オリジナルサイト日記
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『家畜人類百科』っていうショートショート集を作ろうと思って、頓挫した結果。
あらためて読んでみたら意外と面白かったので掲載してみます~
********
「タツ彦じいさん、『青いソラ』って何?」
「不思議なことを聞くな。誰に聞いたんだい」
「昨日、クニ子ばあさんが死んだでしょ。最後に言ってたんだよ。あの青いソラって」
「……」
「ねえ、ねえ、なあに?」
「ここからは、見えない」
「ん?」
「ヤミ子、『地球』という場所には『ソラ』があるのさ。とても青くて、ときに赤くて、暗いときもあるのだとさ。おとぎ話だよ。……さあ、もうおやすみ」
ヤミ子は地下の国に住んでいた。つぎはぎになった金属を張り合わせた廊下が地下を縦横に走り、汚水の降ってくる天井にはダクトが植物の根のようにはりめぐらされている。そんな地下通路を歩き回り、ひがな一日トロッコを世話をするのがヤミ子の仕事だ。
トロッコは何両かが連結になっていて、連結部分にエンジンとギアがついている。そこに座り込んでギアを操作して、あちこちの分離部分でどちらに行くのかを決める。だが、通路に走る線路は状態がいいとは言いがたい。ところどころは線路が浮き上がり、水に浸ってしまっている部分もある。そういうところにたどり着いたときがヤミ子たちの仕事だ。ときには冷たい水に腰までつかりながら、トロッコを押したり引いたりして、なんとか線路を走らせなければいけない。
トロッコに積んでいるものは場合によってさまざまだ。なにかの鉱石を満載させられることもあるし、たんなる屑石をつまされることもある。たまには人を乗せることもある。トロッコはいつも規則正しい音を立てながら通路を走る。
ヤミ子といっしょにトロッコに乗っているのは、トロッコ族のタツ彦じいさんだ。タツ彦じいさんはもう30過ぎの老いぼれで、肌には埃が染み付いて真っ黒になっている。最近は髪の毛を剃る刃物が手に入らないから、タツ彦じいさんの頭には、ごま塩のような髪がまだらに伸びていた。
クニ子ばあさんがそうだったように、たぶんヤミ子もトロッコの上で一生を終えるだろう。しかし、それにもとにかく他のトロッコ族に会わなくてははじまらない。ヤミ子は最近ずっと考えている。ほかのトロッコ族はどこにいるんだろうと。とにかくも、がたん、がたん、と音を立てながら、トロッコは通路を走っていく。いちばん上のトロッコの上にはボロ布の包みが置かれていた。
トロッコは線路から供給される電力で動く。だから、線路に直接触ることはとても危ない。ヤミ子はいつものようにトロッコの連結部分に座っていた。目の前には操作盤があるが、とにかく、今はあまりいじらなくてもいいだろう。線路はずっとまっすぐに先に続いている。ほの暗い明かりが、ところどころ消えながら、通路の天井に光っていた。
ちらりと後ろを振り返って、ヤミ子はタツ彦じいさんを見た。タツ彦じいさんはいちばん後ろのトロッコに座っている。今では自由に操作版を扱えるヤミ子だが、それでも、タツ彦じいさんがそばにいることのほうが多いのに。
きっと、クニ子ばあさんが死んじゃったせいだろうな、とヤミ子は思った。
このまっすぐの通路を進むと、その先にはタマノイ駅がある。タマノイ駅はあまり大きな駅ではないが、そこにはキュウショク族もちゃんといるはずだった。そこで当分の食料と、クニ子ばあさんの処理を頼まなければなるまい。だが、そうすれば当然のようにクニ子ばあさんとは離れなければいけなくなるだろう。タツ彦じいさんはそれが悲しいのだ。
けれど、タツ彦じいさんには悪いが、キュウショク族に会うことを考えると、ヤミ子は口の中がよだれでいっぱいになるのを感じた。最近、ずっとペレットしか食べていなかった。ペレットばかり食べさせられるというのは、トロッコ族なら当然のことだったが、やっぱり、ペレットはあんまりおいしくないのだ。たまにはこんがりと揚げた穴虫とか、汁気たっぷりのネズミとかが食べたい。もっと言うなら、クニ子ばあさんを食べたかった。トロッコ族のヤミ子は『肉』を食べたことなんてほとんどなかったけれど、とてもうまいという評判を聞くとやっぱり興味は湧いてくる。そうじゃなくても骨粉汁だけでも飲ませてもらえるかと思うと、それだけでもお腹がぐうぐうと鳴りそうだった。
今日、トロッコには、屑鉄がいっぱいに乗せてある。これをおろしてクズテツ族に渡し、仕事を終えれば、今度はアナホリ族のところに爆薬と鉄板を運ぶことになる。どちらも普段使っている通路だ。迷うことはあるまい。古い通路の補修をしているカンリ族や、上のほうの通路をうろついているテンジョウ族なんかに会いに行く羽目になったなら、道もほとんど分からないようなガタガタの線路を走らされることになる。そんなことはまっぴらだった。
「ねータツ彦じいさん」
ヤミ子は後ろに向かって呼びかけた。
「水、まだある?」
「我慢しろや。もう保存用ボトルしか残ってねえ」
「ちぇっ。じゃあ、タマノイ駅まで待たなきゃだめかあ」
ヤミ子は腹がぐうと鳴るのを感じる。さっき、キュウショク族のことを考えたせいだ。腰にはいちおうペレットを入れた袋があるが、からからに乾いたペレットは、水でもないととても飲めたものではない。
「ねぇねぇ、クニ子ばあさんの水はもう取れない?」
「固まっちまってるだろうなあ。死んでから、もう二日たつもんなあ」
タツ彦じいさんはそう言って、そばに寝かせたボロ布の包みをやさしく撫でた。包みからはなんだか変なにおいがした。いちおうクサラ酢を飲ませておいたけれど、それでもやっぱりすこし腐ってきたのかもしれない。
ちぇっ、と舌打ちすると、ヤミ子は前に向き直った。線路がぎいぎいと音を立てる。道は狭く暗くゆるく曲がって、点々と天井に灯った明かりが、道の先へと続いている。
クニ子ばあさんが死んだのは二日前のこと。38歳だった。38歳といえば、立派なおいぼれだ。もうそろそろ子どもを産むのも難しいし、普通だったら体にガタがきて、生きたままキュウショク族に渡されてもおかしくない年頃。
にもかかわらず、クニ子ばあさんは、ひどくめそめそして、それを悲しんでいたように思える。
ヤミ子は思い出す。クニ子ばあさんは、とても、とても変な女だった。
肌が黄色っぽい色をしていて、ヤミ子のような子どもの白でも、埃の染み込んだタツ彦じいさんのような黒灰色でもなかった。その上見た目がとても若くて、背も若ければ肌もすべすべとしていた。なんだか地下水にすむ魚みたいだ、と初めて会ったときは思ったものだ。
ヤミ子がふたりに出会ったのは、今から5年も前のことだった。
6つになってコソダテ族からトロッコ族になるように言われ、そうして乗せられたトロッコがこのトロッコだった。乗っていたのはタツ彦じいさんとクニ子ばあさんの二人だった。だが、実質トロッコを動かしているのはタツ彦じいさん一人で、クニ子ばあさんはほとんどトロッコの運転にかかわっていなかった。
すべすべの肌をしていて大柄だったクニ子ばあさん。ばあさんが初めてヤミ子を見たときのことをヤミ子は覚えている。
可哀想に、とクニ子ばあさんは言ったのだ。こんなちいさな子どもがと。どういう意味かヤミ子にはわからなかった。ヤミ子はもう働ける年だった。コソダテ族の手を離れたくらいだったのだから。
がたん、がたん、とトロッコが規則正しく揺れる。目の前には等間隔で並んだ明かりが灯っていた。ふいに、水の音が聞こえてくる。地下を流れる川の音だ。
そのとき、だった。
サイレンが、鳴った。
「な……!?」
雑音の多い通信機が、すさまじい音量でサイレンを鳴らす。ヤミ子はあわててブレーキに取り付く。腰までほどもあるレバーを、全身の力で引いた。
火花を飛び散らせ、叫ぶようにブレーキがきしんだ。
ぎぎ、ぎぎぎぎ。
音を立てて積み上げた荷物が崩れた。コンテナの中で屑鉄が耳障りな音を立てる。後ろのコンテナでタツ彦じいさんがあわてて包みを抱きしめる。驚いたように怒鳴った。
「どうした、ヤミ子!?」
ヤミ子はブレーキにとりついて何とかこらえた。あやうくタラップから線路に放り出されそうになった。タツ彦じいさんに「わかんない!」と叫ぶと、あわてて通信機を取り上げて、怒鳴りつける。
「こちらヤー2349-八号! どうした!?」
ざ、ざざざ、とすさまじい雑音が混じり、通信機の向こうの声がうまく聞こえない。いつものことだ。ヤミ子は雑音に顔をしかめながら通信機を耳に当て、なんとか声を聞き取ろうとする。
「―――っそう、……ろに、通電事故が…… ―――待機を」
ぶつ、ぶつっ、と音が続き、ついには雑音だけになる。ヤミ子は顔をしかめて通信機から耳を遠ざけた。途方にくれたため息をついて、タツ彦じいさんを振り返った。
「通電事故だって」
「なに?」
ヤミ子は操作盤を操作して、トロッコが勝手にすべりださないようにタイヤロックをかける。電圧を見ると不安定だ。どうやら電源がおかしくなっているというのは事実らしい。
「よくわかんないけど、待機しろだって!」
時計をたしかめて、ちびたチョークで床に時間を書き付けた。何時間停車していたのかを記録するのだ。線路に飛び降りて天井のランプの回線を操作し、背後の車両に停車を知らせるランプを付ける。タツ彦じいさんは複雑な顔つきで、駆け回るヤミ子を見ていた。
停車時にすべき対応。背後の車両への通信。時間の記録。車両の停留。その他もろもろ。一通りを済ませると ヤミ子は一息をついて、埃だらけになった手を服にこすりつけた。背後のタラップに戻ると、タツ彦じいさんの足元に座り込む。
「あーあ、ご飯もおあずけだね」
タツ彦じいさんは笑った。ヤミ子の髪をごしごしと撫でた。
「しかたねえな。今度はどんだけ止まるんだろうな」
「前は三日も止まったよね?」
「さてなあ。まあ、今度はそんなにはかからねえだろ。タマノイ駅も近いしな」
せっかく久しぶりに食べ物らしい食べ物が食べられると思ったのに。ヤミ子はため息をつく。タツ彦じいさんは苦笑して、自分もタラップの上にしゃがみこんだ。
遠くから水の流れる音が聞こえてくる。薄暗い明かりの下で羊歯が少し伸びていた。小さな蛾が何匹か、明かりの下を舞っていた。
膝を抱えて座ったヤミ子は、ことんと頭を膝に置いた。こうしてトロッコが止まってしまったら、やることは何も無い。とはいえずっと働きづめなのだから、こうした事故のときこそがたまの休息でもあった。気を抜いていると他のトロッコに追突されて命を失うこともあるのだが、この線は分線だから大丈夫だろう。
のどが渇いた。ヤミ子はため息をつく。と、ぽんと頭に手が置かれた。見上げるとタツ彦じいさんだった。
「疲れたか、ヤミ子?」
「お腹がすいちゃって…… ずっとペレットしか食べてないし」
乾燥した小石のようなペレットは、それだけ食べていれば体が持つような食べ物ではあるのだが、いかんせんまったく美味しくない。固形燃料でもかじるような味がする。
「そうかあ」
それを聞いたタツ彦じいさんは、ヤミ子の傍らに座り込む。ヤミ子は目を上げた。大丈夫なのだろうか。どちらかは操作盤についていないと、いざ他のトロッコが近づいてきたときに危ないと思うのだけれど。
ヤミ子は爪を噛んだ。ぎざぎざに千切れた爪は、けれど、わりと美味しい味がする。実は血はもっと美味しい。けれど、傷が出来てしまうと、いざ、それが膿んでしまいでもしたら、命取りになりかねない。
「ヤミ子」
そう思っていると、ふと、タツ彦じいさんが呼びかけた。
「なに?」
「そんなに腹が減ったか」
「うん……」
そうか、と答えたタツ彦じいさんは、すこし思案するような顔をした。そして、立ち上がる。
見上げるヤミ子の前で、タツ彦じいさんは腰から工具を取り出した。襤褸布の包みに近づく。そして布をめくっているタツ彦じいさんを、ヤミ子は眼を瞬いて見上げていた。
ごり、ぶつ、と音がした。
「食べなさい」
「?」
タツ彦じいさんがかがみこみ、ヤミ子に何かを握らせた。ヤミ子は見た。それは、一本の白い指だった。
クニ子ばあさんの指だ。
ヤミ子は驚いてタツ彦じいさんを見上げた。
「いいの?」
「ああ、電熱線で焼くといい。クサラ酢を飲ませてあるから大丈夫だろうさ」
ヤミ子は黙る。『食べたい』と思っていたのは事実だった。けれど、ほんとうにいいのだろうか。タツ彦じいさんはクニ子ばあさんのことを大切にしていた。だから、まさか目の前でそんなことを許されるとは思っていなかったのだ。
それと、もうひとつ、握らされたものは。
タツ彦じいさんはトンネルの天井を見上げた。
「見てごらん」
「……」
それは、何か金色をした、小さくて丸い、平たいものだった。
片方の表面は固くてつるつるして、何かがそこに書いてあった。赤、ピンク、水色、緑。ヤミ子は恐る恐るその表面を撫でる。小さな合わせ目。ぱちんと音を立てて二つに開いた。
ヤミ子は短く息を呑んだ。
誰かが、板の中から、ヤミ子を見ていた。
「『テカガミ』だ」
言われて初めて気づく。それはたしかに『鏡』だった。見たことは無い。そういうものがあるという話は聞いたことがある。だが、それは機械のパーツであって、こんな形で手に入るようなものではないはずだった。
おそるおそる指で触ると、『テカガミ』の表面は硬くて冷たかった。指を当てると向こう側からも誰かが指を当てた。それが自分自身なのだということをヤミ子はしばらくして悟った。
埃で黒く汚れた顔。丸く見開かれた眼。剃ってからかなりたって、伸びかけた短い髪。
「そっち側に書いてあるのは、『ハナ』だそうだ。クニ子ばあさんの宝物さ。おまえのもんにするといい」
あざやかな色。表面は手垢がついて汚れていた。それでも、ヤミ子が一度も見たことが無いくらいきれいな色だった。こんなもの、見たことが無い。ヤミ子はしばらく黙ってその『テカガミ』をみつめていた。
「お前、クニ子ばあさんが死んだとき、聞いただろう」
「なに……?」
「そら、ってなんなのか、ってな」
ヤミ子はしばらく黙った。
クニ子ばあさんは、変な女だった。
よく泣いた。よく怒った。不器用で、何も出来ず、悲しんでばかりいた。言葉がぎこちなかった。かと思うとたまに笑った。トロッコ族も、コソダテ族も、笑うことなんてめったに無い。クニ子ばあさんの笑い声は、薄い金属の板がしゃらしゃらと触れ合うようだった。あんな声をヤミ子は他に知らなかった。
「ヤミ子」
タツ彦じいさんはしずかに言った。
「もしかしたら、これは全部クニ子ばあさんの妄想だったのかもしれん。だから俺は誰にも話さなかったし、誰も信じなかったから、クニ子もそのうち言わなくなった」
「なんの話……?」
「クニ子はトンネルの外から来た、という話だ」
ヤミ子は、ひどく混乱した。
「トンネル? の外? ってなに?」
世界は、トンネルで出来ている。
トンネルはずっと長く続き、トロッコがあちこちの空間同士をつないでいる。その駅では屑鉄を鋳造しなおすクズテツ族や、いろいろなものを掘り出すアナホリ族、いろいろな機械を作ったり修理したりするキカイ族なんかが住んでいる。そしてその全てを治めるのは『コウジョウチョウ』だ。トロッコ族のヤミ子はほとんどあったことが無いけれど、彼らはトンネルのことをとてもよく知っていて、さまざまな事柄を治めたりして、天使竜たちと連絡を取り合っているというのだ。
タツ彦じいさんは、戸惑っているヤミ子を見て、すこし笑った。ぽんぽんと頭を撫でた。
「クニ子はな、言ってたよ。あたしたちは、あんたたちは、『地球』という場所から来た、『人間』なんだとな」
「ニンゲン……?」
「むかし、むかし、人間たちは、地球にだけ住んでいたんだそうさ」
そこはとても遠く、暖かく、たくさんの人間達が住んでいる場所なのだという。たくさんの国があり、たくさんの集団があって、人々は幸せになるために生きていた。実際に幸せであるかどうかはとにかくとしても、そうなるために生きていたのだ。
「だがな、それは昔の話だ。今は人間たちは、天使竜のために生きている」
「うん、そうだよね?」
ヤミ子は天使竜を見たことが無い。だが、自分達が彼らのために生きているのだということは知っている。
彼らは、トンネルを作ったものたちだ。
トンネルを掘るのは彼らのためで、なんに使うのかもわからないものを掘り出すのも彼らのためだ。そしてペレットやさまざまな貴重品をトンネルにもたらしてくれるのも天使竜たちだ。
「なんでも、トンネルにすんでる俺たちは、地球の人間と大差ない体をしているんだそうだ。だから、たまにトンネル人間が足りなくなると、地球から人間を補充することがある。クニ子ばあさんはそうやってこのトンネルに連れてこられたんだと」
「ふーん……」
「だからクニ子ばあさんは言ってたよ。あたしのいる場所はここじゃないって。地球に帰りたい、道具みたいに使い捨てられる人生なんていやだってね」
ヤミ子は自分のつま先に視線を落とした。考え込んだ。
道具のように、とはなんだ?
「それって、クニ子ばあさんの妄想じゃないの?」
「ああ」
タツ彦じいさんは苦笑した。
「俺も正直そう思う。だがなあ、その『テカガミ』なんかもあるしな。それに……」
不可思議な微苦笑を含んで、タツ彦じいさんは、襤褸布の包みのほうをみた。クニ子ばあさんだったもののほうを。
「あんだけクニ子ばあさんが言ってるとな、なんとなくな、気の毒になってきてな」
「……」
「クニ子ばあさんは、少なくとも、自分が『地球』から来たんだと信じていたさ。そこに帰りたいとな」
「どんな場所だって言ってたの?」
「頭の上にソラがあって、タイヨウがあって、ハナが咲き…… ユキが降ったり、アメが降ったり、だとか」
「信じらんない」
「だろうなあ」
ヤミ子はしばらく考え込んだ。手にした丸い鏡を見下ろした。手垢のついた、だが、見たことの無い不思議な色の描かれた『テカガミ』。なんだか、まるで別の世界から来たもののようだ。
「だとしてもさ、その『地球』だと、クニ子ばあさんは何のために生きてたの?」
ヤミ子はつくづくとそう思う。そこが何よりも疑問だった。
「そこでもヤミ子ばあさんはトンネルを掘ってたの?」
「いやあ、違うらしい」
「じゃ、意味ないじゃん。生きてても。……やっぱ妄想だよ。そんな妄想、あたし、いやだ」
自分達は、働くために生まれてきた。トンネルを掘るために生まれてきたのだ。
ヤミ子はトロッコを動かすために生きている。トロッコ族はそのために生まれてきて生きている。コソダテ族は子どもを育てるために生きているのだし、アナホリ族はトンネルを掘るために生き、クズテツ族は金属を鋳造しなおすために生きている。
トロッコに乗らなくなったとき、自分がなんになるのかなど、ヤミ子には想像もつかない。百歩譲ったとしてアナホリ族になるかコソダテ族になるか、トンネルの外で生きることなんて想像も出来なかった。
「天使竜が俺たちに生きる意味をあたえてくれる、か」
「違うの?」
「クニ子ばあさんは、違うと信じてたみたいだけどな」
ヤミ子は襤褸布の包みのほうを見た。信じられない思いで、つくづくとそれを見つめた。それから手の中を見る。クニ子ばあさんの指を。
「なんかクニ子ばあさん、可哀想だね」
ぽつんとつぶやくヤミ子を見て、タツ彦じいさんは首を振った。横に振ったとも縦に振ったともつかなかった。
ヤミ子は立ち上がり、トロッコのエンジン部分を開ける。熱くなっているラジエーターにクニ子ばあさんの指を乗せ、エンジンを閉めた。すこし待てばこんがり焼けて美味しくなる。肉なんて食べるのはほとんどはじめてだった。楽しみなはず、でも、なんだか胸が重い気がするのはどうしてだろう。
青い空、雲、花、自由、すべて。
そんなものはクニ子ばあさんの妄想だと思うのだが、そんなものがあればどんな感じなのだろうかと、すこしだけ、ほんのすこしだけヤミ子は思った。
「俺のただの願望だと思うんだがね」
その考えを読んだかのように、後ろで、タツ彦じいさんがつぶやいた。
「そういうものがあるとしたら、もっと『いい生き方』ができるのかもしれんと思うのだよ。俺はただのトロッコ族だ。そんなもんなんて、ありゃしないって分かってるんだがな……」
ヤミ子は返事を出来ず、黙って壁の明かりを見た。薄暗い白い明かりの周りには、ちいさな白い蛾が、ひらひらとしずかに舞っていた。
Cattle Girl type:W 固体識別名:ヤミ子
家畜人類:労働型
外惑星で鉱石の採掘などを行っているタイプの人類型。
環境適応のための遺伝子改造などが若干行われているが、基本的には通常人類とほとんど変わらない。ただし繁殖を必要としない固体は、不妊処置を受けることが多い。主に過酷な環境下での環境改造などに携わる。
アリのような社会系を築き、分業してさまざまな仕事を行う。補給は主に食用のペレットなどで十分であるため環境改造用としては非常に有用。
寿命は30~40年ほど。
あらためて読んでみたら意外と面白かったので掲載してみます~
********
「タツ彦じいさん、『青いソラ』って何?」
「不思議なことを聞くな。誰に聞いたんだい」
「昨日、クニ子ばあさんが死んだでしょ。最後に言ってたんだよ。あの青いソラって」
「……」
「ねえ、ねえ、なあに?」
「ここからは、見えない」
「ん?」
「ヤミ子、『地球』という場所には『ソラ』があるのさ。とても青くて、ときに赤くて、暗いときもあるのだとさ。おとぎ話だよ。……さあ、もうおやすみ」
ヤミ子は地下の国に住んでいた。つぎはぎになった金属を張り合わせた廊下が地下を縦横に走り、汚水の降ってくる天井にはダクトが植物の根のようにはりめぐらされている。そんな地下通路を歩き回り、ひがな一日トロッコを世話をするのがヤミ子の仕事だ。
トロッコは何両かが連結になっていて、連結部分にエンジンとギアがついている。そこに座り込んでギアを操作して、あちこちの分離部分でどちらに行くのかを決める。だが、通路に走る線路は状態がいいとは言いがたい。ところどころは線路が浮き上がり、水に浸ってしまっている部分もある。そういうところにたどり着いたときがヤミ子たちの仕事だ。ときには冷たい水に腰までつかりながら、トロッコを押したり引いたりして、なんとか線路を走らせなければいけない。
トロッコに積んでいるものは場合によってさまざまだ。なにかの鉱石を満載させられることもあるし、たんなる屑石をつまされることもある。たまには人を乗せることもある。トロッコはいつも規則正しい音を立てながら通路を走る。
ヤミ子といっしょにトロッコに乗っているのは、トロッコ族のタツ彦じいさんだ。タツ彦じいさんはもう30過ぎの老いぼれで、肌には埃が染み付いて真っ黒になっている。最近は髪の毛を剃る刃物が手に入らないから、タツ彦じいさんの頭には、ごま塩のような髪がまだらに伸びていた。
クニ子ばあさんがそうだったように、たぶんヤミ子もトロッコの上で一生を終えるだろう。しかし、それにもとにかく他のトロッコ族に会わなくてははじまらない。ヤミ子は最近ずっと考えている。ほかのトロッコ族はどこにいるんだろうと。とにかくも、がたん、がたん、と音を立てながら、トロッコは通路を走っていく。いちばん上のトロッコの上にはボロ布の包みが置かれていた。
トロッコは線路から供給される電力で動く。だから、線路に直接触ることはとても危ない。ヤミ子はいつものようにトロッコの連結部分に座っていた。目の前には操作盤があるが、とにかく、今はあまりいじらなくてもいいだろう。線路はずっとまっすぐに先に続いている。ほの暗い明かりが、ところどころ消えながら、通路の天井に光っていた。
ちらりと後ろを振り返って、ヤミ子はタツ彦じいさんを見た。タツ彦じいさんはいちばん後ろのトロッコに座っている。今では自由に操作版を扱えるヤミ子だが、それでも、タツ彦じいさんがそばにいることのほうが多いのに。
きっと、クニ子ばあさんが死んじゃったせいだろうな、とヤミ子は思った。
このまっすぐの通路を進むと、その先にはタマノイ駅がある。タマノイ駅はあまり大きな駅ではないが、そこにはキュウショク族もちゃんといるはずだった。そこで当分の食料と、クニ子ばあさんの処理を頼まなければなるまい。だが、そうすれば当然のようにクニ子ばあさんとは離れなければいけなくなるだろう。タツ彦じいさんはそれが悲しいのだ。
けれど、タツ彦じいさんには悪いが、キュウショク族に会うことを考えると、ヤミ子は口の中がよだれでいっぱいになるのを感じた。最近、ずっとペレットしか食べていなかった。ペレットばかり食べさせられるというのは、トロッコ族なら当然のことだったが、やっぱり、ペレットはあんまりおいしくないのだ。たまにはこんがりと揚げた穴虫とか、汁気たっぷりのネズミとかが食べたい。もっと言うなら、クニ子ばあさんを食べたかった。トロッコ族のヤミ子は『肉』を食べたことなんてほとんどなかったけれど、とてもうまいという評判を聞くとやっぱり興味は湧いてくる。そうじゃなくても骨粉汁だけでも飲ませてもらえるかと思うと、それだけでもお腹がぐうぐうと鳴りそうだった。
今日、トロッコには、屑鉄がいっぱいに乗せてある。これをおろしてクズテツ族に渡し、仕事を終えれば、今度はアナホリ族のところに爆薬と鉄板を運ぶことになる。どちらも普段使っている通路だ。迷うことはあるまい。古い通路の補修をしているカンリ族や、上のほうの通路をうろついているテンジョウ族なんかに会いに行く羽目になったなら、道もほとんど分からないようなガタガタの線路を走らされることになる。そんなことはまっぴらだった。
「ねータツ彦じいさん」
ヤミ子は後ろに向かって呼びかけた。
「水、まだある?」
「我慢しろや。もう保存用ボトルしか残ってねえ」
「ちぇっ。じゃあ、タマノイ駅まで待たなきゃだめかあ」
ヤミ子は腹がぐうと鳴るのを感じる。さっき、キュウショク族のことを考えたせいだ。腰にはいちおうペレットを入れた袋があるが、からからに乾いたペレットは、水でもないととても飲めたものではない。
「ねぇねぇ、クニ子ばあさんの水はもう取れない?」
「固まっちまってるだろうなあ。死んでから、もう二日たつもんなあ」
タツ彦じいさんはそう言って、そばに寝かせたボロ布の包みをやさしく撫でた。包みからはなんだか変なにおいがした。いちおうクサラ酢を飲ませておいたけれど、それでもやっぱりすこし腐ってきたのかもしれない。
ちぇっ、と舌打ちすると、ヤミ子は前に向き直った。線路がぎいぎいと音を立てる。道は狭く暗くゆるく曲がって、点々と天井に灯った明かりが、道の先へと続いている。
クニ子ばあさんが死んだのは二日前のこと。38歳だった。38歳といえば、立派なおいぼれだ。もうそろそろ子どもを産むのも難しいし、普通だったら体にガタがきて、生きたままキュウショク族に渡されてもおかしくない年頃。
にもかかわらず、クニ子ばあさんは、ひどくめそめそして、それを悲しんでいたように思える。
ヤミ子は思い出す。クニ子ばあさんは、とても、とても変な女だった。
肌が黄色っぽい色をしていて、ヤミ子のような子どもの白でも、埃の染み込んだタツ彦じいさんのような黒灰色でもなかった。その上見た目がとても若くて、背も若ければ肌もすべすべとしていた。なんだか地下水にすむ魚みたいだ、と初めて会ったときは思ったものだ。
ヤミ子がふたりに出会ったのは、今から5年も前のことだった。
6つになってコソダテ族からトロッコ族になるように言われ、そうして乗せられたトロッコがこのトロッコだった。乗っていたのはタツ彦じいさんとクニ子ばあさんの二人だった。だが、実質トロッコを動かしているのはタツ彦じいさん一人で、クニ子ばあさんはほとんどトロッコの運転にかかわっていなかった。
すべすべの肌をしていて大柄だったクニ子ばあさん。ばあさんが初めてヤミ子を見たときのことをヤミ子は覚えている。
可哀想に、とクニ子ばあさんは言ったのだ。こんなちいさな子どもがと。どういう意味かヤミ子にはわからなかった。ヤミ子はもう働ける年だった。コソダテ族の手を離れたくらいだったのだから。
がたん、がたん、とトロッコが規則正しく揺れる。目の前には等間隔で並んだ明かりが灯っていた。ふいに、水の音が聞こえてくる。地下を流れる川の音だ。
そのとき、だった。
サイレンが、鳴った。
「な……!?」
雑音の多い通信機が、すさまじい音量でサイレンを鳴らす。ヤミ子はあわててブレーキに取り付く。腰までほどもあるレバーを、全身の力で引いた。
火花を飛び散らせ、叫ぶようにブレーキがきしんだ。
ぎぎ、ぎぎぎぎ。
音を立てて積み上げた荷物が崩れた。コンテナの中で屑鉄が耳障りな音を立てる。後ろのコンテナでタツ彦じいさんがあわてて包みを抱きしめる。驚いたように怒鳴った。
「どうした、ヤミ子!?」
ヤミ子はブレーキにとりついて何とかこらえた。あやうくタラップから線路に放り出されそうになった。タツ彦じいさんに「わかんない!」と叫ぶと、あわてて通信機を取り上げて、怒鳴りつける。
「こちらヤー2349-八号! どうした!?」
ざ、ざざざ、とすさまじい雑音が混じり、通信機の向こうの声がうまく聞こえない。いつものことだ。ヤミ子は雑音に顔をしかめながら通信機を耳に当て、なんとか声を聞き取ろうとする。
「―――っそう、……ろに、通電事故が…… ―――待機を」
ぶつ、ぶつっ、と音が続き、ついには雑音だけになる。ヤミ子は顔をしかめて通信機から耳を遠ざけた。途方にくれたため息をついて、タツ彦じいさんを振り返った。
「通電事故だって」
「なに?」
ヤミ子は操作盤を操作して、トロッコが勝手にすべりださないようにタイヤロックをかける。電圧を見ると不安定だ。どうやら電源がおかしくなっているというのは事実らしい。
「よくわかんないけど、待機しろだって!」
時計をたしかめて、ちびたチョークで床に時間を書き付けた。何時間停車していたのかを記録するのだ。線路に飛び降りて天井のランプの回線を操作し、背後の車両に停車を知らせるランプを付ける。タツ彦じいさんは複雑な顔つきで、駆け回るヤミ子を見ていた。
停車時にすべき対応。背後の車両への通信。時間の記録。車両の停留。その他もろもろ。一通りを済ませると ヤミ子は一息をついて、埃だらけになった手を服にこすりつけた。背後のタラップに戻ると、タツ彦じいさんの足元に座り込む。
「あーあ、ご飯もおあずけだね」
タツ彦じいさんは笑った。ヤミ子の髪をごしごしと撫でた。
「しかたねえな。今度はどんだけ止まるんだろうな」
「前は三日も止まったよね?」
「さてなあ。まあ、今度はそんなにはかからねえだろ。タマノイ駅も近いしな」
せっかく久しぶりに食べ物らしい食べ物が食べられると思ったのに。ヤミ子はため息をつく。タツ彦じいさんは苦笑して、自分もタラップの上にしゃがみこんだ。
遠くから水の流れる音が聞こえてくる。薄暗い明かりの下で羊歯が少し伸びていた。小さな蛾が何匹か、明かりの下を舞っていた。
膝を抱えて座ったヤミ子は、ことんと頭を膝に置いた。こうしてトロッコが止まってしまったら、やることは何も無い。とはいえずっと働きづめなのだから、こうした事故のときこそがたまの休息でもあった。気を抜いていると他のトロッコに追突されて命を失うこともあるのだが、この線は分線だから大丈夫だろう。
のどが渇いた。ヤミ子はため息をつく。と、ぽんと頭に手が置かれた。見上げるとタツ彦じいさんだった。
「疲れたか、ヤミ子?」
「お腹がすいちゃって…… ずっとペレットしか食べてないし」
乾燥した小石のようなペレットは、それだけ食べていれば体が持つような食べ物ではあるのだが、いかんせんまったく美味しくない。固形燃料でもかじるような味がする。
「そうかあ」
それを聞いたタツ彦じいさんは、ヤミ子の傍らに座り込む。ヤミ子は目を上げた。大丈夫なのだろうか。どちらかは操作盤についていないと、いざ他のトロッコが近づいてきたときに危ないと思うのだけれど。
ヤミ子は爪を噛んだ。ぎざぎざに千切れた爪は、けれど、わりと美味しい味がする。実は血はもっと美味しい。けれど、傷が出来てしまうと、いざ、それが膿んでしまいでもしたら、命取りになりかねない。
「ヤミ子」
そう思っていると、ふと、タツ彦じいさんが呼びかけた。
「なに?」
「そんなに腹が減ったか」
「うん……」
そうか、と答えたタツ彦じいさんは、すこし思案するような顔をした。そして、立ち上がる。
見上げるヤミ子の前で、タツ彦じいさんは腰から工具を取り出した。襤褸布の包みに近づく。そして布をめくっているタツ彦じいさんを、ヤミ子は眼を瞬いて見上げていた。
ごり、ぶつ、と音がした。
「食べなさい」
「?」
タツ彦じいさんがかがみこみ、ヤミ子に何かを握らせた。ヤミ子は見た。それは、一本の白い指だった。
クニ子ばあさんの指だ。
ヤミ子は驚いてタツ彦じいさんを見上げた。
「いいの?」
「ああ、電熱線で焼くといい。クサラ酢を飲ませてあるから大丈夫だろうさ」
ヤミ子は黙る。『食べたい』と思っていたのは事実だった。けれど、ほんとうにいいのだろうか。タツ彦じいさんはクニ子ばあさんのことを大切にしていた。だから、まさか目の前でそんなことを許されるとは思っていなかったのだ。
それと、もうひとつ、握らされたものは。
タツ彦じいさんはトンネルの天井を見上げた。
「見てごらん」
「……」
それは、何か金色をした、小さくて丸い、平たいものだった。
片方の表面は固くてつるつるして、何かがそこに書いてあった。赤、ピンク、水色、緑。ヤミ子は恐る恐るその表面を撫でる。小さな合わせ目。ぱちんと音を立てて二つに開いた。
ヤミ子は短く息を呑んだ。
誰かが、板の中から、ヤミ子を見ていた。
「『テカガミ』だ」
言われて初めて気づく。それはたしかに『鏡』だった。見たことは無い。そういうものがあるという話は聞いたことがある。だが、それは機械のパーツであって、こんな形で手に入るようなものではないはずだった。
おそるおそる指で触ると、『テカガミ』の表面は硬くて冷たかった。指を当てると向こう側からも誰かが指を当てた。それが自分自身なのだということをヤミ子はしばらくして悟った。
埃で黒く汚れた顔。丸く見開かれた眼。剃ってからかなりたって、伸びかけた短い髪。
「そっち側に書いてあるのは、『ハナ』だそうだ。クニ子ばあさんの宝物さ。おまえのもんにするといい」
あざやかな色。表面は手垢がついて汚れていた。それでも、ヤミ子が一度も見たことが無いくらいきれいな色だった。こんなもの、見たことが無い。ヤミ子はしばらく黙ってその『テカガミ』をみつめていた。
「お前、クニ子ばあさんが死んだとき、聞いただろう」
「なに……?」
「そら、ってなんなのか、ってな」
ヤミ子はしばらく黙った。
クニ子ばあさんは、変な女だった。
よく泣いた。よく怒った。不器用で、何も出来ず、悲しんでばかりいた。言葉がぎこちなかった。かと思うとたまに笑った。トロッコ族も、コソダテ族も、笑うことなんてめったに無い。クニ子ばあさんの笑い声は、薄い金属の板がしゃらしゃらと触れ合うようだった。あんな声をヤミ子は他に知らなかった。
「ヤミ子」
タツ彦じいさんはしずかに言った。
「もしかしたら、これは全部クニ子ばあさんの妄想だったのかもしれん。だから俺は誰にも話さなかったし、誰も信じなかったから、クニ子もそのうち言わなくなった」
「なんの話……?」
「クニ子はトンネルの外から来た、という話だ」
ヤミ子は、ひどく混乱した。
「トンネル? の外? ってなに?」
世界は、トンネルで出来ている。
トンネルはずっと長く続き、トロッコがあちこちの空間同士をつないでいる。その駅では屑鉄を鋳造しなおすクズテツ族や、いろいろなものを掘り出すアナホリ族、いろいろな機械を作ったり修理したりするキカイ族なんかが住んでいる。そしてその全てを治めるのは『コウジョウチョウ』だ。トロッコ族のヤミ子はほとんどあったことが無いけれど、彼らはトンネルのことをとてもよく知っていて、さまざまな事柄を治めたりして、天使竜たちと連絡を取り合っているというのだ。
タツ彦じいさんは、戸惑っているヤミ子を見て、すこし笑った。ぽんぽんと頭を撫でた。
「クニ子はな、言ってたよ。あたしたちは、あんたたちは、『地球』という場所から来た、『人間』なんだとな」
「ニンゲン……?」
「むかし、むかし、人間たちは、地球にだけ住んでいたんだそうさ」
そこはとても遠く、暖かく、たくさんの人間達が住んでいる場所なのだという。たくさんの国があり、たくさんの集団があって、人々は幸せになるために生きていた。実際に幸せであるかどうかはとにかくとしても、そうなるために生きていたのだ。
「だがな、それは昔の話だ。今は人間たちは、天使竜のために生きている」
「うん、そうだよね?」
ヤミ子は天使竜を見たことが無い。だが、自分達が彼らのために生きているのだということは知っている。
彼らは、トンネルを作ったものたちだ。
トンネルを掘るのは彼らのためで、なんに使うのかもわからないものを掘り出すのも彼らのためだ。そしてペレットやさまざまな貴重品をトンネルにもたらしてくれるのも天使竜たちだ。
「なんでも、トンネルにすんでる俺たちは、地球の人間と大差ない体をしているんだそうだ。だから、たまにトンネル人間が足りなくなると、地球から人間を補充することがある。クニ子ばあさんはそうやってこのトンネルに連れてこられたんだと」
「ふーん……」
「だからクニ子ばあさんは言ってたよ。あたしのいる場所はここじゃないって。地球に帰りたい、道具みたいに使い捨てられる人生なんていやだってね」
ヤミ子は自分のつま先に視線を落とした。考え込んだ。
道具のように、とはなんだ?
「それって、クニ子ばあさんの妄想じゃないの?」
「ああ」
タツ彦じいさんは苦笑した。
「俺も正直そう思う。だがなあ、その『テカガミ』なんかもあるしな。それに……」
不可思議な微苦笑を含んで、タツ彦じいさんは、襤褸布の包みのほうをみた。クニ子ばあさんだったもののほうを。
「あんだけクニ子ばあさんが言ってるとな、なんとなくな、気の毒になってきてな」
「……」
「クニ子ばあさんは、少なくとも、自分が『地球』から来たんだと信じていたさ。そこに帰りたいとな」
「どんな場所だって言ってたの?」
「頭の上にソラがあって、タイヨウがあって、ハナが咲き…… ユキが降ったり、アメが降ったり、だとか」
「信じらんない」
「だろうなあ」
ヤミ子はしばらく考え込んだ。手にした丸い鏡を見下ろした。手垢のついた、だが、見たことの無い不思議な色の描かれた『テカガミ』。なんだか、まるで別の世界から来たもののようだ。
「だとしてもさ、その『地球』だと、クニ子ばあさんは何のために生きてたの?」
ヤミ子はつくづくとそう思う。そこが何よりも疑問だった。
「そこでもヤミ子ばあさんはトンネルを掘ってたの?」
「いやあ、違うらしい」
「じゃ、意味ないじゃん。生きてても。……やっぱ妄想だよ。そんな妄想、あたし、いやだ」
自分達は、働くために生まれてきた。トンネルを掘るために生まれてきたのだ。
ヤミ子はトロッコを動かすために生きている。トロッコ族はそのために生まれてきて生きている。コソダテ族は子どもを育てるために生きているのだし、アナホリ族はトンネルを掘るために生き、クズテツ族は金属を鋳造しなおすために生きている。
トロッコに乗らなくなったとき、自分がなんになるのかなど、ヤミ子には想像もつかない。百歩譲ったとしてアナホリ族になるかコソダテ族になるか、トンネルの外で生きることなんて想像も出来なかった。
「天使竜が俺たちに生きる意味をあたえてくれる、か」
「違うの?」
「クニ子ばあさんは、違うと信じてたみたいだけどな」
ヤミ子は襤褸布の包みのほうを見た。信じられない思いで、つくづくとそれを見つめた。それから手の中を見る。クニ子ばあさんの指を。
「なんかクニ子ばあさん、可哀想だね」
ぽつんとつぶやくヤミ子を見て、タツ彦じいさんは首を振った。横に振ったとも縦に振ったともつかなかった。
ヤミ子は立ち上がり、トロッコのエンジン部分を開ける。熱くなっているラジエーターにクニ子ばあさんの指を乗せ、エンジンを閉めた。すこし待てばこんがり焼けて美味しくなる。肉なんて食べるのはほとんどはじめてだった。楽しみなはず、でも、なんだか胸が重い気がするのはどうしてだろう。
青い空、雲、花、自由、すべて。
そんなものはクニ子ばあさんの妄想だと思うのだが、そんなものがあればどんな感じなのだろうかと、すこしだけ、ほんのすこしだけヤミ子は思った。
「俺のただの願望だと思うんだがね」
その考えを読んだかのように、後ろで、タツ彦じいさんがつぶやいた。
「そういうものがあるとしたら、もっと『いい生き方』ができるのかもしれんと思うのだよ。俺はただのトロッコ族だ。そんなもんなんて、ありゃしないって分かってるんだがな……」
ヤミ子は返事を出来ず、黙って壁の明かりを見た。薄暗い白い明かりの周りには、ちいさな白い蛾が、ひらひらとしずかに舞っていた。
Cattle Girl type:W 固体識別名:ヤミ子
家畜人類:労働型
外惑星で鉱石の採掘などを行っているタイプの人類型。
環境適応のための遺伝子改造などが若干行われているが、基本的には通常人類とほとんど変わらない。ただし繁殖を必要としない固体は、不妊処置を受けることが多い。主に過酷な環境下での環境改造などに携わる。
アリのような社会系を築き、分業してさまざまな仕事を行う。補給は主に食用のペレットなどで十分であるため環境改造用としては非常に有用。
寿命は30~40年ほど。
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