にいる男を見た。まず視界に入ってきたのは、鮮やかな、プラスティック・ブルーの髪だった。やや長い。それを、首の後ろで無造作にくくっている。
 男がゆっくりと顔を上げる。顔が見えた。まだ若いように見えた。精悍な、整った――― だが、たしかに端正だとは分かるけれども、どうしようもなく無個性な顔立ち。肌の色こそわずかに褐色かかった色だが、顔立ちだけではどの人種に属するのかも判別不可能だった。けれど、そんな顔立ちの中で、瞳だけが異彩を放っていた。やや釣り目気味、白目がちの…… どう表現したら良いのか分からない。ただ、あきらかに『非人間的』としかいいようのない目。
「えーっと、お客さん?」
 母の、のんびりした声が聞こえて、ハッと、我に返った。
「……―――!!」
「静かに」
 悲鳴を上げようとした瞬間、その声が、一本の指で、ぴたりとふさがれた。
 いつの間にか、男の手が挙がっている。喉に一本、指が触れていた。白い手袋の手。それだけだ。……それだけなのに、一呼吸がふさがれ、それによって、悲鳴が封じられた。
 悲鳴を上げそこなったノビは、ただただ、呆然として、男を見た。
「あ、あなた…… 誰、なの」
「俺はType-Felidae:F-HND-001」
 男は無表情に言い放った。

「分かりやすく言えば…… お前を守るため22世紀の未来から来た、ネコ型ロボットだ」

 ノビの顎が、かくん、と落ちた。
 ……どう反応しろ、というのだろうか。とりあえず、ツッコミどころが多すぎる。
 目の前に座り込んでいる男を見る。人間だ。ネコではない。ロボットでもない。強いていえばデカくてゴツく、さらに、髪の色は馬鹿げたプラスチック・ブルーではあるが、どこからどう見ても、『人間』以外の何者でもない。
「え、あの…… っていうか、あなた、『人間』ですよね?」
「いや、ネコ型ロボットだ」
 ノビは思わず絶叫する。
「あなたのどこがネコでロボなんですか!?」
 だが、男は、あくまで淡々と返してくる。
「俺は生体タイプのロボットだ。体の91・2%までは有機物で構築されている。だが、ホモ・サピエンスないしはヒト亜科以下の生命体のDNAをバイオロイドに使用することは違法だから、俺の有機体部分は『Felidae(ネコ)』のモノに手を加えることによって構成されている」
 だから俺は『ネコ型ロボット』ということになる、と男は言う。ノビは、頭がくらくらするのを感じた。
「そ、それ、ネコ型って言うの?」
「So it goes.(そういうものだ)」
 こともなげに、男は、言い放った。
 ……この感覚、何かに似ている、と思ったら、出来杉と会話するときの感覚なのだった。
 ようするにこのヒト、電波のヒトなんだろうか。ノビは大きく息を吸い込み、それから、吐き出した。
「あの、腕を見せてください」
「何故だ?」
「いいから」
 男は素直に腕を差し出す。ノビは男の着ているジャケットの袖をまくってみた。静脈に注射針の跡はない。左利きである可能性も考慮してもう片方の腕も見たが、やはり、無かった。―――少なくとも、ヤク中ではあるまい。しかし、『天然電波』である可能性は否めない。それにしても逞しい腕だった。特別に『マッチョ』というわけではないが、太い骨にしなやかな筋肉が僅かの無駄もなくついている。ノビはそろりと男を見上げる。男は相変わらず無表情だ。
「どーしたの、ノビちゃん?」
 そのとき、ふいに、後ろから声をかけられた。
「ま、ママ……」
「あー、その人、誰?」
「ママが連れ込んだんでしょッ!?」
 さすがに声が裏返る。いくらなんでも、無責任すぎる発言だ。
「誰だよこれッ! っていうか、知らない男の人を家に上げないでよ!」
「ううん、たぶん悪いヒトじゃないよー」
 母はふにゃりと笑った。ノビはそのまま言い返そうとして…… だが、ハッとした。
 『既視感』。
 これと同じようなコミュニケーションを、一度、交わしては居なかったか?
 だが、ノビは、もう、次の言葉を言ってしまっていた。
「この人、誰?」
 母は面倒くさそうにガリガリと頭を掻きながら、視線を彷徨わせる。その視線の先には、コタツの上に置かれた菓子盆があった。そこにはドラ焼きがいくつか置かれている。それを見た瞬間、ノビは悟った。
 次の母の発言を、自分は、『知って』いる。

「ええと…… ドラちゃん」

 母は、そう言い放った。
 ノビが『一度体験した』この朝と、まったく同じように。


 ノビは早々に母を寝室に追いやった。そして、改めて、青い髪の男と向き直る。
 じっ、と見つめるノビに対しても、男は、無感情な目を向けているだけだった。やもあればキツめと取られかねない三白眼。だが、男は壁際に座り込んだきり、動こうとしない。ノビは彼から出来るだけ距離を取ったまま、おそるおそる、話しかける。
「ええっと…… 貴方は……」
「俺はお前を守るために、22世紀の未来から来たネコ型ロボットだ」
「それはもう聞きましたッ!」
 それが現実かどうかなんて、もはや、どうでもいい。とにかく問題はこの男、そして、さっき『体験』した、異常極まりない体験のことだ。ノビが頭を掻き毟りかけたとき、ふいに男が言った。
「お前は、今、『現実崩落体験』という能力によって、未来を『視た』」
「―――え」
「正確には『未来』ではない。だが、能力が発動し始めた時点からの時間経過の中で、最も可能性の高い未来を、実際に『体験』したはずだ」
 男の目が、ひた、とノビの目を見据えた。薄い茶色の目。
 ノビは、笑おうとした。だが、唇からもれたのは、引きつったような奇妙な声でしかなかった。
「え…… そんな…… だって、あれ……」
 学校が、爆破された。
 大火傷を負った生徒たち、ガラスの破片によって無残に切り裂かれた生徒たちの体が転がる校内を、友の安否を確かめようと、必死で走った。
 そして、しず香に出会い―――
「しず香、ちゃんが」
 ノビは、呆然と呟く。
「へ、変な、ことを、してて」
「どんなことを?」
「手が……」
 しず香は、『しず香の皮をかぶった何者か』は、異常なことをやってのけた。
 自分よりも遥かに距離の離れたところにあるものに対して、『触れて』見せたのだ。自らの腕の代わりに、幻覚のようなものを生み出して。そしてノビは、その腕に頚椎を砕かれて…… 死亡、した。
 そう悟った瞬間、ぐっ、と胃の腑がせりあがってくるような感覚を覚えた。
「う、ぐ」
 ノビは思わず手で口を押さえる。口の中に胃酸の苦い味が広がった。体ががくがくと震えだす。涙がこぼれる。
 死んだ。
 自分は一度、確かに、『死んだ』のだ。
 そんなノビを、男は、冷静に見下ろしていた。
「……それが、『世界崩落体験』だ」
「なんだよ、それッ!?」
「お前は『未来』を『擬似体験』することができる。だが、それはお前が『死ぬ』未来のみだ。So it goes.(そういうものだ)」
 青い髪の男は、淡々と言った。
「お前にとっての『世界崩落体験』は、現実か、それとも仮想体験かの区別がつかないほどの高精度のものらしいな…… 推測されたデータ以上だ」
 男が何を言っているのかが、ぼんやりと理解されてくる。
 要するに、自分は『超能力』に目覚め、今日、起こる出来事をあらかじめ体験した。そして、その結論は、『ノビの死』だった。……背筋の毛が、そそけ立つような気がした。
 だが、到底納得の出来るようなものではない。『未来』だと? そんな超能力のようなものを、どうして自分が持っているというのだ!!
「知らないよ、そんなのっ!」
 ノビは思わず立ち上がった。片手でランドセルを引っつかむ。このまま学校へ行ってしまえばいいのだ。こんな異常な男になどかかずらってはいられない。そうやって無理やり自分をごまかそうとする。けれど。
「待て」
 ぐっ、と腕をつかまれた。
「!?」
 男の手は、痛みを与えはしなかった。だが、まるで手錠のように腕を締め付け、決して振り解くことが出来ない。ノビはまじまじと男を見下ろす。男はゆっくりと立ち上がった。壁に手を突き、よろめきながら。
「―――俺の使命は、お前を守ることだ」
「だからッ、そんなことッ……!!」
 だが、抵抗するノビに構わずに、男の目は、ひた、とノビを見据えた。 
「このまま、お前が『世界崩落体験』の中でとったのと同じ行動を取れば、お前は間違いなく『死亡』する」
「―――……」
「それを阻止するのが俺の使命だ。さあ、話してくれ。お前は何を体験した? 一体、これからお前の行く場所で、何が起こるのだ?」
 ノビの目の裏で、フラッシュバックのように、無数の映像がひらめいた。
 散乱するガラス。黒煙と蒸気。死にきれずに呻いている無数の生徒たち。そして――― 異様な力を見せ付け、決してしず香では『ありえない』表情を浮かべていた、しず香。
 足から力が抜ける。ノビは、ぺたんと座り込んだ。
 男は黙ってノビを見下ろしている。ノビは、途切れ途切れに、呟いた。
「学校で…… 何か爆発が起こって……」
 ノビは、搾り出すように、声を押し出す。何を言っているのかも定かではないのに。あれは『夢』じゃなかったのか? あのあまりに異様なリアリティが無ければ、そう言って片付けたいほどの体験だったのに。
「ぼくが…… みんなが無事か確かめようとして下に下りたら、しず香ちゃんがいて…… それで、しず香ちゃんが……」
 途切れ途切れの、混乱したノビの言葉を、男は、けれど、冷静に聞いていた。そして、最後まで聞き終わると、「分かった」と短く答えた。
「おおよその事情は把握できた」
「え」
「犯人はTP特殊機動部隊のエージェントだろう。その『しず香』という少女の脳に巣食って、テロに見せかけてお前を抹殺しようとした。稚拙な手口だ。おそらくはただの『同調者』レベルの相手だろう。……現状の俺の状態だと、少々厳しくもあるが……」
 勝てぬ相手ではない、と男は言い切った。
 そして、呆然としてしているノビに向かって、「欲しいものがある」と言った。
「な、なに」
「金とプラチナを少量。チタンも欲しい。部品が足りない。現時点だと、俺は、通常状態の13%の出力しか出せない」
 男は、立ち上がろうとし、よろめいた。ノビは慌てて彼の身体を支える。分厚いジャケット越しにも感じる体温。
 まさか、このヒトが、ロボットだなんていわれても…… やっぱりただの電波さんって可能性も……
 だが、ノビのその一縷の希望も、次の瞬間には、木っ端微塵に打ち砕かれた。
「この程度でも、足しにはなるか」
 男は、そう呟くと、コタツの上においてあった母の携帯電話を手に取る。そして、止める間もなく。
 バキリ、と二つにへし折った。
「―――-ッ!?」
 男は、プラスチックの携帯電話を、指先の力だけでこともなく破壊する。そして、その部品を、口へと運んだ。噛み砕く。
 ばり、ばり、ばりん。
 唖然としているノビを見た男は、無造作に言った。
「安心しろ。消化器官から、体内に不足している物質を取り組み、再構成を行うだけだ」
「……」
 どこをどう、安心しろというのか。
「え、えと」
 男は完全に携帯電話を噛み砕き、ごくりと飲み込む。そして最後にぺろりと指を舐める。そのしぐさだけが妙に人間的で、目眩がした。
 だが、ノビは、どうにも悟らざるを得なかった。
 自分が死なずに済むためには、どうやら、この『自称未来からやってきたネコ型ロボット』という、世にも胡散臭い男の手が必要らしい、ということを。
「貴方は…… じゃなくって……」
「なんだ」
 ぶっきらぼうな口調が怖い。ノビは、そろりと彼を見上げる。相変わらずの無表情。だが、とりあえず悪意は無い。……無いと思う。
「ええと、とりあえず、貴方の名前は?」
「Type-Felidae:F-HND-001」
「それ、名前じゃないよ」
「そうか?」
 無表情で、間の抜けた返事。ノビは深い深いため息をついた。こうなったら、もう、付き合うしかない。
「ええと、じゃあ貴方は石川五ェ衛門…… じゃなくって、ドラ焼き…… でもなくって、ああ、もう!!」
 ノビは両手で頭を掻き毟り、びしっ、と男を指差した。
「じゃあ、貴方の名前は『ドラ衛門』!」
「……ドラ衛門?」
「うん」
 理由は、何か石川五ェ衛門っぽいから。でも、そのままだとあんまりだから、母の提案を半分取り入れて、『ドラ衛門』。
「これでいいよねっ、ドラ衛門!?」
「了解した」
 男改めドラ衛門は、あっさりと馬鹿げたネーミングを受け入れる。
「なら、いくぞ、ノビ。学校に遅刻する」
「……え?」
「俺も行かざるをえないだろう。お前一人の力では、事件を解決できん。So it goes.(そういうものだ)」
 ―――ノビは、再び、顔面蒼白になった。



*********

やっと青タヌキ登場。
命名はノビちゃん。なんつうか、ネコ型ロボットというよりもターミネーター。

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