オリジナルサイト日記
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友達と話していて、「由仁子さんところのキャラは変な名前が多いねー」と。
特に女の子……
男子はわりと普通の名前が多い。ちなみに現代モノの話ですが。
あと、人外キャラは変な名前じゃないとダメだよなーという信念があるため、あえて、面白い名前! 名前! と思っていろいろ考えております。ネーミングセンスの有無はまあおいといて、ちょっと覚えやすい程度には変な名前がいいなと。
個人的にヒットだったのは、タイトルにもなってる『人喰い乃々介』の『乃々介』。『ののすけ』というひらがなで書くとどう漢字表記するのかさっぱり分からないネーミングがポイント。(笑
えーと、現在、サイトには掲載してませんが、今、妖狐キャラをメインにした話を書いてます。具体的にはトミノのパパ違いのおにーちゃんの話で、十束町の過去エピソードの話なのですが。
その関係で、トミノの親戚の名前をなんとなく全員設定しました。基本、ママとおじいちゃん(正確には実は違うんですが)とおにーちゃんと。
あとは、まだ構想段階だけど、やっぱりちょっと異能者系の女の子の出てくる話もあります。
で、なんとなく名前が変なキャラばかり。メモ代わりに羅列してみます。
妖狐キャラ
辰砂(しんしゃ) 牡狐で外見は20前くらい。派手な性格。トミノの異父兄。
唐桐(とうぎり) 牝狐でトミノのママ。実年齢は不明だが、10歳前後の人形のような美少女。
白阿弥(しらあみ) 牡狐でトミノの叔父。唐桐の弟だが、現在は甘味所『いづな屋』のオーナー。外見は60代後半の初老の紳士。
……実は、あのじいちゃんの名前は『白阿弥』というのですよ(笑
あまりに大時代な名前だし、今名乗るにはふさわしくない名前なので、普段はいろいろとテキトーに名乗ってます。だから祐樹も本名は知らないと思われ。
ちなみに妖狐キャラは人間としての外見は本人の意思で操作してます(半妖だし若いトミノは例外)。なんで、上記のキャラは年齢性別はそのときどきによって操作してるでしょう。
もしかしたら、『いづな屋』のじいちゃんが、そのうち、青年の姿で登場することもある…… かもしれない(笑
あと、他の『変な名前のキャラ』は以下の通り。
『人喰い乃々介』:井戸道奈子(なこ)
『50円玉20枚の謎』:高見マリエ
(タイトル未定):葛城木犀
全員女性キャラクターです。で、比較のために男性キャラをあげておくと、
『50円玉20枚の謎』:日下部慈郎 高橋洋介
『狐祭りの夜』:水島祐樹
『狐の恋わずらい』:黒羽柊吾
『スノウ・ドーム』:藤崎トオル
……うん、普通だなあ(笑)
ちなみに『マリエ』の漢字表示は『鞠枝』、『トミノ』の漢字表記は『登美乃』となると思われますが、基本はカタカナ表記で。
変な名前を考えるのは、楽しいのです。
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ネットをさまよっていて、『ALI PROJECTの曲は気持ち悪い』という趣旨の日記を発見。
……嬉しかった!(笑)
いや、だって、たしかに気持ち悪いんだもの。そんで、その気持ち悪さこそがアリプロの魅力だと思っているので、不自然にブームになってるっていうのはちょっとイヤな気持ちがあるのです。あまりに背徳的というか、ちょっとこれは不味いんじゃあ? 的な歌詞もかなり多いので、それを指摘してくれる声というのは素直に嬉しい。
特に気持ち悪いと思うのは…… なんだろう、やっぱしアルバム『Dilettante』はヤバめの曲が多いですね。
『食べて飲んで吐いて出し 泣いて笑い生きて死ぬ 弱肉強食成れの果て それがすべてそれで終わりさ』(人生美味礼賛)
『天井の屋根裏に小さな穴があるの 夜毎軋む足音 その目が覗くとき わたしの部屋は陳列台』(ディレッタントの密かな愉しみ)
『云うこときかない可愛い君を攫って 桃源楼の房間監禁しませう 絹繻子帯子で目隠ししたら 緋牡丹の荅に接吻を』(北京LOVERS)
『盛りの季節(とき)はすぐに過ぎて どんな泉も枯渇する 愛を失くして誰もみんな 骨まで老いて土になる』(密猟区)
うーん、退廃的。
宝野アリカは昔歌詞集を詩集として出してたんですが、それの帯がすごい。
「中原中也がパリの公衆便所でジャン・ジュネに犯されていたならこのような詩をかいたかもしれない」…… しかもこれたしか久世光彦さんが寄せてた気がするよ。
とまれ、甘いものは毒なのです。
本は教育のためにいいとかおっしゃる方、子どもにシェークスピアの劇を見せたいとおっしゃる方、美術館へ行くのは良いことだと信じている方、あきらかにそれは間違ってます。
正直、乱歩の初期作品…… それも『芋虫』とか『踊る一寸法師』を読むくらいだったらジャンプ漫画しか読んでるほうがよっぽど健全だし、『マクベス』を小学生に見せたり、ギュスターヴ・モローの画集なんぞを買い与えるくらいだったら、おとなしくそのお金でゲームを買うか、スポーツの感染チケットを買ってあげるべきだと思います。
『読書』はえてして『毒書』なのですよ。そして、『読書家』というのは、『毒書家』であることも、けっして少なくない。
本を読み音楽を聴き観劇をし美術をたしなむというこの悪徳……
驕慢、孤独、妄想という病を得たくないなら、すみやかにそういったことはやめることです。とはいえ、そういうことをいってやめられるような人間は、基本的に毒になるような本は読まないだろうなあ。
えーと、なんかぽろぽろ書いてたら続きが出来上がったので、あらためましてサイトのほうへとUP。
その結果、若干齟齬とか修正ができたので、日記にUPした分は削除しておきました。
すべての予告をブッ千切って、『子作りしましょ☆』二話のスタートです(苦笑)
まあ、のんびりいきまっしょい。
実は掲示板にていただいたお話のレスなんですが、話題的にこちらのほうが適切な気がしたのでこっちに載せます~。
人形モノは基本的に大好きです。作られたものとしての悲哀と誇り、心を持たぬ安楽、究極の受容性、そして、『人ではない』という事実そのもの。どれをとっても『人形』でしかあつかえないテーマですね。
個人的には『人形』と『ドール』と『アンドロイド』はベツモノだと思ってるんですが、どれもを併せ持ったキャラクターってのもけっこういるのであまり細かく分類するのもどうかという気がします。
なので随想風に。
1・人形
いわゆる一番古いタイプの人形。ビスクドール・アンティークドールに始まり、市松人形やもっと古典的な意味での人形も含む。『ローゼンメイデン』『観用少女』はたぶんここのカテゴリ。
熟練した職工によって作られて、高値で取引される観賞用・愛玩用の人形。基本的には魂を持たない存在だけれども、『意思』はもってることも多い気がする。
一般的にはプライドが高く、自分が美しいことを知っていて、人間は人形を世話するために存在するくらいに思っている(笑) そんで、モノがモノだけに長生きしてることが多い。感情豊かでもあんまり違和感は無い。っていうか、もしかしたらただの妖怪かもしれない。
『ただそこにいるだけ』で意味があるタイプの人形なんで、あんまり、悩まない気がする。強いていえば美しくなくなること、愛されないことは彼女らにとっては苦痛のタネかもしれませんけれども、悲哀という意味だとあまりイメージにないなあ。
人間なんてばかみたい、虫みたいにすぐ死んじゃうし、と思っているのが一番ふさわしい気がする子たちのカテゴリ。
2.ドール
あえて英語表記したのは、『球体関節人形』を意識してのこと、です。
固有の作家によって作成された、目的を持った人形。その『目的性』ってのは上記の『人形』と違うカテゴライズをされる理由で、ドールはあくまで己の目的をもって存在します。それはもしかしたら誰かの意思をあらわすことかもしれないし、何かを達成することかもしれない。場合によっては美しくないこともあるかもしれない。ちょっと恐ろしいところもある気がするイメージ。
ドールのカテゴライズってのは、ある意味アンドロイドともかぶるんだけれども、その中でもどちらかというと力無く美しく『愛される』ということを目的としている子たち、っていう意味でカテゴリを変えました。でも、『造られたもの』の哀しさ、彼ら彼女らは決して人の心を理解できないし、持つこともできない。心をもたないことの哀しみを、そこにいるだけで表しているようなところもある。
主人にたいして無償の愛を注ぎ続けるドールってのも、イメージとしてはアリ。ここは現代人形をいれるためのカテゴリなので、かなり広範に実在の人形をカバーします。
主に球体関節人形・ラブドール・SDなど。ファンタジー的な設定外だとあまり動けません。レスになりますが、『時計仕掛けのヒマワリ』のヴァニラの悲哀ってのは、『ドールとしての悲哀』ってのをすごく感じます……
まるで人が神を愛し神を憎むように、人に作られた存在であるものたち。
3.アンドロイド
上とはかなり意味合いをかえて、一気にSF的になりました。
目的を持っていて稼動しているAIを備えた人型ロボット。ただし、この『目的』ってもんが個人の作者によるものという意味合いが強くなりすぎると、カテゴリとして『ドール』に近くなります。最近のSFだとけっこう良く出てくるよなあアンドロイド。ただし、どこまでが『ドール』でどこまでが『アンドロイド』なのかというと、かなりあいまいです。大きな枠として考えるなら、本来ほとんど動かず人間を脅かす力を持たないのが『ドール』であって、人間を超える能力を持つものである場合は『アンドロイド』とすると分かりよいかと。
人に近いため、人のエゴを映し、人の醜さを指摘する力を持つ存在。そして場合によっては戦う存在。ターミネーターもアンドロイドだしねー。硝煙の臭いと、むき出しになった金属パーツが良く似合う。
昔昔の言葉で言うなら『ロボット』なんでしょうが、自分の中だとロボットとアンドロイドは別の存在です。ロボットは人型をしていないことが多い、ってのがいちばんのポイント。そのためにロボットは『ロボットとしての自我・権利』に悩むことはあっても、『人間ではないということへの葛藤・怒り』は感じません。
ある意味だと『人造人間』になるのかなー。
自らが心を持つと自覚し、時にその知性を、能力の高さを誇り、人間を主として見るだけではなく、ときに友として、ときに隣人として、敵として、見る事もある人たち。ここまでくると受容性はかなり小さくなり、『サイボーグ』として『人間』との境界線を踏み越えるまであと一歩です。
良くも悪くも彼らは『人間もどき(アンドロイド)』であって、『ひとがた(ドール)』ではない、というところが重要ですね。『もどき』と『型』は違います。『もどき』は本物にちかづくことを望むけれども、『型』は別にそれとして完成している。『ネコ型ロボット』は自分が猫じゃないことに葛藤するかもしれないけれども、『猫のぬいぐるみ』は別にもとからぬいぐるみである自分に疑問を抱かない、みたいな・・・・?
長くなったので割愛しますが、私は基本的には『人形』『ドール』のカテゴリの存在が好きです! あの『非人間さ』が良くも悪くも魅力だと思うのでー。
薔薇乙女は『人形』と『ドール』の中間だと思うし、三原ミツカズのDollは『ドール』と『アンドロイド』の境界線だと思います。ちょびッツのパソコンも『ドール』と『アンドロイド』の境界かな? OZの彼らは完全に『アンドロイド』。日本には『鉄腕アトム』というアンドロイド的存在の元祖があるし、江戸川乱歩が『人形愛』を一種かなり完璧に近い形で体現していたんで、よくもわるくも人形文化は日本のサブカルには欠かせないんじゃないかなーと思います。
良くも悪くも『主我』のあるなし、じっさいあるかないかというよりも、本人たちがそれを「ほしい」と思うか否か、が重要だと思われます。
まとまってないが以上!
……じゃないと、登録できないサービスを発見して、非常にあせる。
だって私、パソコンの本来のアドレス使ってないから、無料のサービスのメールしか使い方が分からないんだもん!!
そういうユーザーのことは考えてくれないんでしょうか、復刊ドットコム…… せ、せめて携帯のメールで登録したいんですけど、それもダメか!
ううううっ。
明日、サーバーに連絡しよう。