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『恋人を射ち堕とした日』
「目が覚めたか」
少年が目覚めると、ふと、傍らから声がする。自分はどうしていたのだろう? 瞬間、分からなくなる。目の前で揺らめくのは揺らめく焚き火の炎、そして、膝を抱えて座った一人の女だった。
女、と少年には見えた。だが、それは正確には誤りだったろう。彼女はまだ20にも足りない。黒髪を束ね、射手らしい革の胸当てをつけた、青い瞳の女だ。彼女は手を伸ばすと、少年の額に手を当てる。熱は無いな、と小さく呟いた。
「たいした傷も無いようだな……」
「あ、あの……」
彼女が慌てて身を起こすと、体の上にかぶせられていたマントが落ちた。短く刈り取った麦わら色の髪。翠の目。まだ、たった13歳の少年。彼女は周囲を見回した。
そこは、荒野だった。
ヒースがどこまでも遠く波打ち、曠野には風がすさぶばかり。月すらない夜空には針の先で突いたような星がきらめき、近づいてくる凍てついた冬の足音を知らせていた。
「あの街からは、もう、二刻ほども離れている。安心しろ」
女の声に、少年の体から、力が抜けた。
―――竜に焼かれ、滅び去った、王国。
少年は貧しい孤児だった。王国が在ったときから変わらず、王国が滅び去った今も、尚。
女は膝で枝を折り、焚き火に放り込む。ぱちり、と火が爆ぜた。
「私は用があってあの街に踏み込んだが、お前はどうしてあのような場所に居た? 以前は知らんが、今は魔物の徘徊する危険な廃墟だぞ。竜の放った瘴気に汚染されていて、動物たちも異形化している」
「お、おれ…… その、探し物をしたかったんです」
女がわずかに眉を寄せた。少年はとつとつと語った。
「……あの街が竜に襲われたときに、その、……竜が、何か、鱗でも落したんじゃないか、って噂を聞いて……」
少年は貧しかった。護ってくれる者の一人もなく、すがりつく手の一本も無いほどに。
気付いた時には子貸し屋の赤子で、赤子と呼べぬ年にはこそ泥まがいのことを始めるようになっていた。同じような仲間たちは次々と死に姿を消し、目端の聞く子供たちだけが生き残った。……そして、その仲間たちも、王国が焼けたとき、皆、消えた。
「おれ、冒険者になりたいんです!」
少年はぎゅっと手を握り締めて叫ぶ。女が眉を寄せた。少年は早口に言う。
「こんな生活してたって生きて行けないし、だったら、盗賊のギルドに入って、遠い土地に行きたいって思って…… それにはお金が必要で…… だから、竜の落し物があったら、ギルドへの加入金が作れるかなって思って!」
「……」
女の青い目に火が揺らめく。感情は読めなかった。
「……なるほどな」
やがて、ぽつりと呟くと、再び枝を折り、火に投じる。炎が燃え上がる。
「だが、無謀だ。何故冒険者たちがあの廃墟にクエストに行かないかを知らなかったのか?」
「え?」
「あの廃墟には、まだ、竜の呪いが残っている」
呪い。聞いたことがあった。けれど、少年は笑った。強がるように。
「知ってます。竜に傷つけられたものは化物になるって。でも、それ、嘘でしょう? 『それぐらい竜が恐ろしい』って意味……」
「嘘じゃない」
女の強い声が、それを、断ち切った。少年は驚きに眼を見開き、女を見る。女は硬い顔で炎を見つめていた。
「―――私は、その男を知っている」
「え……」
「勇敢な戦士だった。誇らしく、勇敢な、素晴らしい仲間だった。だが、今では見る影も無い」
短い話をしようか、と女は、言った。
「かつて、呪竜と呼ばれる竜のすむ地があった。そこでは年毎にひとりの娘を竜にささげるのが習いだった。さもなくば竜は地を焼き人を食う。そしてその習いの通りに一人の娘が竜にささげられた。……だが、その年、たった一つだけ違っていたのが、ある男がその土地を通りかかったことだった」
男は竜を倒した、と短く女は言った。
「だが、男は感謝もされず、石持てその地を追われた。男は生贄の娘を連れて逃げた。その地には伝承があったからだ。竜に傷つけられたものは、また、竜となると」
少年はハッとした。女を見た。女は薄く笑った。炎が青い瞳に踊った。
「……5年だ。たった5年で、男は、人では無くなった」
「それって……」
女は手を伸ばす。弓を取った。少年は目を見張った。それは爪月にも似たまばゆい白銀の弓。ピィン、と弦を爪弾くと、妙なる音色がヒースの野に響き渡った。
「竜を狩るには、決して傷ついてはならない。さもなくば己も竜になる。だから娘は弓を取った。そして、竜となってしまった男を追い続けている……」
その過程で、半竜どもを狩りもした、と女は呟いた。
まだ人の魂を残した半竜を、あるいは、心を失った哀れな怪物を、その白銀の弓と矢で、次々と射抜いていった。怨嗟と哀惜の声が女の背に常に付いて回った。『呪竜殺し』――― それは、勇者に名づけられる称号ではなく、厄病に侵された人々の命を刈り取っていく、銀の弓を持った死神に与えられる名だった。
「竜は疫病だ。傷つけられたものがさらに傷つけ、その呪いは広がっていく。男は生贄の娘を救うべきではなかったのだ。哀れまず、愛さず、救わなければ、このような災厄など起こらなかった……」
少年は声を失った。
女はかるく少年に笑いかける。そして、近くの包みに手を伸ばし、パンの包みを取り、二つに割った。片方を放る。そして、「食え」と短く言った。
「明日はお前を街に送ろう」
「お…… おれ……」
「連れては行かない」
パンを取った少年がためらいがちに口に仕掛けた言葉を、女は、ぴしりとさえぎった。
「お前は子供だ。それに、私がもしも竜に傷つけられれば、次はお前が『私』になるだけだ」
少年は言葉を失った。もう、何もいえるはずが無かった。
―――風が吹き、ヒースの荒野が、揺れる。
冬咲きのヒースの野原。赤紫の花と、あざみの白い綿毛が入り混じる。星影だけの暗闇に、それは、暗い海がうねるかのようにも見える。けれども聖弓の射手の眼は、その闇にすら光を見分けるようだった。女はふと眼を細めた。炎が揺れた。
「……人を喪えば、花の色ですら、同じではなくなる」
少年は思った。その男は、この女にとって、何者だったのだろうかと。
―――少年は、知らない。
かつて、少年と同じ年齢だった女が、男の顔を見上げ、同じことを思ったということを。まったく同じことを、その背を追い、その孤独な命運に寄り添いたいとすら願ったということを。
「食い終わったら、また、眠れ」
女の声は、やさしかった。
「今晩は、私がお前の眠りを護ってやる」
「……うん」
ぽん、と手が頭を撫でる。それは乙女には相応しくない、聖弓の射手のたくましい手のひら。けれども少年はその向こうに幻視する。かつて小さく、竜となった男の後を追い、その手を握ろうと走った、小さな少女の手のひらを。少年は見上げる。どこか遠くを見つめる、女の、白い横顔を。
―――やがて、この少年が一つの物語の終焉…… 女がその恋人を射ち堕とした日を見届けるということすら、まだ誰も知らぬ、夜。
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サウンドホライズン、『恋人を射ち堕とした日』を聞きながらなんとなく想像。なんかこのおねーさんちっとも曲のイメージじゃない。曲のイメージだと可憐な少女なのに。でも、スパルタン的お姉さんが最近の好み。
―――だから連載を書けってば!!(自己ツッコミ)