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『境界例(ボーダーライン・パーソナリティ)』の略で、ネットスラングだと『ボダ』とか言ったりもしますね。
……いきなりぶんなげですが、細かいところはウィキ先生にお願いします。
『境界性人格障害』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%83%E7%95%8C%E6%80%A7%E4%BA%BA%E6%A0%BC%E9%9A%9C%E5%AE%B3
あと、もう一個よく通っているところのサイトで分かりやすい(しかも専門家が書いている)記事を一本。
『境界例とインターネット』
http://psychodoc.eek.jp/abare/bpd.html
これを両方読むのがめんどくさい人のために、私なりの理解で言わせて貰うと、『境界例』というのは『人格障害』という一連の行動の歪みの一種に罹患していて、ある種の特徴的な行動を取る人たちのことをいいます。
診断で言わせて貰うと次のとおり……
- 見捨てられ不安
- 理想化とこき下ろしに特徴づけられる不安定な対人関係
- 同一性の障害
- 衝動性
- 自殺企図
- 感情不安定
- 慢性的な空虚感
- 怒りの制御の困難
- 一過性の妄想様観念/乖離
……分かりにくい。しかもウィキから丸引きだし。
ようするに、『いつも誰かに見捨てられるんじゃないか』という不安を抱いていて、『自分に優しくしてくれる人を理想化』したかと思えば、ちょっとしたきっかけで相手を『こき下ろし』はじめたりする。『慢性的な空虚感』のせいでいつもうつ気味不安気味かと思えば、『怒りの制御の困難』『感情不安定』『衝動性』でいきなり乱暴になったりキレたりする上、その原因は『一過性の妄想様観念/乖離』なのであんまり理由が無かったりする…… って感じですか?
ただし、これはあまりあたってるって気がしないなぁ…… 理念的だからか。
外見的には、なんつうか、なんらかのモノに中毒している場合が多い気がします。薬物中毒(医者で貰う薬含める)や自傷中毒は一般的で、あとは女性の場合不安定な性的関係に依存してることも多い。ときどき過食症や拒食症に足を突っ込んでる人もいます。あと、所謂ゴス系、バンギャ系とギャル系になってることも多い。(純正の腐女子は意外といません)
話してみると、意外に魅力的な人が多いというか、奇妙な魅力を持っている子が多いというのも特徴かもしれません。有名なのが『南条あや』。ネットアイドルのさきがけと言われた女子高生ですが、最終的にはオーバードーズと自傷が原因で亡くなっています。書いている日記はちょっとシニカルでユーモアに富んでおり、自傷や薬のオーバードーズの記述にためらわない、あるいは魅力を感じる人には、今でも非常に人気があります。
ただし、『魅力的』なのは遠くから見ている間…… 実際付き合ってみると非常に苦労するというか、『した』記憶があります(笑)
えーと純正のボダを自称する人ってのは世の中ほとんどいなく、さらには大半が自己診断名『うつ』を名乗ってるため分かりにくいのですが、外見から見て「ちょっと『境界例』っぽい」って人は今の時代ものすごく多いなぁ、と思います。
たとえば、自傷をしていて、それを写真にとって公開する…… まで行くとやりすぎですが、いつもなんとなく寂しい、いつもなんとなく居場所が無い、そのせいでつい精神科で貰ってる薬を飲みすぎちゃう、つい彼氏に依存しちゃって一ヶ月単位で違う男性と付き合ってる、つい手首を切っちゃう…… くらいの人だったら、今の世の中五万といます。特に10代~30前後の女性で。
で、さらに範囲を広げて、『共依存的な関係にあこがれる』『自傷行為・OD(薬物過剰摂取)に興味がある』『(精神的な空しさから来る)性的な放埓に興味がある』にまで行っちゃうと、これは、もう、もんのすごい潜在人口がいるんじゃないでしょうか。
自分はオリジサイトを経営するまで現役の二次創作作家であり、オタク女子だったわけですが、二次創作作品などを見ていると、そういったテーマをとりあつかったものが大変多く見られます。上に上げた三つのテーゼなんて、若い子なら若い子ほど取り扱うもんで、実際に手首を切ったことはないにしろ、自分を投影したキャラクターにリストカットをさせた、つまり、バーチャルな意味での自傷行為を行ってる子はものすっごく多い。
本当の『境界例』になると完全に精神科領域の話なので、ここでしているのは漠然とした印象論なのですが、ごく軽い意味で『境界例』的な気分を共有している女の子ってのは多いんじゃないのか? って話です。
『境界例』の特徴的な部分として、非常に『見捨てられ不安』が強い、というのがあります。
まあ、平たく言っちゃえば(また印象論になるのですが)、自分はいつも誰もかもに見捨てられて、一人ぼっちになるんじゃないか、って不安ということです。だから『境界例』の人はいつも『愛』にすがりつきます。『性愛』だったり、『家族愛』だったり…… 一人でいられない。一人だと何かすごく不安。誰かに愛してもらいたい。誰かに優しくしてもらいたい。しかも、それが打算的な『愛』ではなく、真実の『愛』じゃないとイヤ。
でも、この場合の『真実の愛』ってのは、『神はいつも私を見ていてくださる』とか、『観音様が救ってくださる』とか、そういうレベルの『愛』です。およそ現実的じゃない。実際、病理レベルにならない『境界例気分』程度の子たちはそれに気付いていると思います。だからちょっとしたラブ・アフェアー(古い言葉だ)でそれを満たそうとしたり…… 腐女子の場合は、バーチャルな対象にそれを移すことによって解決しようとしたりします。
801の話になると、結局、たいていの801だと、一つのペアが完全な調和を手に入れることによって話は終わります。以前、実際に自傷をしている人と話していたのですが、「好きな人がやめろと言ってくれた程度でやめられるなら自傷はしない」という話になり…… でも二次だとそういう話は大変多い。見捨てられ不安の強い孤独な少年が自傷行為や性的放埓に走っていて、でも、それを非常に包容力のある誰かが見つけ出し、「そんなことはしないでもいいんだよ、キミがどんな人間でも、私はキミを愛しているよ」と伝えることによって、魔法のように彼の孤独は癒される。
……バカ言うんじゃねえよ(笑
いや、まあ、それがいくらバカだろうと(笑) それを書かざるをえない素人作家少女たちの切実さというのは真実だと思います。話によっては最終的にそれが行き過ぎて相手を刺し殺して冷蔵庫に詰めたり、自分が自殺したりと言う話も多いし。
ただまぁ、掲示板でも書いたんですが、つまり、そういう『境界例気分』というのは、優しさのブラックホールです。『完璧な愛』を求める欲求は相手の優しさを無限に吸い取り続けます。いわば餓鬼道というか、つまり、フィクションじゃないとありえないレベルの精度の『愛』じゃないと認めてくれないのです。
通例、そういった人たちもたいていは高校生にもなればそんなもんは夢まぼろしだと気付くんですが、それでも、『気分』は捨てられずに、フィクションに委託しつづけるんじゃないでしょうかねえ。おかげさまでフィクションの世界はそういう愛に飢えた餓鬼たちの物語で一杯になる、と。
『皆愛の歌に背突かれて 与えるより多く奪ってしまうんだ』
(『Drifter』 キリンジ)
……いやまぁ、こういう話は太宰治も書いてたんだよとか言わないでください(笑)
でも、本屋さんをみると最近境界例の本がやたらと多くてビビるのも事実。時代の病ってやつなんでしょうかねえ。もう、世紀末も遠いっつーのに。