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気づけば新年もへったくれもない時期になってしまいましたが(苦笑) あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします~
最近はWebの動画サイトにめろめろですが、新しい画像・音源は絶対にニコニコのほうが強いですけれども、海外の音楽や古い動画はようつべには到底敵いませんね。クラシックとかで聞きたい曲があったら探せばたいていみつかるようつべ。すげえ。
そんな中でちょっと珍しいジャンル、ロシア民謡で、掘り出し物を見つけました。
《鶴》 ロシア民謡
http://jp.youtube.com/watch?v=JGUfVjFmgG0
1
空を飛ぶ鶴の群の中に あなたはきっといる
きっと このわたしを 待っている
激しいたたかいの日も 空に群れて飛ぶ
美しい鶴の群れ あなたはそこにいる
2
いくさにいのち捨てても 死んではいない
あなたはきっといる きっと生きている
このわたしを待っている
激しいたたかいの日も 空に群れて飛ぶ
美しい鶴の群れ あなたはそこにいる
歌詞も当然ロシア語。でも、このべったべたの泣かせフレーズがたまらない…
日本語訳版もあるらしいのですが、そちらはレア盤だそうで、探しても見つかりませんでした。昔むかし、うたごえ喫茶とかの時代には、ロシア民謡は多くの若者にあいされたそうですが、さもありなん、音の運び方が当時の歌謡曲とかによくよく似てる感じです。
訳詞もかなりいい感じ。合唱で聞いたらすてきだろうなあ、と思いつつ、ことしも私はこんな感じで時代に全速力で逆行したいとおもっております(笑 どうぞよろしくおねがいします~
ネットをさまよっていて、『ALI PROJECTの曲は気持ち悪い』という趣旨の日記を発見。
……嬉しかった!(笑)
いや、だって、たしかに気持ち悪いんだもの。そんで、その気持ち悪さこそがアリプロの魅力だと思っているので、不自然にブームになってるっていうのはちょっとイヤな気持ちがあるのです。あまりに背徳的というか、ちょっとこれは不味いんじゃあ? 的な歌詞もかなり多いので、それを指摘してくれる声というのは素直に嬉しい。
特に気持ち悪いと思うのは…… なんだろう、やっぱしアルバム『Dilettante』はヤバめの曲が多いですね。
『食べて飲んで吐いて出し 泣いて笑い生きて死ぬ 弱肉強食成れの果て それがすべてそれで終わりさ』(人生美味礼賛)
『天井の屋根裏に小さな穴があるの 夜毎軋む足音 その目が覗くとき わたしの部屋は陳列台』(ディレッタントの密かな愉しみ)
『云うこときかない可愛い君を攫って 桃源楼の房間監禁しませう 絹繻子帯子で目隠ししたら 緋牡丹の荅に接吻を』(北京LOVERS)
『盛りの季節(とき)はすぐに過ぎて どんな泉も枯渇する 愛を失くして誰もみんな 骨まで老いて土になる』(密猟区)
うーん、退廃的。
宝野アリカは昔歌詞集を詩集として出してたんですが、それの帯がすごい。
「中原中也がパリの公衆便所でジャン・ジュネに犯されていたならこのような詩をかいたかもしれない」…… しかもこれたしか久世光彦さんが寄せてた気がするよ。
とまれ、甘いものは毒なのです。
本は教育のためにいいとかおっしゃる方、子どもにシェークスピアの劇を見せたいとおっしゃる方、美術館へ行くのは良いことだと信じている方、あきらかにそれは間違ってます。
正直、乱歩の初期作品…… それも『芋虫』とか『踊る一寸法師』を読むくらいだったらジャンプ漫画しか読んでるほうがよっぽど健全だし、『マクベス』を小学生に見せたり、ギュスターヴ・モローの画集なんぞを買い与えるくらいだったら、おとなしくそのお金でゲームを買うか、スポーツの感染チケットを買ってあげるべきだと思います。
『読書』はえてして『毒書』なのですよ。そして、『読書家』というのは、『毒書家』であることも、けっして少なくない。
本を読み音楽を聴き観劇をし美術をたしなむというこの悪徳……
驕慢、孤独、妄想という病を得たくないなら、すみやかにそういったことはやめることです。とはいえ、そういうことをいってやめられるような人間は、基本的に毒になるような本は読まないだろうなあ。
を、エンドレスで聞いてみる。
まず普通だったら知らなかっただろうアーティストですねえ、畑亜貴。でも好みです。教えてくださった方々、ありがとう。
寂しい貴方に悲しい私
世界なんて終わりなさい
何処にも行けず流れるだけの
世界なんて終わりなさい
ここがすっげえ好み。ものすっごく切ないというか、こういう心境ってゴスだよね、というか。
『世界よ終われ』と何度願っても世界など終わらせることも出来ない身の脆弱さ、惰弱さよ。終わらせるならいっそ自分。でも自分が死んだ後も世界が続くことが哀しくてならない…… という傲慢さ。 こういうタイトルの小説を書いてみたいなあ。
『安堵』も好きですよー。
なんか『ひぐらしのなく頃に』の詩音を思い出す歌詞だわ。
私は間違いなく地獄に堕ちるでしょう……
淵にかけた手を振り解いて渡る
二人より他の人は要らないのよ
深い深い場所に呪いの声
恐い恐い人たちが眠るよ
可憐な畑亜貴さんの声で呪い歌を吐くこのセンス。いいなあ。しかしこの人が『童話迷宮』とかの歌詞を作ってるって信じられん。お仕事とはいえ本質がコレだったら大変でしょうに~。
またチャンスがあったら他のCDも欲しいです。ぜひ。入手しましょう。
最近はどうもオリジナルの調子が悪いので、二次創作をちまちま書いてリハビリしてます。
二次といっても普通の二次じゃなくて、とあるサイトで企画モノとして動いている超大規模WJ学園パラレル企画のssです。現在、『MF』『アイシー』『テニプリ』『リボーン』『ブリーチ』『銀魂』『Dグレ』がクロスオーバーされてます。その漫画のキャラがみんなで一つの学校に通っているというね。正気を疑うような企画(笑
原作が学園スポコンじゃない作品のキャラは普通に学校に通ってますが、一部は原作の設定をひきずってたりなかったり。中にはなにがなんだか分からないことになってるキャラクター(作品をまたいで血縁関係とか)になってるもけっこういて、この世界観は読んでる人にはまったく分からないんじゃないかなーというマニアックさ加減。
でも…… 楽しいんだよね(苦笑) ノリはほとんど『スーパーロボット大戦』です。でも、スパロボ好きだもんよ。作品はギャグからシリアス、バトル漫画まんまのノリと多岐に渡ってます。なにより書いてて何も考えなくていいというところが楽チンでいい。
もしかしたらそのうちこのサイトからもリンク張るかも張らないかも。です。
『諦念プシガンガ』が最近へヴィローテです。戸川純ラブ。
今のアーティストだと、どんな意味であっても、戸川純的な人っていませんねえ。椎名林檎はポップすぎるし、Coccoはちょっと政治性に欠ける。政治的さというのもまあアクセサリーにすぎないんだろうとは思いつつ、そういうテイストがいいなあと思うのです。戸川純。
『我一塊の肉塊なり』と断言しちゃう諦念と、愛する人に『自由以外なんでもほしいものはあげるわ』といっちゃう偏執さが同居しているあたりが戸川純の素敵なところ。
古いアーティストなので知らない人も多いかと思いますが、もっとメジャーになってもいいと思う、戸川純。
諦念プシガンガ
空の彼方に浮かぶは雲
嗚々我が恋愛の名において
その暴虐の仕打ちさえ
もはやただ甘んじて許す
牛のように豚のように殺してもいい
いいのよ我一塊の肉塊なり
それに消えゆくお昼のドン
嗚々我が恋愛は終止せり
あの泥流の恩讐が
もはやただあとかたもなしや
愕然とする間のなく
腐敗し始める
我一塊の肉塊なり
谷山浩子オフでとある方からぶんどった(失礼でごめんなさい……)ラジオドラマ『悲しみの時計少女』を最後まで聞きました。全部で10話編成。一話15分。10日くらいかけて聞こう…… と思ってたら三日で聞いてしまったという。
しかしこのドッペルっぷりはいかなることか。すごい谷山ワールド全開でした。そして、ものすごく面白かった!!
これがCD化してないってのはもったいないなあ、って感じです。あとでネットで調べたら、復刊希望が多いというのもやんぬるかな。
元町で彼氏と待ち合わせをしていた浩子さん(そう、主人公は谷山浩子本人なのです)は、いつも時刻を確認していないと気がすまない時計中毒患者。の、はずが今日に限って腕時計を忘れてしまっていたことに気づいてしまう。今日はなんか変?
そう思って嫌な予感を抱いた浩子さんの目の前に、サカナの目をした『サカナ男』が登場して、自分は浩子さんの元彼だと主張し始める。しかも、その彼が連れてきた今彼女は、なんと、顔が時計の文字盤になっていて、手にした時計の文字盤が女の子になっているという顔時計逆転の『時計少女』だったのだ!
というわけで、『サカナ男』と『時計少女』に連れられて、鎌倉の時計屋敷に向かうべく出発することになってしまう浩子さんなのだが……
という話。冒頭からして変。すごく変。顔と時計が逆転した女の子ってどこから出てくる発想なんだよ!!
でも、別の意味で面白かったのが、出てくる地名でした。元町~鎌倉のあたりって私の家のすっごい近所なのです。電車でだいたい15分くらいか?
元町の喫茶店…… とか言われてもイメージが素直に浮かぶのですが、そういうところを怪しい人々が歩いてるところが想像できるのがあまり嬉しくありません。いや、楽しくはあるんですが。
話はひたすらシュールな方向へと進んでいき、ラストにいたって非常にルイス・キャロル的な残酷展開へと発展していきます。個人的にはミヒャエル・エンデの大人向け小説(『鏡の中の鏡』とか『自由の牢獄』とか)も連想しました。ああいう理不尽で残酷で悪夢のような、それでどこかしら童話のような世界観。
後ろに行くにしたがってどんどん話が気になって、10日かけて聞くつもりだったものを三日で聞いてしまったんですが…… いやあ面白いなあ! すげえや谷山浩子。
そして、同時になんとなく思ったのが、某オリジナル小説サイトさんが谷山浩子を大好きだと公言しているのが、こういう世界観だったのね、というのが納得がいったこと。すごく通底するものを感じました。
なんかこういうのを聞いてると悔しくてならない。谷山浩子がいちばんバリバリに現役として活動してたころになんで生まれなかったんだろ~。実は谷山さんの曲自体は最近のほうが好みなんですが(ぜんぜんパワーダウンしないのがすごい)、昔に生まれてたってずっと谷山さんのファンは出来たもんね。
聞きたかったです、谷山浩子のラジオとか。今となっては無理な話ですが…… 悲しい~(泣
でも、いいもん手に入れられて幸せでした。ありがとうございます、ゆずってくださった方。それに主催者様。
ファン同士の交流って素敵、と思った瞬間でした。