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オリジナルサイト日記
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早いもので、当サイトのヒットカウントが一万を経過いたしました。
オリジナルSSサイトなんて星の数ほどあるだろうに、わざわざうちのサイトの小説を読んでくださる方々、感想を下さった方々、レビューして下さった方々に感謝いたします。これからものんびりとしたペースで進んで生きたいと思いますので、どうぞよろしく。

……でも最近は二次ばっかり書いてますorz

二次というのだったら、Sound Horizonの二次創作もちょっとやってみたいのですがねー。
以前、『恋人を射ち堕した日』をちょっとしたSSに仕立て上げてサイトにUPしたことがあったのですが、ああいうのをもうちょっとしっかりとやれんだろうか。Roman収録の『見えざる腕』、クロセカの『沈んだ歌姫』・『海の魔女』なんか書き甲斐がありそうだと思うのですが。
ひとまずは連載をなんとかしなきゃと思いつつ……
実は二次創作の更新は履歴に載せていないので、現在、さくさくとSSが増えつつあります。本当は別にサイトを立ち上げてやるべきかとも思ったのですが、そこまでの覚悟は無い、というか、もしも本気で別館を作るとしたらけっこうな大事なので、しばらくはこういう不自然な状態が続くかと思われます。どうもすいません。

最近、レイ・ブラッドベリをちまちま読んでますよ。『火星年代記』も『華氏451度』も読んでないけど。
でも、短編集『刺青の男』を見ていて、うーん、これかあこれがブラッドベリってもんなのかあ! と感動しております。
『形勢逆転』なんて現在だとありえない話だけど、なんかしみじみといい話だよなーと思ったり(火星に入植した黒人たちだけが生き残り、世界大戦で破滅した地球から、ほんのわずか残った白人たちが難民となって訪れるという話)、あと、『亡命者たち』がもしかして『華氏451度』と思想的に通底してるんじゃないだろうかと思ったり(焚書政策ですべての本が消えた地球から、かつてのホラー・ファンタジー作家たちが暮らしている火星へと、宇宙飛行士が訪れる話)、さすがに古いだけあって文体がかなり読みにくいんですが、このポエジーには伝説になるだけのことがあるよなぁと思います。
でもこれSFじゃないよね…… ファンタジーだよね……


PS
東京事変の『大人』はいいアルバムだよなぁ。『透明人間』『手紙』には心をうたれます。ああいう話が書きたいよー。

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セカイ系がどーたらこーたらとか、優しさがどーたらこーたらという議論は、現在掲示板に飛び火してます。
(単純に日記に別の長文を投下しちゃっただけなんだけどね!!)
そういう議論がお好きな方は、掲示板にも一足お運びくださいませ。一言居士大歓迎でございます。拍手でもどうぞ。

あと、最近アルツハイマーとか高度脳障害が熱いけど、老人問題(エイジズム?)とリリシズムについて語るんだったら、少女漫画は欠かせないよね。
大島弓子『金髪の草原』と、高野文子の『絶対安全剃刀』収録の『田辺のつる』が必読です。後者はちょっぴりゾクッとするぞ。こちらもぜひどうぞ。


ドラマ『ヒミツの花園』に出てくる『花園ゆり子』って、和田慎二+CLAMPですか……?
作品は『忍法ロマネスク』で男性少女漫画家(このあたりで和田慎二)で四人ユニット(このあたりがCLAMP)。絵柄も和田慎二っぽい。誰が考えたのか知らんが、マニアックな設定です。CLAMPは少女漫画だけじゃなくてなんでも書くけどな~。最近出てたCLAMPのもこな先生が書いた着物の本、出てくるデザイン着物が舞台衣装のようでかっこよかった。

以前からずっと欲しかったトーキングヘッズ叢書の最新刊を入手しましたよ! トーキングヘッド叢書はサブカルチャー&モダンアートマガジン(……で、あってるよね?)なんですが、おもしろそうな特集をやってるときに買ってます。
今回の特集は『アウトサイダー』。アウトサイダー・アートについての記述があるかなぁと思って買ってみたのですが、アウトサイダー・アートだけじゃなくて、障害者によるパフォーマンスについての記事が多くて面白かった。障害者の参加するワークショップのうちアート色の強いものから、障害者プロレスから障害者SMまで。障害者プロレスは数年前から聞いてたというか、まだ政治・右翼色の出てくる前の『ゴーマニズム宣言』に記事が載っていた記憶があります。障害者SMは、以前のトーキングヘッズ叢書『奴隷の詩学』で記事を乗っけてた卯月妙子も話をしてたなぁ。時代の流れなのでしょうか。『セックス・ボランティア』って本も出たし。
正直、このあたりのことは現代ではけっこう大きなタブーになってる部分だと思います。障害者についての話は、何故か、「イイ話」しか出てこないなーというか。
かつて、障害者ではなく、『少女』がタブーだった時代もあったらしいですね。
少女というのは侵されざる聖域で、決して汚れた手で触れてはいけない存在だったらしい。久世光彦の作品なんかには、まだ少女がタブーだった時代についてのお話が書かれてます。でも今や少女というのは一種のセックス・シンボルと化している。そして、その時代には、今はタブーの対象と化している精神障害者なんかが今とはぜんぜん違う扱いの存在だった、と。

ちなみに四肢喪失者に対してセックスアピールを感じる人のことを、『アンプティ』というそうです。そして、一種のフェチが最終的には対象との同一化を望む(ハイヒールフェチの人が、自分でハイヒールを履いちゃうような)のと同じように、アンプティの最終的な形は自ら自分の四肢を切り落とすところにまで達するのだとか。オタク的にフィクションとして楽しむのではなく、実際に体験しちゃう本物のフェティッシュの世界だと、現在、肉体改造はけっこう一般的になりつつあるみたいですね。肉体改造がファッション化してるというか、一般人であっても、タトゥなどの延長線上で軽度の肉体改造をやっちゃう人は珍しくない。ボディピアスとかだけじゃなく、スプリット・タンなどの肉体改造や、スカリフィケーションなんかをやってる人も、探すと案外簡単に見つけることができます。ちなみにスカリフィケーション:傷をつける、焼印で焼く、薬品で焼くなどの方法を使って皮膚に模様を書くというタトゥに類似した肉体改造。私はこれで有名な施術者の人が、ショー形式でブランディング(焼印)の実演をしているのを見たことがあります。
私はちょっぴりアンプティのケがあるかな? というか、フリークス趣味があるかなぁと思います。でもこれって意外と一般的というか、ネットの海なんかを泳いでいると、四肢喪失だったり肉体改変だのを取り扱ったポルノ的画像をよく見かける。当然、ファッション的な部分もあるとは思いますが、自傷者の一般化なんかと一緒に考えてみると、バーチャル化の時代に伴った皮膚感覚の変容ってのも関係あるのかなぁと思います。
私が自分がアンプティであること、ていうかフリークス趣味であることの自覚を促してくれた体験は、三つほどあります。
一つはごくシンプルに、かの有名な映画、トッド・ブラウニングの『フリークス』を見たこと。そして二つ目は老人福祉施設での介護実習を受けたこと。ここまでは一般的な体験ですが、最後の一つは、電車のなかで激しい自傷の傷を持った人を見たことです。
男性だった(この時点でかなり珍しい)と思うのですが、骨格、筋肉としては、とてもきれいな腕をした人でした。きれいな男性の体は、骨が美しいなぁと思うのですが、肘や手首のきれいなその腕には、手首から肘にかけて、横の傷跡がびっしりと刻まれていました。そして、たぶんタバコを押し付けたのと思しい丸い火傷が、二つづつ、縦に並んでました。
普通だったら、いろいろと感想があると思うのですが…… なんていうか、私はその『ラギット感』にけっこう衝撃を受けました。
ラギット感―――ざらざらした感じ、ちくちくした感じ、ひりひりした感じ、靴とかのサイズが合わずに足に靴擦れができるような感じ。皮膚の表面が刺激されて、自分の輪郭を明確に自覚するような感じとでもいいましょうか。その人も傷のある腕を堂々と出して電車に乗っているあたり、自分のその『ラギット感』を人に対して主張したいってところがあったんだろうなぁと思います。それが病的なことだと思う人もいるだろうし、場合によっては嫌がる人もいるだろうに、あえて、傷を見せる。実際にその人を見たのはそれ一回こっきりだったのですが、私は、その『ラギット感』のあまりの雄弁さに圧倒されました。
この場合の『ラギット感』ってのは、ある意味で、バーチャルの対語…… みたいな感じで使ってます。
理屈にならない肉体感覚ってのは、バーチャルの世界だとありえないものです。何を話していても上滑りする感じ、無意味な言葉だけで内容の無いやり取りをする感じのあるバーチャルと違って、『痛み』というのはどうしようもなく明確です。『痛い』という感覚は非常に原始的なもので、偽りようが無い。それを外に向かって主張する『傷跡』、しかもあきらかに自ら望んで付けたと分かる『傷跡』というもののリアリティに…… 変な意味で魅力を感じてしまったのでした(苦笑)。
まあ、『自傷』と『障害』、ついでいうと『老い』ってのは全部別のものです。ある程度自覚選択的に自分に付けるもの、本人の意思には関係の無いもの、それに誰もがいつか被るもの。共通するのは、『ラギット』であるという部分です。でもどれにしろザラザラ、チクチクしてて不愉快で、どうしようもなく自分と世界との齟齬を感じさせる。でも、その『痛み』というのは、『そこに自分が存在すること』というものを自覚させてくれるものでもあります。
たとえば胃が痛ければ、そこに『胃』があるってことを自覚することだし、献血に行ってチクリと針を刺せば、そこに自分の皮膚があり、血が流れているということを自覚させてくれます。
これは非常に自己中心的で、相手のことを考えない考え方だと思うのですけれども、『ラギット感』のある相手と向き合うということは、同時に、自分自身との差を強力に自覚させられ、『私』というものの輪郭を再認識させられるという体験でもあります。実際に体験したことは無いけれども、もしも私が腕の無い人と向き合い、無くなった腕の断面に触らせてもらうことが出来たなら、『自分には腕がある』ということを強力に感じさせられることでしょう。足の悪い祖父と一緒に歩いていると、『自分が歩いている』ということがどういうことなのかを感じさせられます。骨の動きが違うし、筋肉の動きも、体重の移動の方法も違う。
「由仁子さんはSとMが混ざってる」と人にいわれたことがあるんですが(笑) まあ、ようするにこういう自己確認の手段として『痛み』を捉えているという部分があるせいなんだろうなぁ。実質的にSMプレイにふけったことなんて一回も無いのですが(それが普通だ)、小説とかの中だと執拗に精神的、肉体的な『痛み』を追求する部分があるなぁとは思います。でも、それはぼやけて見失いがちな自分の『輪郭』を再確認することであり、それこそが『痛み』の持つ奇妙な快感の本質なんじゃないかと思うのですよー。
ただまぁ、この場合の『痛み』ってのは自分で制御できるレベルのものに限るというのがポイント。別段他人から暴力振るわれたり、病気になって痛い思いをしてもうれしくはありません。(笑)

この辺の表現に関しては、飛浩隆氏の作品の中で雄弁に語られてますね! 
『このSFがすごい! 2007』の中のロングインタビューだと、そういう自傷感覚とかについてが細かく語られていてちょっと感動しました。今日買ってきたトーキングヘッド叢書の新刊の中での日野日出志論にもちょっと似たことが書いてあったなぁ。同じく、牧野修の作品にも、そういう皮膚感覚の変容とか、狂気というものについてが繰り返し語られます。
あとちょっとずれるかもしれないのですが、小川洋子作品の中にも、そういった細かな『ラギット感覚』ってのが存在し続けてると思います。現実との違和、病や死や老いへの偏愛…… エッセイの中で小川氏は『小説とはすでに死んでしまった人と対話するように書かれるべきである』と書いていたのですが、至言だと思います。
飛浩隆氏の傑作、『ラギット・ガール』には、体中の皮膚組織の疾患によって、常に全身の皮膚に痛みやかゆみなどの不快感を感じ続けている――― そのことによって、何もかもを完全に記憶することが出来るという完全記憶能力を持った女性が登場します。また同時に、自分自身のアイデンティティの境界線を保持するために『自傷感覚』を利用する、という癖を持った女性も登場します。外見的には片や非常に醜く、片や非常に美しい二人の女性が『痛みによってアイデンティティを保持する』という一点において重なり合う、というところにSF的な感動を感じました。まさしく、センス・オブ・ワンダー。
『わたしの痛みをあなたが感じることはできない』というのは、二人の人間が出会ったときにお互いの融合を阻む最も大きな壁なんじゃないでしょうか? もしも『わたしの痛みをあなたも感じることができる』のなら、その二人はどこまでが自分でどこまでが相手なのかがわからなくなってしまうんじゃないかって気がします。
人間は動物です。皮膚感覚っていう一番原始的な感覚で区別される、というのが、相互不理解の第一歩。中途半端にお互いへの温い共感が蔓延するバーチャルの世界だと、そういった『痛み』『歪み』『きしみ』の感覚が非常に新鮮に感じられます。

とまれ、まあ、『アウトサイド』『インサイド』ってのは、こういう辺りで感じるものなんじゃないかな、と思ったしだいでございます。

 

昨日はTRPGのGMを超ひさしぶりにやってきました。
会場の押さえが後手後手に回ってて、けっこう大丈夫かという感じだったんですけれども、ベテランプレイヤーのみなさまにフォローしてもらってなんとかシナリオは普通に完結。次回以降の伏線も入れておいたので、できるだけ近いうちに二回目をやりたいなぁ……
とまれ、Web拍手返信です。

23日にメッセージを下さった方、見てる方にわかりにくいかなと思ったので、申し訳ありませんが、拍手の全文を掲載させていただきます。大変興味深いご意見をありがとうございました。日記でああいうことを書くと、たまに面白い反応をいただけるのがうれしいv

日記での、物語の世界観の時代につれての変遷、すごく面白く拝見しました。デスノートなんかは私はドストエフスキーの罪と罰のテーマの現代型かなという感じが一番していたんですけど、世界観的には確かに絶対神といわれればなるほどと。
私の一神教と多神教の理解は浅いんですけど、エヴァンゲリオン以降の作品は一神教の系譜のままなのかなあ、とも思います。それにしても、日記の見解を見ていて感じたのですが、この20年で自己肯定することが難しくなったというか、肯定することに飢えているような。
個人的にはそれに加えて、最近のゲームやアニメ、漫画全般通してジャンルが違っても周囲を気遣ったり思いやったりする性格のキャラクターのポジションが昔とは違ってきたなと。
旧ビックリマンや聖矢、セーラームーンでは「やさしい」人で主役や主役の仲間としても一目を置かれていた気がしますが、エヴァンゲリオンでは気遣いというよりも気にしすぎで自分に自信が持てないというようなマイナスにつながって、恋愛ゲームで恐縮ですが最近の遙かなる時空の中でなどではむしろ優柔不断で煮え切らないような感じに描かれているようで捕らえ方の変遷などを感じてみました。
今も昔も「優しい」キャラは確かにかわらずいるのですが「優しさ」の種類が狭い個人主義的な先ほど創作世界観についての日記についてウェブ拍手でコメントしたものです。長すぎてきれてしまいました。すいません。個人主義的な色が年々強くなっているなあと、興味深く思っているところですと続けようとしていました(笑)。

コメントありがとうございました~。非常に興味深く拝見させていただきました。では、コメントを。
絶対神>
日本ではいわゆる正統派キリスト教的な概念が存在しているとは思いづらいので、この場合の唯一絶対神信仰というのは非常に解釈の浅い、なんていうか、「この世のすべてを支配している存在がいる」という考え方だと思っていいと思います。いわゆる「宇宙創造神」みたいな? とにかくこの宇宙にはそれを創造した存在がどこかにいる、という考え方です。
この世界はルールの存在するゲームで、そのゲームのルールを設定したもの、そしてゲームの遂行者であるチェスプレイヤーが存在する、みたいな…… そういう非人間的な神によっての支配というもの、一種の運命論みたいなものを感じてる人がけっこういるのかな? と思います。ただまぁ実は「鏡の国のアリス」なんかにもそういう存在は出てくるので、日本唯一だとは思いにくいですが……

自己肯定>
これはすっごく感じます! 特に、オタク領域と女子においては重なりやすいメンヘル領域なんかだと、ものすごく自己肯定感や『居場所』の確保の難しさが語られてますよね。
「自分はここにいてもいいのだろうか?」ってのがけっこうどの物語においても主要なテーマとなっている…… 過去の作品だとどんなキャラクターであってもそういうことは考えもしなかったようなことが、一番前提になっている、というあたりになんともいえないものを感じます。エヴァなんかはその疑問が繰りかえり繰りかえし語られてましたもんね。
「十二国記」の番外編、「魔性の子」だと、居場所のなさ感というものが非常に重要なテーマとして語られていました。「十二国記」自身、世界設定の中核に「選択せずに生まれてくるということの理不尽」ってものが組み込まれてると思うのですけれども、それに対して非常に敏感に反応したファンが多いということには、まあ、こういう世の中なんだよなぁという感じがします。
自分自身が希薄である、居場所が無い、生きていく希望が湧かない、ってのはどちらかというとメンヘル領域……まあ、すごく俗っぽい言い方をするとリストカットしたり大量服薬を繰り返したり、女の子だったら売春に走るような人の間で非常によく語られてるテーマなんですけれども、昔はそれが一部の人間のみの訴えだったのが、現在だとものすごく一般的になってる。誰も彼もが「自分の居場所が欲しい」と迷子になってる状態ってのに、なんていうか、時代性を感じます。
詳しい人によると、そういう時代性ってのは別に現在に特有のものではなく、第二次世界大戦前夜の北半球なんかでもよくある話だったらしいんですけどねぇ。時代が豊かさになれきって、新しい道への進歩が閉ざされたと感じるとき、人は行く先の分からなさを感じてしまうでしょうか。

ちょっと理論的な文脈からは外れますが、精神的にも肉体的にも何事も「食べても食べてもおなかが空くの」じゃなくて、「食べている最中」こそが一番幸せなのかもしれません。あるいは「食べたいと思うこと」こそが幸福なのかもしれない。おなかが一杯というのはもしかしたら本当の幸福とは別なのかもしれない。
過食症の理論というか、無限に食べ続けたい、という欲求こそが自然なのでしょうか? 肉体が満たされると精神が飢える、そして、ありもしない精神の飢えを満たすためにうろうろとさまよう…… としたら、これは餓鬼道なのかもしれません。むなしいなぁ。(笑


優しさの変遷>
そういや、最近の作品だと、「優しい」登場人物の扱いが変わりましたね~。
一見優しそうに見えるタイプってのは、たしかに、その優柔不断さゆえに迷いの中に立たされたり、非常に厳しい決断を迫られて可哀想なことになることが多いような…… 本当の意味で優しいとされるキャラクターってのは、一見はぶっきらぼうだったり乱暴だったりする外見をもってることが多い気がします。
これってもしかしたら上の「居場所のなさ」とちょっと連動する話なのかもしれません。「優しさ」を求められる相手のキャラクターってのが、昔よりも切実な状況に立たされているというか。ちょっと情けをかけられただけで自力で立ち上がれた昔のキャラクターと違い、今のキャラクターってのはちょっとやそっとの「優しさ」だと自分では立ち上がれないほど傷ついていることがおおい。そういう人相手だと優しくするのも大変です。相手の人生を背負う覚悟がないと、優しくすることもできません。そういうあたりが「優しい子」への厳しい状況へつながってる気もします。


うー何か頭がしっかり働かないので、このあたりで失礼します…… 追記を思いついたらまた書きます。

順調にろくでもないことになってます。祝ビックリマン、何回見れば気が済むんだ。でも猫オタクが度を増して変態になってるフッドが可愛くて仕方ない。
二次創作、ビックリマン別館作ろうかな…… 新も最期まで見たし……

現在の日常はBMとサンホラで回ってます。しかしお借りしたクロセカ、IPODにいれようとしたら何曲か歌詞だけがない(カラオケ状態)になるという不思議な現象が起こってしまって困惑中。やっぱりこれは同人作品だからこそのエラーなのでしょうか?
以前から評判が良かったクロセカですが、聞いてみるとなんだか世界観がぶわーっと壮大で美しいですね。たとえていうならばクロセカが歴史ファンタジー、楽園がゴシック、ロマンが絵本物語風な雰囲気です。どれも味わいが違って良い。クロセカが一番ファンタジーっぽくはありますが。英雄がいっぱいでてくるもんね。
しかし、現在BMにハマってるため、どうにも話がダブって考えられて仕方ありません。
数奇な運命の元に流転する世界、戦いに次ぐ戦いが流転し、黒の歴史は決して改竄を許さない……! って考えるとなんだかサンホラなんだかBMなんだか分かりません。だって、現在入手可能な資料で考えると、ものすっげえ壮大な世界観なんだもん。BM。
ただ、歴史が先に進むにつれて、壮大なる神々の世紀、選ばれし勇者の世紀、志持つ戦士の世紀、という風に話が進んでいくのが、どことなくギリシャ神話風というか北欧神話風というか日本神話的というか、で面白いです。一種の物語化を経た多神教の世界観の『お約束』に沿ってる。
現在アニメになってる話は年代の順番で行くと、(祝!ビックリマン→)旧ビックリマン→新ビックリマン→スーパービックリマン→ビックリマン2000、という風に並ぶんですが、それぞれの主人公は、
旧ビックリ:次界の神になることを定められた大天使、および聖命に選ばれたその側近
新ビックリ:世界再創造を定められた神の子と異界の姫君、仲間たち
SBM:かつての英雄の宿命を継ぐ四人の聖戦士
2000:戦士の因子を持つ少年と仲間たち
って感じで、後ろに行くにしたがって、普通人に近づいていってるのが分かります。(ヒトじゃなくて天使とか悪魔だけど……) ちなみに現在語られてる『祝!』は遥か過去の設定ですが、まだ冒頭なので主人公たちの設定は未知数。
旧ビックリのメイン面子であり、神の子の側近である通称『神帝隊』の彼らなんかは、最終的には主君のために死ぬことを定められて生まれてきたという悲惨っぷり。これはオカルトの空気がバリバリだった旧ビックリ当時だからこそ許された設定で、現在のアニメだとありえない気がします…… 
ていうか、面白いのが、80~90年代前半のサブカルチャーに蔓延していた『オカルト』だ、という話を、以前、さる方としてました。
いっちゃん典型的なのはビックリなんですけれども、他にも『セーラームーン』、『聖戦士星矢』なんかもけっこうオカルトだったよなぁ。その前になると出てくるのが『僕の地球を守って』で、このあたりだと主人公が何らかの聖命を与えられた存在の転生体、だという設定がけっこう頻出します。で、その背景になる世界観が、なんていうか、いろんな世界観をごった煮にした多神教的世界観だったりする。そして、語られる物語は往々にしてとても『黙示録的』だった。
で、そのあたりの空気を一変させたのが『エヴァンゲリオン』だったんじゃないですかねぇ。でもこれが形としては『ビックリマン的』だったのが面白くもあります。さまざまなコンテクストから引っ張ってこられるオカルト的な情報がチラ見せされて、その断片を収集し、再構成することに楽しさを覚えると。
ただ、そういったオカルト的な物語に対する心酔ってのは、オウム事件で水をぶっ掛けられたんじゃないかと思われてたんですが、現在だと江原氏、細木数子の流行なんかを見ていると、そういうのが再燃してるんじゃないか、とオカルトに詳しい先方がおっしゃられていて、なるほどと思いました。
個人的に思うことだと、ここ数年は、80~90年代の多神教的、曼荼羅的な世界観とは違う、数年前の『セカイ系』の流行から続く箱庭的な世界観が続いてるよなぁと思います。壮大な世界観の中に英雄として活躍する主人公ではなくて、どことなく干渉を許さない箱庭的な世界のなかでゲームに従わざるを得ないキャラクターたち、あるいは箱庭的世界の中で神として君臨してしまう主人公…… というのが共感を許すというのか。
最近の作品ではやりというと、『涼宮ハルヒの憂鬱』とか、『デスノート』なんですけれども、これは双方主人公格が『神』に等しい力を手に入れるという話です。(ハルヒは無自覚だし、ライトは不完全な神でしたが……) 彼らにとっての『世界』は、自分が負わされた聖命のもとに守るべき存在ではなく、自分自身が『神』となって自由にすることができるものとして現れます。したがってそこには運命をあたえてくれる『神』は存在しない、と。
この辺はけっこう数年単位で細かく推移していくので、オタクとして追ってると非常に面白いものを感じます。
『聖命』の時代(ビックリマン的な世界観の時代)→『セカイ系』の時代(エヴァンゲリオン的な世界の時代)→『絶対神』の時代(デスノート的な世界の時代)と話が推移している…… と。
背景の世界そのものは、次第に縮小している、というか、恐ろしいものへと変貌しているなという気がします。かつては宿命を与えてくれる、すなわち(それがフィクション的であれ)居場所を主人公たちに提供していた世界が、現在は自ら世界を創造しなければ『居場所』がないというレベルにまで世界は厳しくなってます。キャラクターに理不尽なルールを科していた『セカイ系』の時代もアレですが、自らが『神』となって君臨しなければいけない世界というのもけっこう厳しいものです。
運命のままに生きているというのは、悲劇だったかもしれませんが、まあ、楽っちゃ楽だった…… のかもしれません。『選ばれし者の恍惚と不安、二つとも我にあり』だったのですから。でも、実際に『神に選ばれた』と主張する人々がテロリズムに走ってる現在の時代だと、そうとうにおバカ、というか鈍感でもないと、『選ばれしもの』として素直に宿命に従うのは難しい。
自分は誰にも選ばれていない、ということを知った上、『ゲーム』に服従することすらも拒んだのなら、まあ、あとは自分自身が『神』となって世界を創造するしかないのでしょうねえ…… でも、自分自身が『神』になるというのは案外難しいことです。すべての価値を自分で選び取らないといけない。そして、そういう身勝手で未熟な『神』の作り出す世界というのは、往々にしてグロテスクで矛盾に満ちていたりします。
たいていの神話においては、人間は神の劣化コピーにすぎない…… でも、それを言うのなら、『神』ってものは、人間をより拡大しただけの存在に過ぎないのかもしれませんけど、ね。

個人的には私は80~90年代前半的な『多神教的』な世界観が大好きなんですけどねー。
聖命のままに踊り続ける神々や英雄の物語は、まるでワーグナーの英雄譚のように壮大で美しい。作りこまれた緻密な曼荼羅は、どの細部をとって見ても生命力に満ち溢れたアラベスクを描いています。
……ただ、自分にそれが作れるかっちゃ、無理。
私の住んでる場所には、神はいません。見捨てられ取り残された人々が、砂の城を作り上げ、精一杯に自分の居場所を作り出そうとするのがせいぜいです。その辺は創作者によって感じる温度差が違うのだろうなぁ。個人的には小川洋子作品の描く『死者たちの物語』のような静謐な沈黙はうつくしいと思うのですが。

何かまとまらないですが、ここで終わり!(笑

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