オリジナルサイト日記
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最近、吸血鬼が熱いです。
……と、言われても、私が吸血鬼だと言われているとかそういう理由ではありません。
短編小説とかを読んでいて、吸血鬼テーマの話って面白いのが多いなぁ! って話ですよ。
そういうことになったのは、もっぱら、アンソロジー『死の姉妹』を読み返してみたら、ものすごく面白かったという理由によります。
同じ文庫から出てる『魔法の猫』『不思議な猫』(双方、猫をテーマにした短編アンソロジー)がすごく面白かったので、なんとなく読み返してみたら、まぁ、名作が多いこと! こんな豊作のアンソロジーは、『20世紀SF傑作選』の『70年代編 接続された女』以来です。
特に面白かったのが、吸血鬼の恋人と再会した老人を描く小品『再会の夜』、”母親”たちを集めて不思議な共同生活を送っている少女吸血鬼の『ダークハウス』、そして、死の天使と見まがうような女吸血鬼の切ない放浪と母性を描いた『死の姉妹』が特に傑作。
『死の姉妹』は”吸血鬼”アンソロジーであると同時に、”女性”をあつかった作品を集める、という異色短編集です。上に上げた作品は、奇しくも、『恋人としての吸血鬼』『子供としての吸血鬼』『母としての吸血鬼』を扱っていて、何か、符号のようなものを感じますね。処女、母、老婆の三相は、女性を描くときのもっとも典型的な形ですから……
”吸血鬼”といいつつ、最近の作品だと、一般的な吸血鬼のお約束ってのは、もはやどうでもいいもんだと描かれてるなーと思わないでもないです。血を啜って生きる死者で、十字架を恐れ、太陽に滅ぼされ、杭を心臓に打ち込めば滅び、吸血によって感染する…… っていうお約束を踏まえている作品はほとんどありません。共通しているのは、彼女たちが”永世”を生きるということと、アウトサイダーであるということと、人間から何らかの糧を得ているという部分だけ。で、その糧って物自体が、そもそも血じゃなかったりするんだよなぁ、すでに。
ちなみに日本人の書いた作品で吸血鬼を取り扱っていてものすごく面白い作品、ってのはあまり印象に残ってません。マンガだと『ポーの一族』があるけど今見ると若干古い。日本人の場合、そもそも伝統的に”血”に価値を見出してこなかったから、似たようなテーマを扱おうと思ったとき、わざわざ”吸血鬼”というくくりにする必要がないということなんでしょうか。あえて”吸血鬼”を意識した作品は、なんとなく、違和感を感じる気がします。ただし”幽霊”を取り扱った作品は、やっぱり国産がサイコーだとも思う。(笑)
あと、若干ずれるけど、非常に面白かったのが『影が行く』に入っていた『吸血機伝説』。これははるか未来、人間が死に絶えた世界でちょっとしたバグから”吸血機”になってしまったロボットと、もはや地上最期の人間となってしまった吸血鬼が友情で結ばれるという話なんですが、おかしくもやがて切ない…… って感じで実にイイ。
いわゆる普通の吸血鬼モノってのには、私は基本的にあまり興味はありません。そういう意味だと吸血鬼よりもむしろフランケンシュタインの怪物のほうが好みだなぁ。でも、『吸血』、ひいては『食人』の切なさってのはものすごく好きで、そういう広義の吸血鬼モノに含めちゃうと、『チキタGuGu』とか、あとはギャルーゲだけど『アトラク=ナクア』とか『沙耶の唄』とかがいいなぁと思う。
最近、ちょっと自分の中で考えている”吸血鬼”があります。
基本的には伝統のどのパターンにも当てはまらないので、なんとも命名しがたいのですが、「こういう”存在”の話が書きたいなー」みたいな。
たとえば『ストリーガ』、という生き物は、まあ、死の天使のようなもの。正確に発音すると『ストリゴイ』になるし、もしかしたら『グリム・リーパー』と言ったほうがいいのかもしれない。薄暮のなかに舞い、不可視のままに人の死と生を啜るもの。誰かの死の元に舞い降りては、彼らの命を摘み取り、その滋味を味わう生き物。
たとえば『エンプーサ』というのは、言ってしまえばメスのカマキリ。美しい女性の姿をしていて、人間の男と交わって子供を作る。けれども、子を成すためには、相手の男を食わねばいけない。
そういう”存在”を主軸においた話を書いてみたいなー、と思いつつ、なかなか料理が追いつきません。最近はどうも目移り気味でなかなか一本の話が書けないわ…… ダメダメですorz
……と、言われても、私が吸血鬼だと言われているとかそういう理由ではありません。
短編小説とかを読んでいて、吸血鬼テーマの話って面白いのが多いなぁ! って話ですよ。
そういうことになったのは、もっぱら、アンソロジー『死の姉妹』を読み返してみたら、ものすごく面白かったという理由によります。
同じ文庫から出てる『魔法の猫』『不思議な猫』(双方、猫をテーマにした短編アンソロジー)がすごく面白かったので、なんとなく読み返してみたら、まぁ、名作が多いこと! こんな豊作のアンソロジーは、『20世紀SF傑作選』の『70年代編 接続された女』以来です。
特に面白かったのが、吸血鬼の恋人と再会した老人を描く小品『再会の夜』、”母親”たちを集めて不思議な共同生活を送っている少女吸血鬼の『ダークハウス』、そして、死の天使と見まがうような女吸血鬼の切ない放浪と母性を描いた『死の姉妹』が特に傑作。
『死の姉妹』は”吸血鬼”アンソロジーであると同時に、”女性”をあつかった作品を集める、という異色短編集です。上に上げた作品は、奇しくも、『恋人としての吸血鬼』『子供としての吸血鬼』『母としての吸血鬼』を扱っていて、何か、符号のようなものを感じますね。処女、母、老婆の三相は、女性を描くときのもっとも典型的な形ですから……
”吸血鬼”といいつつ、最近の作品だと、一般的な吸血鬼のお約束ってのは、もはやどうでもいいもんだと描かれてるなーと思わないでもないです。血を啜って生きる死者で、十字架を恐れ、太陽に滅ぼされ、杭を心臓に打ち込めば滅び、吸血によって感染する…… っていうお約束を踏まえている作品はほとんどありません。共通しているのは、彼女たちが”永世”を生きるということと、アウトサイダーであるということと、人間から何らかの糧を得ているという部分だけ。で、その糧って物自体が、そもそも血じゃなかったりするんだよなぁ、すでに。
ちなみに日本人の書いた作品で吸血鬼を取り扱っていてものすごく面白い作品、ってのはあまり印象に残ってません。マンガだと『ポーの一族』があるけど今見ると若干古い。日本人の場合、そもそも伝統的に”血”に価値を見出してこなかったから、似たようなテーマを扱おうと思ったとき、わざわざ”吸血鬼”というくくりにする必要がないということなんでしょうか。あえて”吸血鬼”を意識した作品は、なんとなく、違和感を感じる気がします。ただし”幽霊”を取り扱った作品は、やっぱり国産がサイコーだとも思う。(笑)
あと、若干ずれるけど、非常に面白かったのが『影が行く』に入っていた『吸血機伝説』。これははるか未来、人間が死に絶えた世界でちょっとしたバグから”吸血機”になってしまったロボットと、もはや地上最期の人間となってしまった吸血鬼が友情で結ばれるという話なんですが、おかしくもやがて切ない…… って感じで実にイイ。
いわゆる普通の吸血鬼モノってのには、私は基本的にあまり興味はありません。そういう意味だと吸血鬼よりもむしろフランケンシュタインの怪物のほうが好みだなぁ。でも、『吸血』、ひいては『食人』の切なさってのはものすごく好きで、そういう広義の吸血鬼モノに含めちゃうと、『チキタGuGu』とか、あとはギャルーゲだけど『アトラク=ナクア』とか『沙耶の唄』とかがいいなぁと思う。
最近、ちょっと自分の中で考えている”吸血鬼”があります。
基本的には伝統のどのパターンにも当てはまらないので、なんとも命名しがたいのですが、「こういう”存在”の話が書きたいなー」みたいな。
たとえば『ストリーガ』、という生き物は、まあ、死の天使のようなもの。正確に発音すると『ストリゴイ』になるし、もしかしたら『グリム・リーパー』と言ったほうがいいのかもしれない。薄暮のなかに舞い、不可視のままに人の死と生を啜るもの。誰かの死の元に舞い降りては、彼らの命を摘み取り、その滋味を味わう生き物。
たとえば『エンプーサ』というのは、言ってしまえばメスのカマキリ。美しい女性の姿をしていて、人間の男と交わって子供を作る。けれども、子を成すためには、相手の男を食わねばいけない。
そういう”存在”を主軸においた話を書いてみたいなー、と思いつつ、なかなか料理が追いつきません。最近はどうも目移り気味でなかなか一本の話が書けないわ…… ダメダメですorz
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