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ちなみに前回の日記で『硝視体』は『グラス・アイ』を読みます。飛浩隆の『グラン・ヴァカンス 廃園の天使1』という小説に出てくる一種の魔法の石? 仮想現実の世界の中で、現実変容の力を持つ特殊なツールというかなんつうか。ひとつひとつが個性的で非常に美しい不思議な物質です。理屈は横に置いといて、イメージとしていちばん近いのは『マテリア』(FF7)、『魔石』(FF6)かもしれない……
なんか『スノウ・ドーム』の書いてる分、残酷表現がむっちゃ頻発してきた。このままだとR-15くらいの扱いにしたほうがいいかもしんない。えー、でも、バラードの『結晶世界』も、上記の『グラン・ヴァカンス』だって別に普通に書店で売ってるしな~。それに『廃園の天使』にはマルキ・ド・サドの作品を愛する女子中学生だって出てくるのです。(文庫には収録されて無いけど)
残酷表現を好むのってむしろ子どものような気がするんですけど、それって、理屈に合わないのかな?
うちの母は今では普通のミーハーなんですが、小学生くらいの頃には拷問の本とか残酷事件の本とかを愛読していたというし、私だって、『美しき拷問の本』とか『美しき殺人法100』とかを読んでドキドキしてたもんです。そして、ああいう過剰な残酷表現というのは無害だと思う。だって、サドの本の殺人方を実現するのは、現代の小学生には実質不可能でしょうが。ついでいうと澁澤御大も「サドの本で抜けるヤツはいない」といっておりますし。……沼正三はいるのかしら。
ちょっと話はずれますが、私は古典ポルノがけっこう好きです。
サドの作品とか、あとは『O嬢の物語』とか、『閉ざされた城の中で語る英吉利人』とか。マゾッホは『毛皮を着たヴィーナス』は読んでないけど短編集『残酷な女たち』はけっこう好き。なんていうか、当時のポルノは気品があっていいですね。妄想に、妄想たる硬質さがある。「これは妄想である」という前提の下にたって、妄想にしか到達しえない境地を達成しようとする矜持がある気がします。それが今駅で買えるようなポルノと違うところですね。「もしかしたらおれもこういう体験が」という生ぬるい気持ち悪い夢想がないもの。いや、そういう凡百のポルノは歴史の波のかなたにきえてっちゃっただけだと思うのですけれども。
ロワッシーの館は現実には存在しないし、サドの作品に出てくるような乱痴気騒ぎを実践するのは理屈としても不可能です。美女美少女美少年を数百人集めて毎日何人ずつ虐殺とか不可能だよ。だいたいサドは牢獄の中であのユートピア/ディストピアを夢想していたんですから、正真正銘の妄想だというのも理屈に合わない話じゃないですね。
人間を人間たらしめるものは想像力! すなわち前頭葉です。前頭葉があるからこそ妄想するんだし、空想するんだし。つまり前頭葉の純粋な産物であり、リビドーというエンジンに突き動かされた古典ポルノ的ディストピアというのはものすごく人間的なものなんじゃないのか?(こじつけです)
こんなところで言うまでも無いですが、私はゴスです。いや、服がというか趣味が。服も好きですが。
次に読むのはなんだろう…… 『毛皮を着たヴィーナス』と『一万一千本の鞭』かな…… あと映画の『ソドムの市』。観たら気持ち悪くなるともっぱらの評判ですが興味はあります。
『スノウ・ドーム』はどんどん残酷に、美しくなっていく予定です。おたのしみを。(笑