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オリジナルサイト日記
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サイトカウント5000HITいたしました!
カウンターを設置してからほぼ四ヶ月、けっこうご愛顧を戴いているようでじわじわと一日HIT数が伸びてるのが嬉しい限りです。
サイトは5000HITしてからが本番という気がするので、これからが本格的な活動だと思います。これからもぼちぼちやっていこうと思いますので、どうぞお付き合いくださいませ~

ちょっと遅くなりましたが拍手お返事です。
12/11 こんにちは。白雪姫、読ませていただいております。>
ありがとうございますv 陰惨で耽美…… 王族・近親相姦・白痴とくるとベッタベタのゴシックロマンスの世界でございますようふふ。
ところでやはりネムキを購読なさってる方だったのですね。今市子さんにTONOさんをご存知ということはもしかして、と思ったのですがアタリでしたか。チキタGuGuは大好きなんですv なんだかクリップが切なくてねぇ。あの人外に足を踏み入れざるを得なくなった彼の命運とか、彼の未来とかが気になります。
ところでやおいと腐女子とフェミでちと気になったのですけれども、ユリをやる人もいちおう腐女子らしいですね。(よしながふみさんが対談で言ってた) それだったら私も腐女子かもーとちょっと思いました。どっちかっつとロリコンだけど、女オタクなのは間違いないv
フェミさんの特徴って『幻想』を認めないところにあるような気がします。『幻想』に生きる腐女子とはそこが一番相容れないところなのかなとなんとなく思いますね。戦わないか戦うかというのが分水嶺です。
白雪姫、なんつーかダークですが…… ちょっぴりびっくりの仕掛けも準備してありますので、どうぞお楽しみに。

 

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すいません、数日来寝たきりで……

おかげさまで拍手とメールのお返事が滞っておりますが、近いうちにかならず! メールくださった方、きちんと届いてますよ!!

でも昨日は我慢しきれなくなって某所の絵茶に参加させてもらってしましました……

オリジナルキャラクター絵描きさんはすごいなあというのが一つと、変なssを書いて皆様をドン引きさせたんじゃないかとガクガクブルブル。

とりあえずもっかい寝ます。

 

 

『黒鳥城』は大人編に行ってしまったんですが、友達にもっとねっちりと子供編が読みたかったといわれました。これは番外編でやるかな?
とにかくも拍手返信です。

12/6
黒鳥城とおかしな人々面白かったです。ありがとうございます >
いえ、こちらこそコメントありがとうございます(拝
ライトノベルはなれないんでどうもぎこちなくなるというか、文体がライト向けじゃない! と試行錯誤なんですが、エールをいただけると励みになりますね。ヨタカ、これからのレギュラーメンバーです。ポロリ要員です。可愛がってください。(笑

「大奥」関連の日記を読んで共感できる部分が多々ありました。>
日記のほうへの反響、ありがとうございます。穴だらけの理論ではあったんですが私家版やおいフェミニズム論に共感していただけたようで嬉しいです。しかし、作家読んでらっしゃるとはTONOさんもでしょうか。まさか『ネムキ』お好きですか? だったらうれしいな(笑
なぜやおい、っていうのだと、女性性の不在っていう意味で、やっぱり自分自身の女性性っていうか、世間で用意されてる『女の子はかくあるべし』という像になんらかの形で適合できないっていう理由は必ずあると思っています。人に言った話なんですが、そこで『女だったらミニスカを履くのがモテの道!』といわれて、『うるさい私はジーパンをはく!』っていうのがフェミ、『それよりゴスロリ/ピンハのが可愛い』といっちゃうのが腐女子だと思うんですよね。実際着るかどうかは横に置いといて。(ゴスロリフェミニストってのもいるかもしれないし)
男女の間の対等性の悩みってのは、けっこう汎的なもんだと思いますよー。昔、どこぞのフェミニスト(元少女小説家)が「男の子が紅茶をいれるシーンを書かせてもらえなかった」っていう悩みを打ち明けてましたが、そういうシンプルなことに悩んじゃう、ある意味とても素直な女の子こそが女性性に悩むのかもしれません。
翻って私事を言わせて貰うと(苦笑)、私は人間関係全般にかなり悩みがあります。食人、虐待のモチーフを繰り返し書かないとやってられないのは「誰かとの究極的な同一化」と「誰かへの暴力」の狭間に挟まってぐるぐる回ってるせいかなー、って気がします。食人は究極の暴力と究極の同一化の表れですが、最終的には暴力で終わります。食っても自分のものにはならないわけです。自分は、自分になら暴力を振るえますが、他人には振るえません。こういうコンプレックスが見事に出てきちゃうのが創作の怖いところですね。


ちょっとレスからはずれますが……


やおいに出てくる恋人関係ってのは、保護者/被保護者のアナロジーだっていう話はどんなヤオイ論にも出てきます。攻は万能の保護者であり、受はそれに無限に保護され続けられる存在。逆の場合もあります。
そして、そこに見られるのは、愛されることへの限りない渇望です。
可愛いから/いい子だから/モテ系だから、愛されるのではなく、『あなたがあなただから』愛されるということへの欲求。これって男女間の愛というよりも、保護者/被保護者間での愛です。保護者は子供がいい子だから愛するのではなく、その子が自分の子だからという理由で愛することを求められます。どんなに悪い子であっても見捨てない、という前提がそこに理想されます。
ただ、まあ、現実はそんなに甘くないわけであって。
親だって一人の人間なんだから、子供が悪いことしたらうんざりするし、予想通りにならないと嫌になるし、反抗されれば時に殺害に至ることすらあります。(日本は伝統的に親殺しよりも子殺しのほうを容認する文化圏だそうです)
で、男女間の愛情だと、相手に対して『ベイビー』と呼びかけることからも分かるように、ある意味だと親子関係の愛がそこに反復されます。夫婦だと相手のことを『おかあちゃん』『パパ』などと呼ぶことも珍しくないように。男女間の愛情ってのは、どこか一部に親子間の愛情のコピーを含むのです。あくまでそれだけではありませんが…… でも、親子関係以上に裏切られるのが男女間の関係であることは言うまでもありません。恋人関係ってのは対等な社会的人間関係であって、血で縛られた親子関係ではないのですから。
でも、やおいは理想の保護者/恋人を夢見ます。性的に放埓であっても、自傷に耽溺した病んだ自己であっても、そこに抱いた限りない孤独をいつか見つけ出し、「さみしかったね、これからはずっと傍にいてあげるよ」とささやいてくれる相手を夢見る。そして二人はいつまでも幸せでした、という物語を夢見るわけです。ヤオイが非常にモノガミー的(一穴一棒主義、ってヤツですね)といわれるのはこのあたりの理想の所以ではないかと。
基本的にはそこに『実際には愛されない現実の自分』さえ入りこまなければいい、というのがヤオイの本質じゃないかな? と私は思ってます。男性でなくてもいいんじゃないか。『女性』じゃなければ。でも、人間である以上、女性じゃなければ男性です。そこでやおいは男であり続けるんであって…… 受の『女体化』が一部で嫌われながらもしつこく人気を持ち続けるのも、実際は『そこに私のいない物語』であれば男だろうと女だろうと許せる、っていう思いの出現ではないかと。
女性ってのは可愛ければ/家事が出来れば/セクシーであれば愛される、という物語ではなく、たったひとりの誰かがたったひとりの私を見つけ出し、その孤独を癒してくれるだろうと夢見るのがヤオイで、けれど、自分自身は絶対にそんな夢物語の主人公にはならないであろう、とも思うのが腐女子じゃないかなーと思います。事実結婚もする。子供も産む。でも、そうやって現実と適応してても、心のどこかで「私を見つけてくれる誰か」を夢見続けるのが腐女子じゃないかな、と思うのです。
これって『男女間の関係で女性に期待される部分を懐疑する』って部分がフェミニスト的だけど、後半の幻想を捨てきれない以上、フェミニストにはなれないってのはこういう理由じゃないですかね。フェミニストは後半の『誰かが私を見つけてくれる』という理想を捨てなさいと迫りますから。

上手くまとまらないなぁヤオイ論。この辺は野火ノビタ『大人は判ってくれない』あたりを読んだら判りやすいかもしれません。でも、まあ、そのうちまたやります。ただ、私は本質的にはロリコンであって真性の腐女子じゃないんでちょっとずれるかも。

 

よしながふみ『大奥』第二巻、諸星大二郎『グリムかもしれない スノウホワイト』の漫画二冊と、伊東乾『さよなら、サイレント・ネイビー』を購入しました。すべて読了。
なんか図書館で借りてきた本と読了スピードが違う…… とはいえ『テヘランでロリータを読む』は未だに読み終わっていないので、単にお金出してるからとかいう問題じゃないかも。

『大奥』は相変わらずのフェミニズムSFっぷりです。
男性しか罹患しない非常に致死率の高い伝染病が蔓延し、人口に占める男性の割合が異常に低くなり、男女の立場が逆転する…… というなんだか懐かしい設定(昔よく似た設定のSFがあった)ですが、今回はちょうどその病気が社会に定着し始める時期を扱っているため、さらにフェミニズム色が濃いです。純愛なんて売り込み方をされてるからって騙されてはいけませんよ(笑)
フェミニズムっていう言い方は古い&バックラッシュを食らいやすいので、『ジェンダー』と言った方が正しいのかもしれないけど、やっぱり女性の側から取り扱ったジェンダー論はフェミニズムになりますね。
内容については個人的に読んで確認して欲しい子がいるので触れませんが(帰国を待つように(笑))、(BL+プロ作家)×非BL作品=フェミニズム という公式になにやらTONO『カルバニア物語』を思い出してしまいました。
そもそも作品がドラマ化もされ、ストーリーテリング力には定評のあるよしながふみですが、この人は本来スラムダンクのやおい同人誌で活躍していた同人誌作家です。で、引き合いに出したTONOさんはキャプテン翼の同人誌作家。世代だと一世代ずれてますが、同じく同人誌出身のやおい作家だという意味だと共通してます。
『カルバニア物語』はカルバニアという架空の王国を継いでしまった10代の女王タニア、同じく公爵家の後取り娘である男勝りのエキューの二人の少女を中心に回ってるややコメディ風味の王宮ファンタジー、なんですが、これが読んでみるとあら不思議フェミニズムの本なのです。フィクションに包んで恋愛なんかもあつかっちゃうため、あたりもやわらかで、声高に主張するところのない雰囲気が『大奥』と似てるかも。

『大奥』二巻では男性、女性双方からのパワーハラスメントの暴力性についてが歴史上の人物名を借りて描かれ(このいじり方が実に上手に『歴史改竄SF』してて面白いです)、『カルバニア物語』だとそれに加えてジェンダーの束縛からの脱却の可能性についてがソフトに書かれています。
現代的なセクハラの本質は『パワーハラスメント』、権力を持った男性、現状容認派の女性からの社会的な圧力である。さらに、『大奥』の場合はそこに男性側からの嫉妬の問題が加わっているということが生々しく描かれています。
この辺の『嫉妬』とか『圧力』あたりの感じと、なんていうか登場する(善玉)男性キャラクターのフィクションっぽいセンシティブさが、『やおい』してるよなーって感じがすごくします……

私はいちおう『やおい』をやってる(た?)腐女子ですが、本質的にはそっち方向の人間ではありません。どっちかっていうと男性向けのほうが好きだからより重症かも。自分自身の『女性性』への憂鬱度、という意味で、です。
社会的な女性性への期待がどうしても憂鬱、でもそれと積極的に戦ってく気力もあんまり無い、っていう潜在的フェミニストって、意外と腐女子には多い気がします。
知り合いの至言で「男性にだったら思う存分暴力をふるっても後ろめたくないからやおいが好き」というのがありますが、そうなんですよねぇ。自らの感じてる社会的な圧力をフィクションとして描いてすっきりしたい、けど女性キャラクターに対する暴力は容認できない、という二律背反が腐女子をセンシティブ、かつ暴力的なやおいに走らせてるよなという気が最近します。
「恋愛しろ」「恋愛はすばらしい」「男性/女性はこうあるべきだ」という物語から脱却して思想を構築することはできないけれど、無意識にそれにたいする固着と嫌悪の両方を感じている。それで世の中と妥協していこうとすると、ほどほどに『女性』を演じながら裏でこっそりとやおいを書く腐女子が出来上がります。
ちなみに『やおい』と書いて『BL』と書かないのは本質的に双方でファンタジーの度合いが違うと思っているからで、大半の場合は『やおい』のほうがより生臭い、切れば血の出るような痛々しいリアリティを持っている…… ような気がします。というのも『やおい』を書いてるのは大半が素人だから、かつ、世間の需要に迎合する必要がないせいで細分化しがちだからなんでしょうが。

『やおい』『BL』共に、自分自身への内的外的な違和感と、それを受容してくれる他者への出会いが繰り返し描かれます。『BL』の場合はそれをゲイ社会というカタチで還元して普通の社会性へ着陸しますが、『やおい』は延々と思春期的に痛みを伴った違和感の段階にとどまり続けることが多い…… と思う。
(『BL』はあんまり読まないので、詳しい人には別の意見もあるかもしれません。それにやおい界もBL界も広いので、双方互換的な作品もたくさんあります。)
自分の内面を理解してくれる誰かの登場、というファンタジーが、なんていうか、フィクションでしかありえないレベルにセンシティブな攻キャラひいては男性キャラクターの登場に繋がります。『大奥』二巻がなんとなくやおいっぽいと思ったのはそのせいで、『傷ついた内面を持つキャラクター』と『それを受容し癒すキャラクター』が登場し、しかもそのどちらがどちらとも言い切れないって感じがやおい的だと思ったのですね。で、『大奥』の場合は受/女性であるところのキャラクターの『傷』の原因が彼女の女性性への外からの攻撃にあるということが明言されちゃってます。これはなんていうか、『やおい性』のある作家だから書いちゃったって感じがすごくする。自らのフェミニズム性を自覚した腐女子が、さらに『性差のあまり必要無い世界』で実力を磨ぎ、とうとうその伝家の宝刀を抜いちゃったな、って感じの作品です。

やおいを経てオリジナルに行き、やおいの関係ない作品を書いてるオリジナル作家って、なんていうか、やっぱりどことなく『女性性』の取り扱い方が普通の作家とは違うな、という気がすることが多いです。
漫画家の今市子は客観的な恋愛の出てくる『家族モノ』は書いても主観であるキャラクターは男性としか恋愛しないし、『デルフィニア戦記』の茅田砂胡は一種の超人主義に走って登場するキャラクターが潜在的にすべて男性というすごい世界にたどり着いてしまいました。
ってゆーか、『やおい』ってのはどうしても自らの女性性への違和感というモノから逃げるためのアジールとしての存在であるわけで、大人になってもそこにとどまり続けている人、しかも一般向けのプロでやれる実力で『あえてやおい』の人は、最終的には自らの女性性について悩み続ける、つまり潜在的なフェミニストでありつづけるもんなのかもしれません。

よしながふみはどっかのインタビューで自らのフェミニズム性について語ってたらしいから、結局、自覚的にフェミニズムを書く、しかもそれをSFとして、恋愛モノの殻を被らせて書く、というすごい道、でもある意味とても元腐女子らしい道を選んだのかなーって気がします。
でもここまで書いてきて、これってすっげー『古いやおい論』『古い少女漫画論』を踏襲してるだけって気がしてきた…… とはいえ、自分は結局萩尾望都とか大島弓子が好きな人なので、屈託の無い『今どきのBL』にはイマイチ。
やっぱり『やおい』はセンシティブで痛いものであってほしい、という感じですかね。で、このセンシティブさ、痛さ(客観的に『痛い』って意味じゃないよ)、ってのはなんとなく男性向けにもある感じだよなーって気がしてきたんですが、だけど、男オタクがメンズリブやジェンダーに走ることは少ないってのが不思議。『電波男』本田透氏もなぜかジェンダーに行かずにオタク論に行ってしまったし。やっぱりジェンダー論はまだ男の人を救済してあげられないんですかね。どうなんですか、男性のオタク諸氏?

どうも最近方向性が定まらないですねー。
今書いてるのは同時進行で四本。中篇一本に長編の『黒鳥城…』と『白雪姫』、さらにギャルゲー風猟奇ラブコメの『猟奇的な彼女たち』(コレはネタなので公開するかどうかは分からない)、さらに二次創作の畑でアンソロジーの企画があるのでその原稿もぼちぼち動かさないといけないし……
あんまり浮気ばっかりして書いてるってのは良くないと思うんですが、自分で自分が何を書きたいのか良く分からないんですもの。冗談みたいなギャグっぽい話(これは『黒鳥城…』と『猟奇的な…』)、陰湿この上ないホラー(これは中篇。いじめの話)、さらに割りと力を入れて書かないといけない長編(『白雪姫』)と揃っているので、何から手を付けたらいいのかさっぱり分からないのでした。
1日に公開した『海辺の王国にて』も割りとなんも考えずにばーっと書いたんですが、最近そういうのが多い。単に手が遊んでるみたいな感じの作品というか。あんまり深く考え込まないで書いてるというか。
良くないですねぇ。文章を書くときはきちんと考えて推敲しながら書かないとレベルアップにつながりません。表層の描写だけで遊ぶ話はやっぱり薄い。もっと骨子のしっかりした話を書かないと、いつまでたってもレベルアップになりません。

ところで、坂口安吾の『桜の花の満開の下』を買ってきましたよ。(『桜の木の下には』じゃないよ)
時代物説話物の短編集だったんですが、目的は表題作じゃなくて『夜長姫と耳男』っていう寓話風の物語。『ヒダのタクミ』(飛騨の匠?)なんてもんが出てきたりもしますが、雰囲気はどちらかというと中世日本風ファンタジーに近いかも。長者の娘であるこよなく美しい夜長姫と、彼女のためにミロクボサツを作ることを命じられた耳男という匠をめぐる物語。
この上なく美しく、童女のように無邪気な笑顔を見せる夜長姫。でも、その夜長姫はこよなく残酷で恐ろしい姫君でもありました。耳男の耳をこともなく削ぎ取り、憎しみを込めて作り出したバケモノの像を愛玩し、人々が疫病で死んでいく姿を楽しそうに見つめている。まるで残虐な少女神のような夜長姫を前にして、そして耳男はとうとう「この姫がいてはチャチな人間世界は立ち行かない」とまで思いつめて姫の殺害を謀るのです。
姫の最期の言葉、「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ。」という一言がとても深い。さながら神のような夜長姫の前だと、ただ傲慢で残酷なだけの『桜の花の満開の下』のヒロインはかすんでしまいます。
いいなあ、こういうキャラクター。こういう神のごとき少女、というものを書けたら、作者ってのはどれだけ幸せでしょうか。ロリコンとしてはなおさらですよね。(笑) 
ただ従属的なだけの女の子供ではなく、蠱惑的なニンフェットのほうが魅力的であるように、さらにいうなら古代の女神のように残酷で無垢な少女神のほうがより美しい。ロリコンとしてはそう思う。手が届かないほどに美しく崇高な少女神の姿というものを、私は天野可淡の人形の面影や、この『夜長姫』なんかに垣間見たりするのですが…… まあ、これは余談余談でした。

あ、ちなみに『海辺の王国に』はアウトサイダー・アーティストであるヘンリー・ダーガーをイメージした話+エドガー・アラン・ポオの『アナベル・リー』って感じですね。某所の掲示板に投稿したときに『ロリータ』の原題は『海辺の王国』だと指摘されてびっくりされたんですが、それもまあ、余談、余談。(笑


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